『村上春樹、方法としての小説』1

<『村上春樹、方法としての小説』1>
図書館で『村上春樹、方法としての小説』という本を手にしたのです。
村上さんの物語の秘密が載っているとのことで・・・借りる決め手になりました。



【村上春樹、方法としての小説】


山愛美著、新曜社、2019年刊

<「BOOK」データベース>より
洞窟の中のストーリーテラー、村上春樹。その創作の原点はどこにあるのか?幼少期のエピソード、作品・インタビュー中の言葉に着目し、独自の方法で紡ぎつづける物語の秘密に迫る!
【目次】
序章 自発的に語り始める「物語」/第1章 方法としての小説、そしてはじまりの時/第2章 初めての物語としての『風の歌を聴け』/第3章 デレク・ハートフィールドの世界/第4章 言葉・身体/第5章 記憶・イメージ/第6章 創作過程を探る/終章 想像力と効率

<読む前の大使寸評>
村上さんの物語の秘密が載っているとのことで・・・借りる決め手になりました。

rakuten村上春樹、方法としての小説



まず、「初期の三部作」を、見てみましょう。
p64~67
<IV 初めての物語としての『風の歌を聴け』>
『風の歌を聴け』(1979b)、それに続く『1973年のピンボール』(1980a)、そして、喫茶店経営をやめて、「フルタイムの専業作家」になって初めて書かれた『羊をめぐる冒険』(1982)は、まとめて初期の三部作と呼ばれることが多いが、作品の持つ意味という観点からは、おれぞれ異なる。ニ、三作目について、村上は次のように述べている。

[『1973年のピンボール』は]書きたくて書きたくて仕方なかったし、『風の歌を聴け』の時とは違って、淀みなくすらすら書けたと思う。・・・自発的なストーリーが僕の頭を支配するようになった。小説が自立し、ひとりで歩み始めるようになった。

 何をすればいいのかは、僕にはもうわかっていた。・・・小説自体の力というものというものが、硬い殻を破って顔を出し始めていた。そこにははっきりとした手応えのようなものがあった。(『自作を語る』)


『1973年のピンボール』を書くことを通して、村上が目指していた「スポンテニアスな物語」が動き始める感触を実感したのであろう。

『羊をめぐる冒険』を書き終えて僕がいちばん嬉しかったのは、自分がこれから先小説家としてやっていけるだろうという自信が持てたことだった。これは頭の中でこねまわす理屈ではなくて、両手ではっきりと感じることのできるフィジカルな手応えである。(『自作を語る』)

 一、ニ、三作と、村上は段階的に自身の創作の方法論を探り、ニ作目で感じた手応えが、三作目ではより確かなものとなり、小説家としてやっていけると確信したのであろう。「フィジカルな手応え」という表現は興味深い。確信は、単に頭で考えられたものではなく、身体的なもの、体を通しての実感だったのである。

 村上は、自分自身の体の感覚を大切にしながら(あるいは体に開かれながらといった方がよいかもしれない)創作するが、これは後に、走ることを通してさらに研ぎ澄まされることになる。いうれにせよ、彼にとって、この作品を機に、書くことを生業とする作家としての人生が本格的に始まった。

 ところで、すでに述べたように、村上は、初期の二作については、「修作の域を出ていない作品だと思う」(『自作を語る』)と述べている。本人がストーリーはないとする『風の歌を聴け』に対して、二作目は、「幻のピンボール・マシーン」という対象と、主人公の「僕」がそれを探し求めて旅をするというストラクチャとが明確になったと言う(村上1991b)。

 ここで明らかになった「探す」というテーマは、後の作品の中でも主要なテーマの一つとなっており、『1973年のピンボール』は、ちょうど一作目と三作目の間の橋渡し的な意味を持ったと考えられる。

 初期ニ作品は、すでに述べたように、それぞれ英語を学ぶ日本の学生向けにアルフレッド・バーンバウムによって英訳されたものが日本国内では出版されているものの、海外での刊行は、本人が長年認めなかった。この点について、青山は、1991年に発行された雑誌『Mインク』に掲載された、村上の長いインタビューの中の、次のような記事の一節を紹介している。

「残念なことに『羊をめぐる冒険』に先立つ2冊を、ムラカミは、未熟な作なのでここで出版するおどのものではない、と考えている。村上はその2冊を忘れてしまいたいのだ。・・・」(ダニエル・マックス(青山1996、p.89))

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