『マンガ論争勃発』1
<『マンガ論争勃発』1>
図書館で『マンガ論争勃発』という本を、手にしたのです。
日本のマンガ文化といえば、クリエイティブかつ貧乏な文化であるが・・・
ちょっと古い本ではあるが、そのあたりを見てみましょう。
大使は、以前コミックマーケット会場に踏み込んだことがあるが、もうひとつ乗れなかったのです。
「第二章 日本コンテンツを支える同人文化」でコミケ事情を、見てみましょう。
図書館で『マンガ論争勃発』という本を、手にしたのです。
日本のマンガ文化といえば、クリエイティブかつ貧乏な文化であるが・・・
ちょっと古い本ではあるが、そのあたりを見てみましょう。
【マンガ論争勃発】 ![]() 永山薫, 昼間たかし著、マイクロマガジンシャ、2007年刊 <「BOOK」データベース>より もしも明日マンガ狩りが始まったら…?商業誌・同人誌を取り巻く、マンガ文化の危機。表現規制問題と著作権問題、自主規制の意味とは。そして、マンガ文化のあるべき姿とは。 【目次】 序章 人の話を聞く/第1章 マンガは世界に広がっている/第2章 日本コンテンツを支える同人文化/第3章 マンガと著作権/第4章 表現の現場から/第5章 有害とワイセツ/第6章 規制と自主規制の現状/第7章 表現の自由と規制/第8章 マスコミとマンガ文化/終章 マンガの自由 <読む前の大使寸評> 日本のマンガ文化といえば、クリエイティブかつ貧乏な文化であるが・・・ ちょっと古い本ではあるが、そのあたりを見てみましょう。 rakutenマンガ論争勃発 |
大使は、以前コミックマーケット会場に踏み込んだことがあるが、もうひとつ乗れなかったのです。
「第二章 日本コンテンツを支える同人文化」でコミケ事情を、見てみましょう。
p57~58 <第二章 日本コンテンツを支える同人文化> 2007年の夏コミの入場者数は、延べ55万人。ひとり、1万円買い物をしたとしても55億円の巨大な市場を形成している。 今や、同人誌は受け手があってはじめて成立するコミュニケーション手段としての枠を超えて、ひとつのメディアとして形成っされているのだ。 1980年代「おたく」という言葉は、まだ世間に認知されていなかった。 89年版の『現代用語の基礎知識』『イミダス』には、「おたく」はもちろん、「おたく族」「オタッキー」の姿もない。 (中森明夫「僕がおたくの名付け親になった事情」『おたくの本』1989年) それが、どうしたことか90年代を通り抜け、2000年代の今、それらの用語集的な書籍には「おたく」や「やおい」も当たり前のように掲載されている。そして、爆発的に増加したおたくからは、同人の枠を超えてプロと活動するのは当たり前。それどころか、超がつくほどベテランのプロ作家が自由な表現を求めて、コミケに参加している姿も当たり前のようになっている。 このようにコミケを通して世界を見ればもはや、同人はマイナーではなく、マスとして機能しているようにも見える。もはや、同人と商業の境界線は消滅したといってもよい。 ところが、ふと視点を変えて週刊漫画雑誌を見てみると、同人出身の漫画家をほとんど見かけないという事実もある。となると、やっぱり同人と商業の壁は消えていないのかも…。いやいや、いるところにはいるのだ。なにしろ、同人文化で学んでいるのは漫画家だけじゃない。もはや編集者も、読者も同人文化を知らない人間は、ほとんどいない。 同人文化に染まる必要はないが、それを知らずして、今日の漫画は楽しめない。 <同人誌/コミケ出身のマンガ家たち> 同人作家とプロ作家の境界は、どんどん曖昧になっている。「コミケのために原稿を落としました」というのは、ほとんどギャグの世界だと思うが、じっさい商業誌の続篇を同人誌で描く作家もいる。 それに、経済的に苦しいマンガ家には、確実な現金収入が見込める同人誌を優先する人だっているのだ。また、功成り名を遂げたプロ作家が自由な表現を求めて、同人誌に参入する例も増えている。 ■同人出身作家の活躍状況 もはや、同人誌でスキルを積んで商業誌でデビューするのは、ごく当たり前の話。同人誌は才能を秘めた未来の大作家の宝庫となっているといえよう。それでは、いまプロとして活躍する作家の中で「同人誌出身」とカテゴライズされる人はどのくらいいるのだろうか? 同人誌研究家の三崎尚人さんに聞いた。 三崎さんは、コミケ初期からプロへ移行する人々が多かったジャンルとして学漫を挙げる。 「東京女子大の漫研出身の森川久美さんとか、そこから登場してきた人ですしね。最近でも『名探偵コナン』の青山剛昌さんは日芸、『ネギま!』の赤松健さんも中央大学の漫研出身です」 高橋留美子さんや柴門ふみさんなんかも、出発点は学漫。どうやら同人誌にこだわらず、最初からプロ志向の人々が所属していたと考えたほうが良さそうだ。 (中略) 商業誌による才能の青田刈りがはじまったのも、80年代の前半から。最初に触手を伸ばしたのは、当時勃興しつつあった「ロリコンマンガ」雑誌の編集者たちであった。 (中略) だが、それでも同人からプロへ移行する人の数は、まだまだ限られていた。そんな状況が激変したのは80年代の後半に巻き起こった『キャプテン翼』ブームである。このブームは、同人誌自体の人口を爆発的にふやした。 |
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