『「ユダヤ」の世界史』

<『「ユダヤ」の世界史』1>
図書館で『「ユダヤ」の世界史』という本を借りて読んでいるのだが・・・
この本の目次を見てもわかるように、視点の広さ、歴史の深さ、迫害の悲劇は驚くばかりでおます。


【「ユダヤ」の世界史】


臼杵陽著、作品社、2019年刊

<商品説明より>
「ユダヤ」の人々は数千年にわたって、信仰や記憶を通じて一つに結びついてきた一方で、自らが生きた時代や地域の中で、きわめて多様な姿を見せることとなった。一神教の誕生から、離散と定住、キリスト教・イスラームとの共存・対立、国際的ネットワークの展開、多彩な才能の開花、迫害の悲劇、国家建設の夢、現在の紛争・テロ問題にいたるまで、そこにはこの世界の複雑さが映し出されてもいる。「民族」であると同時に「信徒」である「ユダヤ人/教徒」の豊かな歴史を辿り、さらには、そこから逆照射して世界史そのものの見方をも深化させる。

<読む前の大使寸評>
この本の目次を見てもわかるように、視点の広さ、歴史の深さ、迫害の悲劇は驚くばかりでおます。

rakuten「ユダヤ」の世界史


十字軍の遠征を見てみましょう。

<イスラーム世界から見た十字軍>よりp123~124
 まず、十字軍はイスラームの側からどのように見られているのか。
 イスラーム世界では十字軍は、「西ヨーロッパ諸国による地中海東岸地域に対する遠征・植民活動」という位置付けになっている。第一回十字軍遠征(1096~99年)は、セルジューク朝(1038~1157年)によるキリスト教徒迫害が原因だというかつての説は、現在は否定されており、ほとんどの教科書からも省かれている。ビザンツ帝国(東ローマ帝国)皇帝アレクシオス一世からの要請であったというのが現在の一般的解釈である。

「十字軍」はアラビア語で「サリービーユーン」と言われる。「十字架を持っている人たち」という意味だ。サリーブ(十字架)という言葉はごく一般的に使われており、例えば、とりわけレバノン等にはキリスト教徒が多いため、現在に至るまでサリービーという姓もある。そのように十字軍の末裔と言ってよい人々がたくさんおり、今はほとんど同化しているのだ。

 しかし、同時代的には十字軍はおもに「フランク人」と呼ばれていた。フランク王国(現在のフランス)あら来た人たち、つまり外国人であり、ムスリムではない人という意味である。ムスリムの側からはキリスト教徒という意識はあまりなかったということは間違いないだろう。一部の王や教皇との対立であり、必ずしもすべてのキリスト教徒と対立していたというわけではない。

 したがって全面対決の様相を呈したというより、部分的な問題であったことになる。事実、両者は常に交戦していたわけではなく、しばしば交流もあった。「アッシジのフランチェスコ」が創設したことで知られるフランチェスコ会という修道会は、十字軍時代を通じてエジプト等にも拠点を持ち続けた。
(中略)

 ワットが強調するのは、十字軍は、ヨーロッパが騒ぐほど、イスラーム社会には大した影響を与えていなかった、ということである。ヨーロッパ側は東地中海諸国を占領して喜んでいたが、当時のイスラーム世界の中心、セルジューク朝の事実上の首都はイスファハーン(現在のイラン)にあり、そこから見れば遠い僻地でしかなかった。
(中略)

「ヨーロッパとイスラム世界にとっての十字軍の意義がこうまで違っていることを悟らなかったために、ヨーロッパの有名な歴史家たちでさえ、十字軍がイスラム側の事態に与えた影響を過大に評価した」と、ワットはヨーロッパ側の十字軍史観を真っ向から否定している。



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