『最前線』

<最前線>
父の蔵書を引きつぐものであるが・・・
1999年刊行といえば、購入当時80歳の父の若々しい関心に驚いたのでおます♪


【最前線】


村上龍著、ラインブックス、1999年刊

<Amazon紹介>より
家族、学校、企業…さまざまな共同体が崩壊しているいま、教育、文化、経済など、各分野の最前線に立つ12人の目に映る「現場」の姿とは―。宮崎学(『突破者』)金子達仁(『28年目のハーフタイム』)河上亮一(『学校崩壊』)ほか、それぞれのフィールドで活躍する第一人者を迎えた対談集。

<大使寸評>
父の蔵書を引きつぐものであるが・・・
1999年刊行といえば、購入当時80歳の父の若々しい関心に驚いたのでおます♪

Amazon最前線


アウトサイダーたちの連帯について、見てみましょう。
宮崎学:1945年(昭25)京都府生れ。早稲田大学中退。ヤクザの組長の家に生れ、学生運動、雑誌記者、実家の解体業などを経て、バブル期には地上げに奔走。
p231~234
<はみ出した者たちの「義」による連帯> 
村上:この対談ではこれまで現場にいる方、戦場カメラマンから教育の現場まで、限られたフィールドでレポートを書かされたり、発言されたりしている方に登場してもらっているのですが、宮崎さんの場合は現場といっても百科全書派のようなところがあるので、様々なことをうかがっていきたいと思います。

 いきなり結論めいた聞き方になってしまうかもしれませんが、以前僕が『突破者』を読んで一番感動したのは、結局最後に突破者たちがアジアという視点を得て、何かをまた始められるかもしれないと思うようになったところなんです。これは96年ですよね。

宮崎:そうです。

村上:僕は最近になって、国というような境界が溶け出しているということを強く感じるようになったのですが、あの本の中にはすでにそのことが書かれていた。あの「最後に」という部分をお書きになっているときの心境から聞かせてください。

宮崎:実はあの最後の部分が一番苦闘をしました。それまでは割合スーッと書いていたのですが、最後に何を書こうかと考え込んだ末、結局出口というのはアジアにしかないんじゃないかという結論になったんですが、消去法的に考えていったというのも事実なんですよ。ちょうどそのころは香港の中国返還が話題になっていたのですが、それこそ文化大革命の時代から交流のあった北京大学のエリートたちが香港に逃げてきているというのがあって、彼らに会いに行ったりしてたんです。

 それが94年から95年で、もうお金持ちは海外へ移住を始めたころですが、彼らは逃げるわけにもいかない。で、どうするんだ、と聞くと、大丈夫だと言うんです。どうも彼らは香港が中国化するのではなくて、中国が香港化するのだと、確たる信念を持っているんですね。

 彼らには彼らなりの確信というのがあって、中国本土における闇経済の発達ぶりとかをつぶさに知っているわけです。それでこの流れは変わらない、改革解放という時流の中で起きている資本主義の復活みたいなものへ、驀進せざるを得ないだろうというのがその根拠でした。そういう問題意識から、日本や朝鮮半島はどうなっていくのかな、ということは考えていたんです。村上さんは何年生れでしたっけ。

村上:昭和27年です。

宮崎:それなら7歳違いですね。僕らの世代というのは、どうもアジアというと、冷戦構造があった時代のアジアを頭の中でとらえてしまうところがあるんです。どういうことかというと、マルクス主義的な言い方をするなら、資本がアジアを制圧していくことにどう対抗していくかということで、自分たちの運動があるととらえるわけです。でも実はアジアはそんなものではなかった。

 つまり階級的な見方で分析してしまうと、どうもそこから抜け落ちていく部分のほうが多かったんです。それは何かということを簡単に言ってしまうと民族の問題です。そういう側面もあって、もう一度アジアに出口を求めざるをえないという考えを持つようになりました。

 もうひとつととしては僕は関西の生まれで、在日朝鮮人も在日華僑も多いところで育ちました。中国人や朝鮮人と一緒に遊んで育ったんです。ところが同じように年齢をとっていく中で、そこにはやはり差別もあったし、グレて社会のシステムの中からはみ出していっちゃう人も多かった。

 その中で僕らとの間に生れた連帯感というのは濃いものがあるんですよ。むしろそういう連帯感をアジア的に広げていった場合、いままでの階級闘争至上主義的な連帯感より、ドロップアウトしながら連帯していけるほうが本物じゃないかと思い始めたわけです。僕個人の過去を振り返ってみても、会社を潰したり、ピストルで撃たれたりしたとき、必ず在日外国人がかばってくれた。それとオーバーラップさせてるんだと思います。

村上:学生運動をやられていた当時、中国の留学生と交流があったんですか。

宮崎:そうです。それが全部、文化大革命でぐしゃぐしゃになってしまった。姿を消した人もいたし自殺した人もいました。中国人というのは人口が多いじゃないですか。優秀な人というのは本当に優秀なんですよ。僕と日本語で話しながら、フランス語で原稿を書くようなやつがごろごろいたんです。

 文化大革命の前から、「いまの社会主義はおかしい」という問題意識を持っていた層もいたのですが、それが全部と言っていいほど、どこへ行ったかわからない状態になってしまった。そのへんの思い入れというのもあります。だけど連帯と言っても、何か立派な目的があるわけではない。

 労働者階級の解放というようなお題目があって連帯するわけではなくて、はみ出しているがゆえに連帯できる、と言ったほうが真実です。朝鮮人だって、朝鮮大学に行ってた非常に頭のいいやつがいて、休みになるとよくその実家にも遊びに行っていたのですが、あるときそのお母さんが突然早稲田までやってきて、いなくなったと言うんです。それで下宿まで行ってみたら、本当に飯を食ってる最中にいなくなったというような状態でした。

村上:それは『突破者』にも出ていたエピソードですね。





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