『「日本」とは何か』

<『「日本」とは何か』>
コロナウイルス対応の図書館閉鎖の折、読む本に事欠いてきたので・・・
書棚から、この本を引っ張り出してきたのです。

父の蔵書を引きつぐものであるが、2000年刊行と比較的新しい本であり、「日本人論」では欠くべからざる本であったのが嬉しい♪



【「日本」とは何か】
日本とは
網野善彦著、講談社、2000年刊

<Amazon紹介>より
日本中世史に新たな地平を拓いてきた網野善彦が、編集委員として参加している全26巻の日本通史「日本の歴史」の第00巻として著した日本論である。
これまで自明なこととして扱われていた「日本」の起源と地理的範囲、日本列島に限定されていた縄文文化や弥生文化を、北方アジアや朝鮮半島との関係から見直し、基本的用語を問い直す必要があるというのである。また、主従関係、貨幣制度、差別意識などの地域的相違を明らかにすることで、「均質な日本人」という常識の盲点を指摘している。さらに、記紀神話の豊葦原瑞穂国から、班田収受や公地公民といった律令制度、中世の荘園、江戸時代の士農工商制度、明治の地租改正、戦後の農地改革に至る土地所有制度の変遷をたどることによって、日本は農民中心の農耕社会とする従来の日本社会史に疑問を投げかけている。
有史以来、日本列島は北方アジア、朝鮮半島、琉球列島、中国大陸とダイナミックな交流があり、列島内部でも活発な地域間交流があったことが、現在の「日本」を形づくっているとする。
網野史観の全体像を1冊にまとめた格好の入門書といえる。(堤 昌司)

<大使寸評>
父の蔵書を引きつぐものであるが、2000年刊行と比較的新しい本であり、「日本人論」では欠くべからざる本であったのが嬉しい♪

Amazon「日本」とは何か



倭寇登場あたりを見てみましょう。
p85~87
<倭人は日本人ではない>
「倭寇」は全体として、西日本の海の領主・商人、済州島・朝鮮半島南部・中国大陸南部の海上勢力の海を舞台とした結びつき、ネットワークの動きであった。

 前期倭寇には朝鮮半島の「禾尺、才人」といわれた賎民も加わったとされ、後期倭寇には日本列島人よりもむしろ中国大陸の明人の方が多かったといわれている。そして一方で「倭語を解し、倭服を着る」といわれ、他方でその言語は「倭語でも漢語でも」ないとされるように、「倭寇」は国家をこえ、国境に関わることなく、玄界灘・東シナ海で独自な秩序を持って活動していたのである。

 実際、日本国の政府―室町幕府はこれを弾圧しており、援助などはしてはおらず、東日本の人々は「倭寇」とはほとんど無関係といってよかろう。そして、高麗・朝鮮、明の政府も、室町幕府とともに、陸の秩序を背景にしたこうした海上勢力を「倭寇」、「海賊」として禁圧したのである。

 このように、「倭寇」の実態は国家をこえた海を生活の舞台とする人々の動きであり、「倭人」はけっして日本人と同じではない。それゆえ「倭寇」を日本国による朝鮮半島に対する暴虐と見るのは、まったくの誤りといわなくてはならない。

 中世の「倭人」だけではなく、古く遡って、紀元前一世紀、文献に現れる「倭人」と、日本国成立後の日本人とは、列島西部においては重なるとしても、けっして同一ではない。『魏志』倭人伝に描かれる三世紀の「親魏倭王」卑弥呼をいただく「倭人」の勢力は、たとえ邪馬台国が近畿にあったとしても、現在の東海地域以東には及んでいないと見てよかろう。それはのちの広義の「東国」の地域である。

 さらに降って五世紀の倭王武、ワカタケルは宋の皇帝への上表文で、「東は毛人を征すること五十五国、西は衆夷を服すること六十六国」といっている。ここで「毛人」といわれているのは、「蝦夷」の表現の一つとされ、「毛野」の「毛」とさし、この時期には関東人・東北人など狭義の東国陣であることは間違いない。

 「衆夷」は中部九州以南の人々であろうが、これらの人々のうち関東人と中部九州人は後にものべるように成立当初の日本国の国制の下に入っているので「日本人」であるが、けっして「倭人」ではなかったのである。

 また「倭人」と呼ばれた人々は済州島・朝鮮半島南部などにもいたと見られるが、新羅王国成立後、朝鮮半島の「倭人」は新羅人となっていった。このように「倭人」と「日本人」とが同一視できないことを、われわれは明確に確認しておく必要がある。

 ここで再三のくり返しになるが、あらためて強調しておきたいのは、「日本人」という語は日本国の国制の下にある人間集団をさす言葉であり、この言葉の意味はそれ以上でも以下でもないということである。「日本」が地名ではなく、特定の時点で、特定の意味をこめて、特定の人々の定めた国家の名前―国号である以上、これは当然のことと私は考える。

 それゆえ、日本国の成立・出現以前には、日本も日本人も存在せず、その国制の外にある人々は日本人ではない。「聖徳太子」とのちによばれた厩戸王子は「倭人」であり、日本人ではないのであり、日本国成立当初、東北中北部の人々、南九州人は日本人ではない。

 近代に入っても同様である。江戸時代までは日本人でなかったアイヌ・琉球人は、明治政府によって強制的に日本人にされ、植民地になってからの台湾では台湾人、朝鮮半島では朝鮮人が、日本人となることを権力によって強要されたのである。







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