『街並みの美学』

<『街並みの美学』>
図書館の本を手当たり次第に、借りている大使であるが・・・・
なんか慌しいので、この際、積読状態の蔵書を再読しようと思い立ったのです。

・・・この本を入手した経緯を覚えていないのだが、たぶん古書店か大学学園祭のバザーかなんかだったのでしょう。
とにかく、こんなに堅い本は古書店の100円コーナーに並べてありますね。


【街並みの美学】


芦原義信著、岩波書店、2001年刊

<「BOOK」データベースより>
都市と建築の中間に位置する「街並み」は、そこに住みついた人々が歴史のなかでつくりあげ、風土と人間のかかわりのなかで成立した。世界各地の都市の街並みを建築家の眼で仔細に見つめ、都市構造や建築・空間について理論的に考察する。人間のための美しい街並みをつくる創造的手法を具体的に提案した街並みづくりの基本文献。

<大使寸評>
この本を入手した経緯を覚えていないのだが、たぶん古書店か大学学園祭のバザーかなんかだったのでしょう。
とにかく、こんなに堅い本は古書店の100円コーナーに並べてありますね。

rakuten街並みの美学

恵比寿界隈


著者の原風景を見てみましょう。
p190~193
<記憶にのこる空間>
 同氏(奥野健男)は山の手の恵比寿界隈に育った。彼の家は幅2メートルしかない道に面していて、樹齢三百年に及ぶ欅の大木が二、三十本、家の附近にうっそうと茂っていた。そして鳥や蝉や蛙がすみついていたという。

「こういう山の手の不安定な界隈でも子供は学校とは違う世界、“原っぱ”を持っていた。“原っぱ”は田畑が売地になったところや、屋敷のあとや昔からの家や畑になっていない空地などを指すのだが、そこは学校の成績や家の貧富の差などにかかわりのない子供たちの別世界、自己形成空間であり、そこの支配者は腕力の強い、べいごまもめんこもうまい餓鬼大将であった。ぼくたち中流階級の子はおずおずその世界に入り、みそっかすとして辛うじて生存を許されていたようだった。しかしこの“原っぱ”こそ山の手の子供たちの故郷であり、“原風景”であった」と同氏は述べて、戦前には、東京のような大都会にも、地方に負けない自然との連帯や地縁というものがあったことを指摘していいる。

 私は、同氏の叙述が不思議と自分の育った環境と相似していることに或る種の感銘を以って共鳴するのである。私は東京は山の手、四谷は南伊賀町(現在の若葉町)の西念寺という寺のわきに生れ育った。

 このあたりは、今でこそ全くの都心であるが、当時は寺の境内には銀杏の大木が亭々とそびえ、よく登っては滑ったさるすべりの名木などもあった。
(中略)

 私自身の印象でも、奥野氏の印象でも、不思議と樹木が(欅の大木や、銀杏の大木のようなものが)育った環境と切りはなすことはできない。これはケヴィン・リンチの研究によっても、アメリカ人の人間形成期にとって樹木が重要な契機にんっていることと一致していることがわかる。

 ということは都市の居住環境には、重要な人間形成期に必用と考えられる大樹が少なすぎるということであるとも言える。大樹には多年の風雪に耐えて樹齢を重ねてきた或る種の威厳や気品のようなものがあり、また多年同一の場所に停止しながら生存していることから沈着、忍耐、不羅のような特性があり、動物のように自ら行動できない植物の宿命としての、受容性、客観性のようなものすら感ずる。大樹には確かに、無言にして厳しい父親の目のようなものが光っているのである。

 そして、大樹に接しながら育つ子供たちには、それが強く幼少期の印象として焼きつけられ、また多くの教訓をその中から読みとることができるのである。それは旅行の途次見ただけの大樹ではない、春夏秋冬、雨や風に耐え、そこに住みつき、そこに育つことが必要なのである。その他、ケヴィン・リンチの研究によれば、築地塀や石だたみのような屋外の舗装も強く印象に残るという。

 確かに私自身の経験によっても、西念寺の土塀や坂道のようなものは印象が強い。ただ舗装は海外の生活では重要なものであろうが、わが国ではそれほどでもないようである。教会前の広場で遊んでいるイタリアの子供たちにとっては、教会前の石の階段や石だたみは、人体と大地との接する硬さの体験から言っても、当然、“原風景”となりうる種類の素材であろう。


ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 0

この記事へのコメント