江南の渋い中国

<江南の渋い中国>
漢民族が嫌いな大使であるが、「江南の渋い中国」は別である。

『日本人の「住まい」はどこから来たか』という本に、中原と江南の違いについて述べられているので、そのあたりを見てみましょう。

『日本人の「住まい」はどこから来たか』2より
江南中国江南

 中国の文化は色とりどりで、チンドン屋のように派手で賑やかなものだ、という見方は近世の中国にかたむき過ぎた見方だといえるだろう。古代から中世にかけての中国文化はもっと渋味のあるものだったようだ。

 おしなべてそうだというのではなく派手な文化もあったであろう。日本でも数寄屋の渋さと安土桃山風の派手さが同時に存在したことを考えれば、文化というものがひと筋縄でないことは確かだ。時代によって表層にあらわれる部分が異なるのである。

 渋い中国ということで江南に注目したい。揚子江下流域から南部にかけては、黄河流域の中原に漢民族の文明がおこった後においても、長く異民族の地であった。ここが中国文明に溶融されるのはおよそ6世紀、南北朝の頃からといわれる。しかしその後においても微妙な差が残された。

 文化の体質というのは、最も基礎的には、風土と生活によって築かれるのであろう。そうだとすれば、中原と江南とではおのずから文化的体質が違って当然といえる。対比すれば、乾燥して寒冷な土地と温暖多雨の土地という気候条件の違いから、麦作と水稲作の違いが生まれ、南船北馬という交通輸送の手段の違いも生じてくる。

 北が苛烈な気質を生むとすれば、南は駘蕩とした気質を生むであろう。これほどの差異があれば、長く異民族の地であったという経過も納得できることだ。


ウーム、著者は中原と江南の違いは異民族と述べるのか・・・
この断定はすっきりしていて腑に落ちるがな♪

『日本人の「住まい」はどこから来たか』1:日朝の縁側についてp66~68
『日本人の「住まい」はどこから来たか』2:日中における風流の思想p163~167
『日本人の「住まい」はどこから来たか』3:引戸主体の形式こそ日本独自p305~309
『日本人の「住まい」はどこから来たか』4:日朝の住まいの違いp26~29
『日本人の「住まい」はどこから来たか』5:日朝の住まいの違いp36~37
『日本人の「住まい」はどこから来たか』6:日中韓の庭園p159~162

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