『古典を読んでみましょう』2

<『古典を読んでみましょう』2>
図書館で『古典を読んでみましょう』という新書を、手にしたのです。
ぱらぱらとめくってみると、古典が言語学的に語られているようで・・・
これが大使の関心をひくわけでおます。



【古典を読んでみましょう】


橋本治著、筑摩書房、2014年刊

<「BOOK」データベース>より
えっ、浦島太郎はじいさんじゃなくて、鶴になったの?一寸法師はじつは性格が悪くてやりたい放題だった?日本の古典は自由で、とても豊かだ。時代によっていろいろある古典が、これで初めてよくわかる。

<読む前の大使寸評>
ぱらぱらとめくってみると、古典が言語学的に語られているようで・・・
これが大使の関心をひくわけでおます。

rakuten古典を読んでみましょう



「四 和文脈の文章と漢文脈の文章」で、和漢の違いを、見てみましょう。
p49~53
<ひらがなだらけで句読点のない文章>
 前回は樋口一葉の文章をチェックしたりいじくったりしました。≪怪しき形に紙を切りなして胡粉ぬりくり彩色のある田楽みるやう、裏にはりたる串のさまもをかし≫ではなくて、「怪しき形に紙を切りなして胡粉ぬりくり、彩色のある田楽みるやう裏にはりたる串のさまもをかし」の方が分かりやすいでしょうとか、全部が読点(、)になってしまっているけれど、≪裏にはりたる串のさまもをかし、≫ではなくて、「裏にはりたる串のさまもをかし。」にして、ここで文章を切った方が分かりやすいとか。

 はっきり言いますが、私は「樋口一葉の句読点の使い方はへんだ」と言っているのです。べつに間違っているわけではなくて、今とは違っているからへんに見えるのです。

 今では文章に句読点があるのは当り前ですが、昔の日本語の文章に句読点はありません。たとえば、平安時代の『源氏物語』の始まりはこう書かれています・・・。

≪いづれの御ときにか女御更衣あまたさぶらひ給ひける中にいとやんごとなきかはにはあらぬがすぐれてときめき給ふありけりはじめより我はと思ひあがりたまへる御かたがためざましきものにおとしめそねみ給ふおなじ程それよりがらうの更衣たちはましてやすからず朝夕のみやづかへにつけても人のこゝろをのみうごかしうらみをおふつもりにやありけむ≫

 どうですか? 見るだけでいやになりませんか? これはほとんど暗号文です。どうしてこういうものを昔の人は読めたのか? それは、文章というものがこういう書き方をするものだということを分かって、慣れていて、そこに「知っている言葉」が並んでいたから、それをピッィアップして意味をとりながら読むことが出来たのです。少し「昔の人」になってみましょう。

 ≪いづれ≫は≪いずれ≫です。「どれかな? どっちかな?」と迷っているのですが、つまりは、どれかの≪御ときにか≫です。≪御ときにか≫とはなんだ? と考えて、この≪とき≫は「時」ではないかと思います。きっと正解ですが、「時」になんだって≪御≫の文字が付くのか。≪御≫は「おほむ=おおん」と読んで、尊敬の意味を表します。

 「時」に敬語が付くというのは分かりにくいですが、そう思うのは、あなたが現代人で「時間というものはみんなで共有しているものだ」と思っているからです。でも昔は、時間というものは「支配者のもの」でした。だから「時」にも敬語が付いて、その敬語は「時を支配している支配者のための敬語」なのです。
(中略)

 こんな風に『源氏物語』の解釈をして行くととんでもないことになってしまうのでやめますが、昔の人がこういう句読点がなくて漢字もほとんどないような分かりにくい文章が読めたのは、昔の人には昔の人なりの知識があって、それで≪いづれの御ときにか女御更衣あまたさぶらひ給ひける・・・≫と続く文章を見ると、文章の中から「知っている単語」がパッパッと浮かんで来て、「意味の分かる文章」になったからです。

 「知っているから分かる」です。「日本語だから分かるだろう? 字が読めるんだろう?」と言われて「はい」というと、あなたは≪いづれの御ときにか・・・≫という文章を読んで、意味が分からなければならなくなります。あなたが「昔の人」ならですけどね。
 ここからはちょっとした引っ掛けです。「日本語だから分かるだろう?」という言い方は、ちょっと微妙です。この裏には「日本語じゃないから分からない」ということも隠されています。ややこしい言い方をすれば、昔の日本語の文章には「日本語じゃない文章」というものもちゃんと存在していたからです。それはなんでしょう? 「日本語の文章じゃないくせに日本語の文章」というのは漢文のことです。

 日本人は、初め文字を持っていませんでした。中国から漢字が伝わって、それで文章が書けるようになりました。だから、日本人が最初に書いた文章は、漢字ばかりが並んでいる漢文です。

 ひらがなやカタカナは漢字から日本人が生み出したもので、その昔の日本人は、漢字ばかりで文章を書いていました。ひらがなやカタカナを使って書かれた文章は、あまり教養のないランク落ちの人が読むものだと思われていて、『源氏物語』がひらがなばっかりなのは、女性の作者が書いた女性向けの読み物で、つまりは女性差別の結果なのです。

 前にも言いましたが、インテリの光源氏が当時の「物語」というものを「下らないもの」と思っている原因の一つは、これがひらがなで書かれていることにあります。


『古典を読んでみましょう』1


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