『ぼくらの祖国』1
<『ぼくらの祖国』1>
図書館で『ぼくらの祖国』という本を、手にしたのです。
この本のタイトルからして、ナショナリズム、領土を考える上で気になったのでおます。
領土という視点で硫黄島が語られているので、見てみましょう。
2007年に観たクリント・イーストウッド監督の『硫黄島からの手紙』です。
図書館で『ぼくらの祖国』という本を、手にしたのです。
この本のタイトルからして、ナショナリズム、領土を考える上で気になったのでおます。
【ぼくらの祖国】 ![]() 青山繁晴著、扶桑社、2015年刊 <「BOOK」データベース>より ぼくは知らなかった。なぜか。日本の学校では、教えないからだ。日本の大人も、語らないからだ、きみも、あなたも、ぼくもみんな日本国民だ。だけど日本をそこく、祖国として考えたこと、はっきり祖国として意識したことが、どれほどあるだろうか。東日本大震災と福島原子力災害が起きてしまった後の日本でこそ、それを問い直したい。 【目次】 明けの星の章/平壌の日の丸の章/永遠の声の章/硫黄島の章/手にとる希望の章/海鳴りの終章/ふしぎの本/重版のための、あとがき <読む前の大使寸評> この本のタイトルからして、ナショナリズム、領土を考える上で気になったのでおます。 rakutenぼくらの祖国 |
領土という視点で硫黄島が語られているので、見てみましょう。
p130~135 <硫黄島の章> わたしたちには忘れたままだった領土がある。しかもそれは東京都の一部だ。首都の一部なのに、ぼく自身も忘れていた。 これはどこだろう。 東京都小笠原村の硫黄島だ。 もう一度、言う。ぼく自身も、外交と安全保障の専門家なのに、この硫黄島をずっと忘れていた。北朝鮮と拉致、中国やイラク、さまざまな問題が忙しくて忘れていた。これを思い出させてくれたのは、皮肉にもアメリカ人である。 2006年秋、アメリカ人のクリント・イーストウッド監督のつくったハリウッド映画「父親たちの星条旗」が公開され、話題になった。これが第二次世界大戦末期、1945年2月から3月の硫黄島の戦いを舞台にしているということは、ぼくも知っていたけれど、この映画にまったく関心がなかった。 勝ったアメリカの側から第二次世界大戦を描いた映画はいっぱいあるから、もはや見たくもなかった。 その頃、出張があって、ホテルでテレビをいつものようにつけっ放しにして原稿を書いていた。 するとクリント・イーストウッド監督がCNNの生放送のインタビュー番組に出てきた。そして「あの硫黄島を舞台にした映画はも一本ある」と言った。驚いた。画面のなかのキャスターもびっくりして、「同じ硫黄島の戦いを舞台にして二本、映画をつくというのはどういうわけか」と聞いた。 クリント・イーストウッド監督は「あの硫黄島の戦いでヒーローだったのは、わがアメリカの将兵だけじゃない、日本の将兵もヒーローだった」と、はっきり言った。そして「ヒーローだったから、二本目は日本の視点で、日本から見た硫黄島の戦いを、硫黄島でロケをして描いた」と続けたのだった。 ぼくは無意識に、いすを蹴り倒して立ち上がり、壁掛けテレビの下に行って、おい、ちょっと待ってくれと、気がついたら声を出していた。ふだん、独り言は言わないのに、声が自然に絞り出ていた。 というのは、硫黄島は立ち入り禁止である。その時も、今も。 ぼくら日本国民が入れない島にアメリカ人が入って、そこで映画を撮った。そしてアメリカの視点でつくったならまだしも、「日本の視点だ」というのは「ちょっと待ってくれ」となる。 なぜなら、もしもその視点がずれていたら、アメリカ人の見た硫黄島の戦いなのに、日本人から見たかのように、間違った硫黄島の戦いが子々孫々までずっと伝わっていくことになる。 人気の監督だからこそ、大変だと思い、出張から戻ってすぐに防衛庁に行き、長年つき合ってきたある幹部と会い「ぼくを硫黄島に入れてください」と求めた。 すると幹部は、あっさり「いいですよ」 ぼくは、防衛庁も官僚主義のはずが急に、聞き分けがよくなったとびっくりしたら、幹部は両手を振りながら、こう話した。 「いや、青山さんね、毎年一回、遺骨収集という名目でね、限られた場所だけれど、そこに遺骨収集団も行ってもらっているし、それからNHKのテレビもそこに行ってもらっているし、それから国会議員とか有識者で硫黄島に行きたい人がいたら、そこに行ってもらっているから、そこに行けますから、そのリストに名前を入れますからちょっと時期を待ってください」 ぼくは即座に答えた。 「とんでもない」 どうしてか。 幹部の眼を見て話した。「硫黄島が立ち入り禁止なのは、政府が国民に見せられないことがあるからですね。防衛庁・自衛隊にとっても都合が悪いことがあって立ち入り禁止になっている。島全体が基地だから立ち入り禁止だと、表向きはそうなっているけど、それだけが理由じゃないでしょう。あなたが言っているのは、見せてもいい部分をつくって、そこだけ見せて、テレビの硫黄島特集といっても、そこの映像が中心で、それでは本当じゃない。ぼくを1日でいいから自由に歩かせてください。自由に歩いて国民のかたがたに硫黄島は本当はこうでしたと伝えたいんです」 幹部は声が急に大きくなった。 「そんなことできるわけないでしょう。あなただけ入れたら、あと、どんなことになるのか、今までもいっぱいね、来たよ。プライドばかり高い有名なジャーナリストとか、そういう人も入れねばならなくなって、大混乱するから、とにかく駄目だよ。(後略)」 |
2007年に観たクリント・イーストウッド監督の『硫黄島からの手紙』です。
【硫黄島からの手紙】 ![]() クリント・イーストウッド監督、2006年制作、2007年観賞 <大使寸評> せりふは全て日本語であり、役者は全て日本人だし・・・ 見終わったあと、これはアメリカ人監督の作った映画だったんだとあらためて思った。 確かな考証があり、日本人が見ても違和感のない“日本映画”であったと思うが・・・・ まず感慨を覚えるのはこのような“日本映画”を作ったアメリカ人とは? 監督とは、脚本家とはどんな人なのか?ということです。 goo映画硫黄島からの手紙 |
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