『奇っ怪建築見聞』1

<『奇っ怪建築見聞』1>
図書館で『奇っ怪建築見聞』という本を手にしたのです。
モノクロの写真や画像が多い本であるが、冒頭に水木しげるの漫画を配しているのが異色の構成である。


【奇っ怪建築見聞】


水木しげる、他著、角川書店(同朋舎)、2001年刊

<商品レビュー>より
狂える家、二重螺旋の塔、奇想建築、実在する幽霊屋敷、江戸の怪建築など好事家たちが誘う、妖しと怖し9つの旅。(アマゾン紹介文)

<読む前の大使寸評>
モノクロの写真や画像が多い本であるが、冒頭に水木しげるの漫画を配しているのが異色の構成である。

rakuten奇っ怪建築見聞


中世に、二重螺旋の構造で塔を建てた宮大工がいたことに驚くわけでおます。
p41~46
<二重螺旋の塔、会津栄螺堂に上る> 
 18世紀末、会津若松に建立された旧正宗寺栄螺堂。
 世にも珍しい二重螺旋構造を持つこの塔と、建築家毛綱毅氏との出会いは、20年ほど前になる。

 毛綱氏は、こう語る。
「三次元にありながら四次元。二重螺旋とはつまり、異界表現の構造である。その運動はDNAを刺激し、全国観音霊場の記憶を内部に凝縮する」

 その特異な構造が持つ<意味>を伺いながら、私は毛綱氏と実際に螺旋を歩くことにした。



■天空に上昇する奇怪な仏堂
 会津の栄螺堂は、会津若松の市街地を見下ろす飯盛山中腹にそそり立つ。見上げると、ひさしが渦を巻いて天に伸び上がるような感がある。まさしく<異形の建築>と呼ぶにふさわしい。

『神聖空間縁起』の「輪廻の廻堂 会津若松栄螺堂」の中で、毛綱氏はその特異な文体で次のように記している。
国破れて山河あり、若松城の炎上に時代の終焉と己の生命の燃え尽きるのを重ねてみた少年達の無垢な感傷にふさわしからぬ異形の建築が、ここ飯盛山の中腹にはございます
とぐろを巻いた六角のねじの塔。人呼んで栄螺堂


 一般に「栄螺堂」といわれるのは、秩父・西国・東国の観音札所の本尊を写し、一堂に集めた巡礼堂のこと。螺旋状の堂内をぐるぐる回って上がりながら参拝するので。こう名付けられた。

 一番最初の栄螺堂は、安永9年(1780)に建立された、本所五つ目の天恩山羅漢寺に造られた三匝堂。広重の『東都名所』や『江戸名所図会』、北斎の浮世絵にも描かれるほどの、江戸の名所中の名所であった。

 三匝堂は、その構造から俗に「栄螺堂(江戸の人々は、それを「さざゐ堂」と訛った)」と呼ばれ、内部には一階に秩父、二階に坂東、三階に西国、それぞれ三十三番札所の観音像があり、一番上の大きな観音像と合わせて、全部で百体の観音像が安置されていた。ぐるぐると回りながら「巡礼」を終えると、富士山が見渡せる見晴らし台に出るのである。

 その後、関東周辺にいくつか建てられたが、現存するのは群馬県太田市の曹源寺、埼玉県児玉町の成身院、青森県弘前市の蘭庭院と会津若松の四つである。そのうち会津若松を除く他の三つが本所の三匝堂とほぼ同じ形式であり、会津の栄螺堂だけが、二重螺旋の階段を持つ非常に特殊な建物となっている。

 毛綱氏によれば、栄螺堂も含めた怪建築は、徳川五代将軍綱吉による巨大ケンネル「犬屋敷」を皮切りとして、享保時代に入ると目立って建てられるようになったという。なぜこの時代に、それらが出現したのだろう。

 人間には異界をのぞきたいという、根源的な願望がある。享保年間は人口が爆発的に増加し、都市部が傍聴せざるを得なくなった時代。それまでは、都市を囲む自然が水平空間の「異界」として存在していた。しかし都市の拡大、自然の減少により、都市内部に垂直空間としての異界…怪建築を持ち込んだ。
「栄螺堂も、そのひとつです」
 と毛綱氏は解く。

 そして二重螺旋。赤と青の螺旋が二本、からみあってグルグル回る、あの理髪店のシンボルといえばわありやすいだろうか。二重螺旋の階段はレオナルド・ダ・ヴィンチの素描にあり、バロック建築にも実例が見られる。そこで、一説によれば会津栄螺堂の発想は、遠くダ・ヴィンチまで水脈をたどることができるのだという。

「当時、すでに西欧の図書がもたらされているので、影響は当然考えられます。会津の栄螺堂を目の前にすると、二重螺旋のスケッチを目にした棟梁が刺激されて、腕まくりしている姿が見えるようではありませんか」


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