『「舞姫」の主人公をバンカラとアフリカ人が…』2

<『「舞姫」の主人公をバンカラとアフリカ人が…』2>
図書館で『「舞姫」の主人公をバンカラとアフリカ人がボコボコにする最高の小説の世界が明治に存在したので20万字くらいかけて紹介する本』という長いタイトルの本を、手にしたのです。

おお 表紙全体がこの本のタイトルではないか♪ ちょっとやりすぎではないかと思うが強烈な「掴み」ではある。


【「舞姫」の主人公をバンカラとアフリカ人がボコボコにする最高の小説の世界が明治に存在したので20万字くらいかけて紹介する本】


山下泰平著、柏書房、2019年刊

<「BOOK」データベース>より
漱石・鴎外を人気で圧倒しながら今では知名度ゼロの“明治娯楽物語”。その規格外の世界をよみがえらせる。朝日新聞&ジブリも注目する異才が描く、ネオ文学案内。

<読む前の大使寸評>
おお 表紙全体がこの本のタイトルではないか♪ ちょっとやりすぎではないかと思うが強烈な「掴み」ではある。

rakuten「舞姫」の主人公をバンカラとアフリカ人がボコボコにする最高の小説の世界が明治に存在したので20万字くらいかけて紹介する本


「第4章 地獄に落ちそうな勇士ども」から緒方力丸を、見てみましょう。
p127~129
<若き山田一族の秀作「緒方力丸物語」> 
 次に紹介するのは光り輝くヤクザが悪徳キリスト教団を討ち滅ぼす物語だ。
 明治42~43年にかけて刊行された『緒方力丸弘行』『魔風軍藤太』『黒姫山の旗揚』『浪花の大潮』『後の大潮』の五部作で、書名をいちいち書くのも煩雑だから、ここではまとめて『緒方力丸物語』と呼ぶことにする。

 さしあたり『緒方力丸物語』の作者について紹介したいところなのだが、実はこの作品、誰が作ったものなのかすらはっきり言うことはできない。

 クレジット上では、玉田玉秀斎が講演し、前半は中尾甚三郎、後半は山田唯夫が速記者となっている。この三名の作者は、何度か登場している立川文庫と関係が深い。立川文庫は一世を風靡した少年少女向けの講談速記本で、そのシリーズ発刊数は約200巻にも及ぶ。それだけ続いたことからも分かるように、立川文庫は売れに売れ、長く読み継がれた。現代の日本における知名度も、講談速記本の中では抜群だ。

 立川文庫を執筆したのは、今でいうところの創作集団である。玉田玉秀斎がブレーン、玉秀斎の後妻である山田敬がプロデューサーとなり、敬の連れ子たちが執筆するというスタイルであった。山田唯夫は敬の連れ子の一人、彼にとっては玉田玉秀斎は義理の父にあたる。

 中尾甚三郎というのは、おそらく創作集団の一員であった中尾享だろう。海軍中佐の次男で東京麹町の産まれ、正則中学から早稲田大学に入ったが、どうも面白くなく学校を中退してしまい、大阪までやってきたという人物で、それなりに小説なども読み、書き物もしていたようだ。

 『緒方力丸物語』の速記者が、前後半で中尾甚三郎から山田唯夫に変わっている理由は謎だ。当初から共作していたのか、まだ書き手として未熟であった中尾甚三郎が原稿を放り出したため、その後を山田唯夫が引き継いだのかは推測するしかない。

 以上のような理由から、この物語を誰が書いたのか、断定することはできない。とりあえずここでは、山田一族が書き上げたとしておこう。

 書かれた時期も、『緒方力丸物語』を理解するための重要な要素だ。『緒方力丸物語』は、立川文庫が登場する2年前に出版されており、山田一族の修業時代ともいうべき期間に当たる。『緒方力丸物語』は後に立川文庫の作者として名を馳せる山田一族による、若き日の才能の煌きともいうべき作品なのである。

ウーム カバヤ文庫なら読んだことがあるのだが、一世を風靡した立川文庫とやらは見たことがないのです。・・・古本屋で探すしかないで。

『「舞姫」の主人公をバンカラとアフリカ人が…』1

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