『本当の翻訳の話をしよう』1

<『本当の翻訳の話をしよう』1>
図書館で『本当の翻訳の話をしよう』という本を、手にしたのです。



【本当の翻訳の話をしよう】


村上春樹×柴田元幸著、スイッチ・パブリッシング、2019年刊

<「BOOK」データベース>より
【目次】
帰れ、あの翻訳(村上春樹+柴田元幸)/翻訳の不思議(村上春樹+柴田元幸)/日本翻訳史 明治篇(柴田元幸)/小説に大事なのは礼儀正しさ(村上春樹+柴田元幸)/短篇小説のつくり方(村上春樹+柴田元幸)/共同体から受け継ぐナラティヴー『チャイナ・メン』(村上春樹+柴田元幸)/饒舌と自虐の極北へー『素晴らしいアメリカ野球』(村上春樹+柴田元幸)/翻訳講座 本当の翻訳の話をしよう(村上春樹+柴田元幸)

<読む前の大使寸評>
追って記入

rakuten本当の翻訳の話をしよう


翻訳のプロお二人の業界裏話を、見てみましょう。
p67~70
<名訳は迷惑?> 
村上:名訳とは何かという話に戻ると、ある種の邂逅というか、巡り合いというのも関係があると思うんです。野崎さんの訳にも、これはすごいと思うものと、今となっては古いというものに分かれています。それは相性としか呼べないんじゃないかという気がするんです。

柴田:僕は以前から、野崎孝さんはイギリス文学の方が向いていたのではないかと思っていました。だからバースの『酔いどれ草』の擬古文がはまっているんじゃないかと。

村上:なるほどね。あ、そうだ、僕が好きな訳というと、村上博基さんのジョン・ル・カレ。『スクールボーイ閣下』(ハヤカワ文庫NV)は何度も読んでいます。

柴田:すみません、読んでいないんですが、どういうふうにいいんですか。

村上:生き生きしているんです。ジョン・ル・カレはぐしゃぐしゃした変な文章を書く人なんですが、そのぐしゃぐしゃ性を突き抜けると、すごく感じるものがある。そのぐしゃぐしゃ性を村上さんはすごく理解していて、ジョン・ル・カレに対する愛情が満ちている。だから好きなんです。

柴田:妙に読み易くなっているとかではなく?

村上:むしろ読みにくいんです。何言っているかわからないんだけど、それを掻き分けていくと、ああそうか、と。

柴田:原文と比べてみたりしたことあります?

村上:あります。僕も英語で読んだり、日本語で読んだりしているので。

柴田:その村上博基さんの訳は、ぐしゃぐしゃさに忠実なわけですね。

村上:忠実です。端折ってないですね。作ってもないです。英語で読んでもぐしゃぐしゃしているし。
 ミステリーの場合は、この人がこの作品を訳すというのが割と決まっていて、チャンドラーは清水俊二さん、ハメットは小鷹信光さん、ロバート・B・パーカーは菊池光さん。純文学の場合、そこまで決まっていないですね。

柴田:たしかに。でも今、フィッツジェラルドの作品を村上さん以外が訳すのは勇気が要るんじゃないでしょうか。

村上:でも『グレート・ギャッピー』はいろんな人が訳しています。僕は、翻訳はいくつもある中から人が選ぶのが正道だと思っているんです。だから名訳はけっこう迷惑なんですよね。

柴田:名訳は迷惑、名文句ですね(笑)。

村上:名訳だというと、おそれいっちゃって、首に鈴をなかなかつけられない。みんなかしこまって、それをありがたがる。僕は、オリジナルテキストは交換できないけど、翻訳は交換可能、あるいは選択可能だと思っているから、名訳もいいけど、あまり奉りすぎると、問題かなと思う。だから『ギャッピー』の翻訳がたくさん出るのは僕としてはいいことで、その中から選んでくれればいいわけだから。

柴田:そう思う反面、たとえば石井桃子の『クマのプーさん』の訳は本当に素晴らしくて、ああいうのは自分が手を出しても何も新しいことをできそうにないからやってもしょうがないと思うんです。でも、児童文学と純文学とでは翻訳でできることも違うかなあ。

村上:児童文学は難しいけど、詩の翻訳はいっぱいあっていいと思うんですよね。アンビギュアスなものだから、どうとでもとれるし、翻訳者の感性でによって変わっていっていいんじゃないかと。

柴田:エリオット・ワインバーガーというアメリカの翻訳家が、詩は一本訳すだけじゃ駄目で、一冊訳さないと見えてこないと言っています。たしかに、芭蕉の「古池や蛙飛びこむ水の音」という一句を英語に訳しても、An old pond,a flog jumping in, the sound of water 、それがどうしたっていう話で、これだけでこの人が俳句の達人だと思う人は英語圏ではまずいない。でも『おくの細道』を通して読むと、すごさがだんだん見えてくる。

 そういえばワインバーガーも、さっき村上さんがおっしゃったのとまったく同じように「いかなる詩も、可能な限り何度も何度も訳されるべきである。同じ翻訳者が年月を超えてやってもいい。『決定的』翻訳なんてものを信じるのは原理主義者だけである」と書いています。

村上:僕が高校時代に読んだモームの文章で、翻訳不可能な文章はない、人間が理解できないわけがないから、というのがあって、そうかなあと思ったんですよね。




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