『長江有情』2

<『長江有情』2>
図書館で『長江有情』という本を手にしたのです。
ぱらぱらとめくると、カラー写真が満載のビジュアル本であるが・・・
西域に憧れる大使にとって、長江や成都は欠かせないのでおます。


【長江有情】


田中芳樹×井上裕美子著、徳間書店、1994年刊

<「MARC」データベース>より
青蔵高原のタングラ山脈から流れ出て歴史を懐に秘めつつ中国大陸の腹部を貫く大河・長江。麗しき山域・重慶から瞿塘峡巫峡、大寧河を経て西陵峡の終点南津関、宜昌の街まで、写真と文の旅。鮮烈な自然と懐しい人の営みと。

<読む前の大使寸評>
ぱらぱらとめくると、カラー写真が満載のビジュアル本であるが・・・
西域に憧れる大使にとって、長江や成都は欠かせないのでおます。

amazon長江有情



井上さんの三峡下りを、見てみましょう。
p73~74
<大寧河の底に沈んだ石:井上裕美子>
 中国の雨には、やはり漢字の表現が似合っている。どこで降っても雨にかわりはないはずだけれど、しとしとというよりは、「瀟瀟」「センセン」という擬音の方がしっくりとくる。

 川の流れはやはり、ありきたりだけれど「滔滔」だろうか。
 川と雨の両方をじかに目の前にしている今、たいした語彙を持たない頭は漢字の表現力に感心するばかりだ。

 早朝、長江を下る観光船の発着場に立った時の感想である。重慶の東端、朝天門埠頭から直接、出発するものだと思っていたが、晩秋の渇水期のせいか、市街からはかなり下がった川岸にその白い船は待っていた。

 桟橋などと呼べるような場所ではない。かろうじて岸の途中まではコンクリートが打ってあるが、砂地の河原を直接歩き、最後はハシケの甲板を回りこんで乗船する。船は思ったよりも安定はしていたが、それでも足を滑らせるのではないかとひやひやした。季節によって水位が変化するため、固定した桟橋よりこの方が合理的なんだろう。

 音が妙にこもって聞こえるのは、両岸の山に反響するせいだろうか。
 あたりに停泊している、クレーン船や赤錆のういた貨物船から、時おりがんがんと物を叩く音が聞こえるのも、なんとなくうら寂しい。

 空が暗い。
 夜が明けるか明けないかという時間もあるが、昨日からずっと、降ったりやんだりのうっとうしい天候が続いている。

「巴山夜雨」という言葉を思いだした。巴の雨は夜に降る。そうか、ここは巴蜀の地だったかと、ようやく思いあたるのは、歴史地図と現在の風景とがうまく重なってくれないせいだ。

 …子供のころ、中国の古い話をけっこう読んできた弊害かもしれない。歴史上の物語を、志怪小説やなにやかやとひっくるめて、遠いお伽話かないかのように感じているふしが私にはある。ちょうど、水墨画のように単色で描かれた絵と、カラー写真とでは、おなじ風景を写しても別の印象があるのと似ている。

 船の名は「隆中号」
 むろん、三国志の三顧の礼の地名からの命名。まずチェック・インから乗船作業は始まる。この船は、三泊四日を過ごすホテルでもあるのだ。でも、船内の売店の背後に描いてあるのは、白帝城での「託孤遺命」の名場面だったけれど。

 船室は、正直にいって狭い上に古い。清潔ではあるけれど、窓は服務員に申し出ないと開閉ができず、シャワーの栓はきちんと締まらない。でも、こんなものだと思ってしまえば、なんとでもなる。船室は一層目で、水面が近く見えるのがかえってものめずらしかった。ちなみに、船の客室部分は三層。展望室は甲板に乗った四層である。
(中略)

 長年の念願だった長江下りを決行する気になったのは、三峡ダムの完成が97年に迫っていると知ったときだった。

 そんなダムの計画は以前から聞いていたけれど、中国の時間感覚から推察して、着工は十年先ニ十年先のことと勝手に信じこんでいた。影響を受ける範囲を、せいぜい街の三つ四つぐらいだろうとたかをくくっていたのは日本人の感覚だが、そもそもこの環境保護運動のさかんなご時世に、どんな影響を周囲の自然にもたらすかの調査も十分せずに、着工してしまうとは思わなかった。香港返還と同じ年に、上流の大部分が水没してしまうとは予想の外である。
 水没の範囲が広い上、水位の上昇も日本のダムなんぞ比較にならないほど大きい。そして、沈む物も。

 それでも、白帝城をはじめとする三国志関連の史跡が沈むと知った時には、もったいないとは思ったが、慌てるまでのことはなかったように記憶している。私が問題にしたのは、忠県という町だった。

 秦良玉、あざなを貞素。
 日本では無名だけれど、明代の末期、女将軍として明史の列伝にも名を残す人である。 彼女が生れたのが、長江流域の忠県。そこから、やはり長江の支流をさかのぼった石チュウに嫁ぎ、夫の死後、その職を継いだ。やがて明末の混乱の中、男装して軍を率い、あいつぐ地方反乱を鎮圧し北の清の侵入を食い止め、文字通り東奔西走する。女将軍忠貞侯として生涯を終えた時、彼女は七十歳を越し、明はすでに滅んでいたのだけれど。

…長江本流からはずれる石チュウはもちろん、観光名所ではない忠県に立ち寄ることは無理だと覚悟していた。それでもせめて、彼女も見たはずの風景を実際に見ておきたいと願ったのだが…実はほんとうに来られるとも思っていなかった。


『長江有情』1


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