バンド・デシネあれこれR1

<バンド・デシネあれこれR1>
図書館で「バンド・デシネ徹底ガイド」を借りて読んだけど・・・ええでぇ♪
で、この際、バンド・デシネについて、あれこれ集めてみました。

・『フランスのマンガ』
・『闇の国々』読破
・ペータース&スクイテンへのインタビュー
・バンド・デシネ徹底ガイド
・世界マンガ大系(ユリイカ増刊号)
・メビウスの世界
・メビウスつながりで「ブレードランナー」を読む
・宮崎駿とメビウスの対談
・フランソワ・スクイテンがすごい
・追悼メビウス=ジャン・ジロー

アンカル


「メビウス アルザック・ラプソディ」予告編
R1:『フランスのマンガ』を追加


<『フランスのマンガ』2>
図書館で『フランスのマンガ』という本を手にしたのです。
目次を見ると・・・タンタンとBD、太子のツボが二つもあるではないか♪



【フランスのマンガ】




山下雅之著、論創社、2009年刊

<「BOOK」データベース>より
フランスのバンデシネ、アメリカのコミックス、そして日本のマンガ。マンガという形式を共有しながらも、異質な文化の諸相を、複雑に絡み合った歴史から浮かびあがらせる。
<読む前の大使寸評>
目次を見ると・・・タンタンとBD、太子のツボが二つもあるではないか♪

rakutenフランスのマンガ

『フランスのマンガ』2



<『闇の国々』読破>
中央図書館で『闇の国々(3)』を見つけ、図書館内で読破したのです。
この3巻ともそろって置いてあることがないので、結果的に数年かけて読破したものだが・・・
ええでぇ♪

特に、「身体に祖国の地図を持つ女」という着想が素晴らしいわけで・・・
ブノワ・ペータース, フランソワ・スクイテンという二人の協力の成果といえるのでしょうね。


【闇の国々(3)】
闇

ブノワ・ペータース, フランソワ・スクイテン著、小学館集英社プロダクション 、2013年刊

<「BOOK」データベース>より
 影に色がついた男、身体に祖国の地図を持つ女、都市の奇妙な事件を報じる新聞…“闇の国々”の核心に迫る、シリーズ円熟期の第3巻。
 知る人ぞ知るカラー作品の傑作『見えない国境』をついに完全収録。第16回文化庁メディア芸術祭マンガ部門大賞受賞。
【目次】
ある男の影/見えない国境/エコー・デ・シテ

<大使寸評>
この三つの話のなかでは、「身体に祖国の地図を持つ女」という着想にしびれるわけで・・・
ブノワ・ペータース, フランソワ・スクイテンという二人の協力の成果といえるのでしょうね。

rakuten闇の国々(3)

闇



<ペータース&スクイテンへのインタビュー>


ペータース&スクイテン 創作し続けるためにより
<ようやく日本で脚光を浴びたBD界の大御所>
2012年の文化庁メディア芸術祭マンガ部門大賞には、ブノワ・ペータース(原作)とフランソワ・スクイテン(作画)の『闇の国々』が選ばれた。1997年の創設以来、海外の作品が大賞を受賞したのは初めてだ。

『闇の国々』は、1983年の『サマリスの壁』に始まるバンド・デシネ(BD)のシリーズ。以後26年間で12作(番外編を除く)が発表されている。日本語版は第1作から30年近くを経て2011年末にようやく刊行された。3作を1巻にまとめた400ページという大冊だが、あの浦沢直樹氏が出先で見つけて衝動買いしたというエピソードまである。その後、4巻まで続刊が出ることが決まり、シリーズの全12作が日本語で読めることになった(2013年7月末時点で第3巻まで既刊)。

BD

インタビューは、メディア芸術祭での受賞が決まる前、2012年11月に開催された「海外マンガフェスタ」の控室で行われた。

<30年間の集大成が日本で出版>
Q:今回の来日では、たくさんのイベントに出席されていますね。
ペータース:日本に来たのは2人とも今回が5回目。『闇の国々』が出てからは初めてです。日本版を出したShoPro(小学館集英社プロダクション)の仕事は、翻訳や校正から印刷に至るまで非常に優れたもので、大いに気に入っています。だから何としても、それが多くの人に読まれるようお手伝いしたいという思いがありました。

スクイテン:質の高い仕上がりに感動しました。関係者の皆さんがこの仕事に野心的に取り組んでくれたことが感じられたので、私たちもそれに応えて、熱意を示したかった。

ペータース:それと、日本の読者に直接会うという目的がありました。フランスをはじめヨーロッパでは、サイン会を開いて読者と交流することがよくあります。今回は日本で初めてのそういう機会でした。

スクイテン:確かに前回まで、2人の作品は、雑誌などに断片的に掲載されたことはあっても、本にはなっていなかった。

ペータース:このコンビで創作を始めて30年目に、大好きな日本で、その集大成といえるような作品集が出たのは感慨深いです。

スクイテン:そう。私たちの一生が詰まった4巻(笑)。

<違う角度から仕事を問い直す>
Q:日本のマンガの制作ペースとはだいぶ異なりますね。

スクイテン:制作システムそのものが根底から違います。日本のマンガは、雑誌の連載から単行本になり、次から次へと出て、あっという間に30巻、40巻になってしまう。そのペースは驚嘆すべきものです。読者は作品の世界に完全に引き込まれます。ヨーロッパの漫画界にはそれがない。

ペータース:日本のマンガ制作については、アシスタントやタントウシャ(担当編集者)の存在も特徴的です。それで1週間に20ページ描くことだって可能になる。ところがフランソワの場合、大体1ページに1週間かける。アシスタントを付けずに、ひとりで色付けから何から全部やるんです。

スクイテン:日本ほどではないにせよ、最近はフランスでもかなり速いペースで作品を仕上げる若い作家が少なくない。ところが私は、ヨーロッパでもかなり古いタイプに属していて、制作にものすごい時間をかけます。時間がかかるもうひとつの理由は、BD以外の仕事もしているということです。ポスターやイラストから、3D映像、空間デザイン……。

ペータース:私も批評をはじめ、さまざまな活動に取り組んでいます。それが別の仕事の糧になるんですね。常に学んでいられる。例えば私は伝記を書くとき、リサーチしながらその人の世界に入り込むのですが、そこで得られる発見は、必ず創作にも役立ちます。

スクイテン:別の仕事をすることは、もう一方の仕事を違う角度から問い直す機会を与えるように思うんです。BDを描くだけ、という生活はほとんど想像できません。私自身がきっとウンザリしてしまうでしょうし、絵が機械的になってしまう恐れがある。

<同じものを繰り返したくない>
ペータース:かつてベルギーのBDは、同じ登場人物や設定でずっと続くシリーズものが中心でした。たとえばエルジェ(※1) は『タンタン』を、モーリス(※2)は『ラッキー・ルーク』だけをひたすら描いた。もちろんこれは批判ではまったくありません。ものすごい才能がなければできないことです。でも同じことを続けるのは息苦しい。私たちの世代は、この流れに逆らいました。

スクイテン:同じことを何年も続けると、新しいことに挑戦できなくなってしまう。システムが固まってしまう。私たちは、そうならないように努力しています。手が反射的に型通りのものを描いてしまうとしたら、常にそれを壊していかなくてはならない。技法でも、物語のアプローチでも、とにかく何か、これまでにやったことのないものを見つけなければならないのです。

ペータース:私たちは、同じシリーズでも1作ごとに違うことをやってきました。白黒だったり、カラーだったり、古典的だったり、絵物語風だったり。同じものを繰り返したくないという思いからです。もちろん、たまには意図的に繰り返すことだってある。しかし、常に新しい挑戦、新しい喜びがほしい。登場人物を別の話に再登場させることはありますが、基本的にストーリーは1話で完結します。

<東京は複数の次元持つ驚きの街>
Q:日本への旅行は創作にどのように反映されますか?

スクイテン:日本から触発されることは多いです。10年前には旅を専門とするフランスのグラフ誌が、BD作家10人のイラスト紀行という企画をやりました。それぞれが世界各地の描きたい場所を選ぶのですが、私は迷わず富士山を選びました。あの荘厳な姿を描くのが夢でした。

ペータース:2人の作品としては、近未来の東京を舞台にした話もつくりました。空の上に料亭があって、透明な床下を鯉が泳いでいる(笑)。そういえばフランソワは、初めて日本に来たとき、空に電線が複雑に張りめぐらされている様子にびっくりしていたね。

スクイテン:絵描きにとっては驚きの街です。東京というのは複数の次元をもつ都市。これまで4回来たけれど、そのたびに違う顔があって、まだわからない。真の世界都市だね。ブリュッセルから来ると、街の大きさや人の数がケタ違いで、くらくらします。

ペータース:街の景観が変化していくのもおもしろい。道路の上に高速道路を建ててしまうとか、パリやブリュッセルでは考えられないことですね。どっちがいいとか、悪いとかでなく、さまざまな違いを感じ取るのが旅のおもしろさ。その結果が作品に直接反映されるとは限らないけれど、ずっと後になって絵や物語の中に断片が現れてくるということもあるんです。





<バンド・デシネ徹底ガイド>
これ1冊でバンド・デシネの全てがわかる優れものである。
個人的には谷口ジロー、松本大洋のインタビュー、BD通が選ぶ必見バンドデシネが良かったけど。
それから、メビウスの紹介も充実しています。


【バンド・デシネ徹底ガイド】
BD

原正人編、玄光社、2013年刊

<「BOOK」データベース>より
データなし

<読む前の大使寸評>
リドリースコット作『ブレードランナー』はメビウスの漫画に触発されて作られたそうです。
それだけ、メビウスのインパクトは大きかったわけで…
メビウスがバンド・デシネ作家であることや、バンド・デシネという言葉も後から知った次第です。
宮崎駿監督も影響を受けたようですね。

rakutenバンド・デシネ徹底ガイド


この本を読んで、個人的に読みたい本をメモしておきます。
・B砂漠の40日間:メビウス
・闇の国々:フランソワ・スクイテン
・ピノキオ:ヴィンシュルス
・氷河期:ド・クレイシー
・あと、追記予定



<世界マンガ大系(ユリイカ増刊号)>
最近になってバンド・デシネ(BD)が隆盛してきたが、2013年あたりがBD大ブレイクの時期だったようですね。
この本の表紙に表れているように、メビウス亡き後はフランソワ・スクイテンあたりがBDを牽引しているようです。


【世界マンガ大系(ユリイカ 増刊号)】
BD

ムック、青土社 、2013年刊

<内容紹介より>
マンガという形態はどこまで拡張されるのか、そもそも「マンガ」という形式はどのように定義されるのか。 近年のグラフィックノベルやBDの翻訳紹介はめざましく、質量ともに勢いを増し、日本のマンガは「Manga」と称され、海外のランキング上位に飛び出すことももはや珍しくない。 自生続ける「マンガ」を軸に、海外マンガ(グラフィック・ノベル、BDなど)の最前線を追う。

<大使寸評>
2013年3月時点のBD紹介はピークと言えるほど、充実している。
本の表紙に表れているように、メビウス亡き後はフランソワ・スクイテンあたりがBDを牽引しているようです。
(この本は2014.2.28アマゾンで発注し翌日入手した。アマゾンの動きはさすがに快適である)
amazon世界マンガ大系(ユリイカ増刊号)


この本からBDの潮流あたりを紹介します。

<BDははたしてアートなのか?:原正人>p216より
 ここ数年でBD翻訳の数は飛躍的に増えた(とはいえ、フランスにおける日本マンガの翻訳量と比べたら些細なものである)。巨匠たちの作品がようやくきちんとした形で出版されるようになった一方で、新しいBDも少しずつだが紹介されている。BDはアートだと評価されることが多く、実際、そう評されても不思議がない作品が翻訳されることが多いが、実は、これは必ずしもフランス語圏におけるBDの実情を反映したものではない。ここ数年のフランスにおけるBDの新刊刊行点数は年4千点前後、そのうち翻訳でないフランス語圏発の作品は全体の40%ほどである。
 売れ筋は冒険もの、ミステリー、SF、ヒロイック・ファンタジー、ユーモア、古典的名作の続刊などで、それらはほとんど翻訳されていない。アート的な作品がBDの一端を担っていることは間違いないが、それでBDを代表させてしまうのはさすがに行き過ぎだろう。最近では、BDの伝統に連なるものだけでなく、イラストとの境界が曖昧なブログ発のBDや日本のマンガやアニメに影響を受けた作品も現れてきている。


BDについて、クールジャパンの視点で見てみましょう。

<BDと文化資本:古永真一>p170~172より
 ピエール・ブリュデューによって有名になった言葉だが、社会学には「文化資本」という考え方がある。文化資本とは、端的に言ってしまえば金銭以外の個人的資産としてカウントされるような学歴や教養のことである。その他、お金を表わす「経済資本」、広義の人脈を表わす「社会関係資本」がある。
 (中略)
 「社会関係資本」については、BDの翻訳や紹介だけでなく、イベントやネットワーク作りにも長けている原正人のような研究者の活躍は特筆すべきものがある。また大友克洋、浦沢直樹といった当代きっての漫画家によるBD作品に対する高評価や、夏目房之助のような著名な研究者がBDに対して好意的であることも大きいと思う。その他「BDクン」の献身的な暗躍に象徴されるように、ネット上の口コミの評価も影響していることも記しておきたい。

 さて問題の「文化資本」だが、ブルデューによれば3種類の文化資本が定義されている。一つは楽器や蔵書のような「客体化された形態の文化資本」である。DBの原書や翻訳書のような出版物がそれに相当する。マンガということでDBの翻訳書を購入しない図書館もあるようだが、これは大衆文化の消費財としてのマンガという旧来のイメージに囚われた杓子定規の判断ではないだろうか。そのような図書館もなぜか古典ということで手塚治虫の作品は収蔵していたりする。一体どのような線引きをしているのだろう。

 次に言葉遣いや身振りやセンスとして現れる「身体化された形態の文化資本」である。今のところBDの翻訳は、文学性や芸術性の高いものが注目を浴びている。これはフランスやベルギーという国にみられるヨーロッパの文化的なイメージとそれに関連する出版戦略と無縁ではあるまい。『闇の国々』の日本語版のデザインも原作者が感嘆するほど洗練されており、紙も贅沢なものを使っているそうだ。したがって一冊の値段が約4000円という安くはない価格設定なのだが、幸いにも高評を博した。もっとも原書3冊分の合本ということや、そこに投入されている翻訳などの労力や経費を考慮すれば、けっして高くはないのだが。

1枚フランソワ・スクイテンの画像を1枚♪

 しかもこのシリーズの場合、作画担当のフランソワ・スクイテンの労力は半端ではない・・・。いずれにせよ、コンビニで唐揚げ弁当と一緒に買うマンガ雑誌とは異なる「何か」がBDには見られるけれども、その一端は文化資本の概念から窺うことができる。念のために付言しておくと、その「何か」とは別に作品の優劣の判定の土台となるべきものではなく、BDが現在の日本市場に見いだした販路をブルデュー風の言い方で述べたに過ぎない。
 以前に『モーニング』でBDが紹介されたときにあまりうまくいかなかったのは(その先駆的で野心的な取組みは大いに賞賛されるべきだが)そのあたりの差別化ができなったことが一因だったと思われる。ひとつの雑誌のなかで『沈黙の艦隊』や『ナニワ金融道』のような人気作品と一緒に掲載されるとなると、BDならずとも頭角を現すのは難しいのだ。

 最後に、学歴や免状のような「身体化された形態の文化資本」があるが、これについてはBDと大学教育という見地から触れておきたい。
(以降省略)

この「文化資本」という概念を、日本の役人がどれだけ咀嚼して認識しているかはなはだ疑問なんですね。
なるほど立派な条文は書けるけど、とにかく省益優先であり・・・臣民とか文化は二の次になるわけですね。


この本からメビウスのあたりを紹介します。

<メビウスとアニメーション:土居伸彰>p209~210より
 バンドデシネの巨匠ジャン・ジロー(メビウス)は、アニメーションとのつながりが深い。先ほど少し触れた『ファンタスティック・プラネット』の監督ルネ・ラルーは、『時の支配者』(1982)で、メビウスとコラボレートしている。1974年、『メタル・ユルラン(吼える金属)』誌が創刊された。マンガがカウンターカルチャーの文脈で受容されるのに大きな役割を果たした雑誌である。そこで中心的な存在だったのがメビウスだ。『時の支配者』は、ラルーが『メタル・ユルラン』で活躍するマンガ家たちと共にアニメーションを作る企画をきっかけとするもので、メビウスが出してきた傍役たちのアイデアの豊かさに感銘を受けたラルーは、メビウスとともに長編アニメーションを作ることになった。
 アニメーション制作は予算の都合でハンガリーのスタジオで行われることになり、ラルーがその出来の粗悪さに辟易した一方、メビウスは自分の絵が動くのを初めて観た感動で涙を流したと言っている。
 
 メビウスはその後、アニメーション制作に着手している。『メタル・ユルラン』を一躍有名にした自作『アルザック』をテレビ向け作品として蘇らせたものが、2002年の『アルザック・ラプソディー』であり、メビウスはこのシリーズの監督、脚本、デザイン、プロデュースを担当している。『アルザック』の原作は精緻に描きこまれたSF世界を、台詞を使わずに大胆なコマ割りで見せていくものだった。一方、『アルザック・ラプソディー』は、どちらかといえばシンプルな描画を用い、ナレーションをベースにしている。原作の真逆なのだ。しかし、驚くべきことに、このシリーズにおいてメビウスの世界の豊かさは失われていない。そこにはスケール感を感じさせる構図の取り方が大きな役割を果たしていると言えようし、また、3分半のミニエピソード集というミニマムかつ反復的な構成が、それぞれのエピソード間の連続性が織りなすひとつの大きな宇宙の存在を感じさせ、非常に「機能」していると言うことができるかもしれない。

 メビウスの『アルザック』の掲載誌『メタル・ユルラン』は、これまでアメリカからフランスという一方向のみだったコミックスの流れに一石を投じた。1977年に創刊された『ヘヴィメタル』は、『メタル・ユルラン』の英語版として発行され、メビウスをはじめとしたフランスのBD界の才能を北米に紹介した。1981年のアニメーション『ヘヴィメタル』は、この雑誌から生まれた劇場用長編である。


BDという言葉を知る前からメビウスを知っていたのだが、それだけメビウスの存在が図抜けていたんでしょうね。

メビウスについては漫画あれこれ1でとりあげています。この記事も「漫画あれこれ3」に収めておきます。



<メビウスの世界>
最近になってフランスの漫画作家メビウスを知ったのですが・・・
おお 松本大洋と似たテイストやんけ♪ 
(松本大洋がメビウスの画風に影響をうけていると言われておるそうです)

松本より先行していたかも知れないが、なかなか、いい味出てますね。

メビウス1

メビウス2

メビウス3

メビウス・ラビリンス
ロング・トゥモロー
Moebius met sa patte sur“Télérama”!
バンド・デシネの巨匠メビウスさん死去 マンガ家の大友克洋さんら追悼ツイート

松本大洋のナンバーファイブをおまけだ♪
ナンバーファイブナンバーファイブ




<メビウスつながりで「ブレードランナー」を読む>
メビウスとブレードランナーをつなぐということで、『ブレードランナーの未来世紀』という本を読んでいるんですが・・・・


【ブレードランナーの未来世紀】
ブレードランナーの未来世紀
町山智浩著、洋泉社、2006年刊

内容(「MARC」データベースより)
保守的で能天気な80年代ハリウッド映画の陰で、スタジオから締め出された映画作家たちは、異様な悪夢の世界を描いた映画を作っていた。その理由を、入手可能な資料と監督自身の言葉を手がかりに解きほぐす。

<大使寸評>
ブレードランナーの原点はディックの小説かと思っていたが、メビウスの漫画だったのが意外でした。

Amazonブレードランナーの未来世紀


メビウスとブレードランナーをつなぐものとして、『ロング・トゥモロー』という短編の漫画があったのです。
ブレードランナー誕生秘話とでも言うんでしょうか♪


<ロング・トゥモロー>p229~230
ロング・トゥモロー

 リドリー・スコットとハンプトン・ファンチャーは80年4月、ハリウッドに合宿して脚本の練り直しに入った。
「映像においてスタイルはテーマそのものになる」
それが、CM出身のスコットのポリシーだ。彼は、まずファンチャーに尋ねた。
「窓の外はどうなっている?」
『ブレードランナー』の舞台はどんな世界か、と訊いたのだ。ファンチャーが答えられないと、スコットは言った。
「ヘヴィ・メタルだ」

 それは、フランスのコミック雑誌『メタル・ユルラン』の英語版の名で、スコットがとくに意識したのはメビウスが描いた『ロング・トゥモロー』という短編だった。メビウスはスコットの『エイリアン』に宇宙服のデザインで参加している。
『ロング・トゥモロー』はまさに「未来のフィリップ・マーロウ」だ。舞台は未来。主人公のピートは私立探偵。彼は美女の依頼で荷物の回収に行かされ、命を狙われる。ピートはその美女と恋に落ちてベッドをともにするが、彼女の正体はアメーバのように不定形の怪物だった。それは地球大統領暗殺のために異星から送り込まれたスパイだったのだ。タフな探偵の一人称の語り、依頼人の美女の誘惑、そして裏切り。『ロング・トゥモロー』はハードボイルド探偵小説のパターンを未来世界で展開する。
 メビウスは『ロング・トゥモロー』の未来都市を空にそびえる摩天楼ではなく地下に向かって何百層も続く地獄のように描写した。さらに、すべての風景にゴミやガラクタをゴチャゴチャと描きこんだ。それはそれまでのSF映画で描かれるピカピカに清潔な未来都市とは正反対だった(ただし、ゴミと手垢で薄汚れた宇宙船なら72年にソ連のタルコフスキーが『惑星ソラリス』で見せている)。

『ロング・トゥモロー』のストーリーを書いたのはダン・オバノン。スコットの『エイリアン』の最初のシナリオを書いた男だ。彼はフィリップ・K・ディックの大ファンで、『トータル・リコール』と『スクリーマーズ』でディックの原作を二回も脚色している。
 この『ロング・トゥモロー』こそが、スコットにとっての『ブレードランナー』の「原作」である。何しろ彼は『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』を読んでいないからだ!


『LongTomorrow』
ロング・トゥモロー
「メビウス アルザック・ラプソディ」予告編



<宮崎駿とメビウスの対談>

宮崎駿とメビウスの対談より
M&M

宮崎:ぜひとも完成させて下さい。今度は上手く行きますよ。

メビウス:ありがとう。
漫画の『風の谷のナウシカ』もアメリカで出版されるそうだね。
とても楽しみだ。
コミックが出版されれば、映画ももっと有名になるはずだしね。
英語で読めるようになるというのもとても有難いことだよ。
本当は、フランスでも出版してもらえると申し分ないんだけれど。
いま、フランスの出版社にそういう話が持ちかけられているそうだよ。
たぶん、興味を示すところが出てくると思う。

宮崎:ありがたいですね。

メビウス:それに、このまま上手く行けば、
また一緒に話す機会を作れると思うんだ。

宮崎:でも、フランス語はからっきしで(笑)

メビウス:心配は要らない。今度は英語で手紙を書くから!(笑)

宮崎:やった、助かります。
ところで、メビウスさんの作品が日本ではまったく翻訳も出版もされていない
というのは、全くゆゆしき事態ですよね。

メビウス:実は、講談社が私の作品を一冊だけ出版してくれていたそうなんだ。
まあ、その後はしっかり音沙汰無しなんだけれども……。

宮崎:音沙汰無し?
そいつはおかしい。何も無いわけが無い!(笑)

メビウス:それが無いのさ。そうそう無いことだよね。
でも、外国の本を出版する時ってのは、大抵そういうものなんだと思うよ。

宮崎:う~ん……、仕方がないですね。でも、ご存知だとは思いますが、
日本にもメビウスさんのファンはたくさん居るんですよ。
フランス語は分からなくても、あなたの絵を見るだけで、
みんなすっかり魅了されてしまうんです。

宮崎:う~ん……、仕方がないですね。でも、ご存知だとは思いますが、
日本にもメビウスさんのファンはたくさん居るんですよ。
フランス語は分からなくても、あなたの絵を見るだけで、
みんなすっかり魅了されてしまうんです。

メビウス:以前日本に行った時に、そういうファンにたくさん出会ったよ。
本当に行って良かった。日本のアニメにもたいへん感銘を受けたね。
本当に、日本はアニメで世界一だと思う。
そして、宮崎駿の作品は、その日本のなかで一番なんだ。

宮崎:(メビウスの賞賛の言葉に感きわまった様子で、
言葉を失っている)

メビウス:本当のことさ。ただ思ったことを言っただけだよ(笑)

宮崎:(笑)




<フランソワ・スクイテンがすごい>
フランソワ・スクイテンのBDがすごい♪のです。
建築家一家に生まれた関係からか、建築デザインを感じさせる知的なテイストがええでぇ♪


『闇の国々2』より
スクイテン

次の「ブリュゼル」は1991年に『(A suivre)』誌で連載が開始され、1992年に単行本として刊行された。「パーリの秘密」では、現実の都市パリとよく似た都市が描かれ、実在の歴史的建築物と思しい建築物が多く登場している。そしてその中の一章「アブラハム博士の奇妙な症例」では、パーリとパリがどこかでつながっていることが暗示されている。一つのトポスを中心にあちらの世界とこちらの世界が表と裏のように、光と影のように存在している。この主題をおそらく初めて組織的に『闇の国々』シリーズの中で展開したのが、この「ブリュゼル」である。選ばれた都市は二人の作家にゆかりの深いブリュッセルである。ちなみにブリュッセルはBruxellesまたはBrusselと綴り、ブリュゼルはBruselと綴る。ブリュッセルの近代化の歴史がブリュゼルのそれとどう重なりどう異なるのか、ペータースの序文と併せてお楽しみいただきたい。.



【闇の国々】
闇

ブノワ・ペータース (著), フランソワ・スクイテン (イラスト)、小学館集英社プロダクション、2011年刊

<商品説明より>
〈闇の国々〉――それは、我々の現実世界と紙一重の次元にある謎の都市群。 ある日突然増殖しはじめた謎の立方体に翻弄される人々を描く『狂騒のユルビカンド』、 巨大な塔の秘密をめぐる冒険から、数奇な運命へと導かれる男を描く『塔』、 未知の天文現象により、体が斜めに傾いてしまった少女の半生を描く『傾いた少女』、 傑作と名高い選りすぐりの3作品を収録した歴史的名作シリーズの初邦訳。 メビウス、エンキ・ビラルと並び、BD界の三大巨匠と称されるスクイテンが、ついに日本上陸。 繊細な描線、計算されつくされた構図、あらゆる芸術のエッセンスを詰め込んだBD芸術の真骨頂!

<読む前の大使寸評>
この本を渇望するのだが・・・・
この本を図書館が買ってくれるだろうか?それが問題ですね。

Amazon闇の国々

闇の国々 試し読み




<追悼メビウス=ジャン・ジロー>
1000planchesの追悼文を紹介します。
本当に惜しい人を、亡くしましたね。


追悼メビウス=ジャン・ジロー(2012/03/11)より
メビウス

昨日3月10日朝(フランス時間)、バンドデシネ界の巨匠でありメビウスの筆名でも知られる作家ジャン・ジロー氏が、癌との長い闘病生活の末、パリにて逝去されました。

ジャン・ジロー名義では写実的な西部劇『ブルーベリー』を描く一方で、メビウス名義では『アルザック』など幻想的なSF作品を生み出し、世界的なビジュアルSFブームを巻き起こしながら、バンドデシネの世界のみならずアメリカン・コミックスや日本のマンガにも多大な影響を与えました。彼がいなければ私たちのビジュアル文化はもっと貧しいものになっていたでしょう。

2009年の来日時、京都と東京で精力的にイベントをこなされる氏の姿は、まだ日本のファンの記憶に新しいところです。2010年末から2011年初頭にかけてはパリのカルティエ現代美術財団において展覧会 MOEBIUS-TRANS-FORME が開催され、日本では2010年に『アンカル』が、2011年に『エデナの世界』が初めて全訳出版されるなど、両国において再評価の機運が高まりを見せていた矢先の訃報でした。一ファンとして、とても残念でなりません。

しかし、メビウスとしての彼はいつでも「宙に浮く」「空を飛ぶ」ことを描きつづけました。その、ひたすら憧れた空へ、ついに旅立つ日がやって来たのでしょう。私たちが祈るまでもなく、その旅は幸福なものであるはずです。
Adieu Jean, bon voyage.

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