『コリアン・ジャパニーズ』1

<『コリアン・ジャパニーズ』1>
図書館で『コリアン・ジャパニーズ』という新書を、手にしたのです。
著者は韓国を代表する知日派ジャーナリストとして、日本の新聞・テレビにも登場することで知られるそうである。ということで、その知日派がレポートする「在日」が興味深いのです。



【コリアン・ジャパニーズ】


池東旭著、角川書店、2002年刊

<「BOOK」データベース>より
いままで誰も指摘しなかった「脱・在日コリアンのすすめ」を大胆に提言。グローバル化が否応なく加速度的に進む日本にあって、在日コリアンのこれからのありようの模索を通して、国際社会とは何かを探る一冊。

<読む前の大使寸評>
著者は韓国を代表する知日派ジャーナリストとして、日本の新聞・テレビにも登場することで知られるそうである。ということで、その知日派がレポートする「在日」が興味深いのです。

amazonコリアン・ジャパニーズ


第1章の冒頭から、見てみましょう。
p14~17
<一 宙ぶらりんの存在> 
■居候と捨て子
 第二次大戦が終わってすでに60年近い。冷戦も終焉を告げた。日本では55年体制に終止符が打たれ、韓国でも独裁政権から民主化政権に移行した。

 だが、日韓の間に、未解決の難問がある。在日韓国・朝鮮人(以下「在日」と称す)の処遇である。在日67万人は、身分的には“特別永住”という、子々孫々に至るまで日本に永住できる資格が認められている“外国人”だ。それと同時に在日は、母国・韓国おいては、キョポ(僑胞)、つまり海外に仮住まいする同胞であるから、いつでも帰ってくれば温かく受け入れるという姿勢が常に示されている。
 
 しかし、両国にとって、ホンネはどうだろう?
 日本にとって在日67万人は出て行って欲しい「居候」だ、と言ってしまえば、言い過ぎだろうか。

 一方の韓国にとっては、もうとっくの昔に捨てた子である。表向きは“わが同胞よ”というポーズをみせてはいても、どうせ在日は「もう帰ってこない」と思っているのだ。いや、「帰ってきて欲しくない」と思っているのが本音に近いかもしれない。

 その結果、在日の処遇は曖昧なものとなり、現在日韓双方の妥協によって、「特別永住権」を与えられた外国人という奇妙で宙ぶらりんな状態にある。この曖昧な処遇の中、在日67万人は、自身を支えるアイデンティティを求めて彷徨っている。異国での偏見と差別の中で生きている在日の痛み、哀しみは限りなく切ない。

 もちろん、タテマエでは在日に対する差別・偏見はないことになっている。本国政府も、在日の地位向上のために手を差し伸べる素振りはみせている。だが、在日に対する差別と偏見は日本ばかりでなく本国にも歴然としてある。これが、在日67万人が目を背けようとしても、いやおうなしに直面せざるを得ない現実なのだ。

■本国の棄民、搾取 
 在日にとって、日本の差別・偏見にもまして哀しいことは、本国の無関心と差別である。
 1945年の解放以来、南北双方ともに、在日に対する本国の政策は、本質的に“棄民”ないし“搾取”だったと言ってよい。いくら美辞麗句でとりつくろっても、これを否定できるものではない。

 戦後、38度線以南の韓国は、在日を援助せず、「捨て子」扱いにしてきた。それにはしかたがなかって面もある。解放後の混乱に続き、1950年から3年間も続いた朝鮮戦争、その後の戦後再建で南は苦闘し、疲弊のきわみだった。南は自分たちが生き残るだけで精一杯で、海外同胞まで顧みる余裕がなかった。

 むしろ、朝鮮戦争で国土が荒廃し家財道具を失った自分たちに比べたら、ましな暮らしをしているジェイル・キョポ(在日僑胞)は、嫉視の対象ですらあった。里帰りするキョポに、本国の人々はよってたかり、本国への送金や投資をねだっては寄生した。

 本国の親戚に対する送金、あるいは事業への投資で成功した在日のケースは稀有で、ほとんどが失敗に終わった。これは、在日に本国の食い物にされたという思いを残した。こうしたやり切れない体験を経て、在日一世の郷愁は次第に幻滅に変わり、感傷は嫌悪に転じた。

 在日の経済力を利用し、食い物にしたことでは、北朝鮮も変わらない。だが、北朝鮮のやり方は一枚上手だった。


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