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zoom RSS 『新潮日本文学アルバム宮沢賢治』4

<<   作成日時 : 2019/04/20 19:42   >>

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<『新潮日本文学アルバム宮沢賢治』4>
図書館で『新潮日本文学アルバム宮沢賢治』というシリーズ本を手にしたのです。
ぱらぱらとめくると、ビジュアル本なので全ページ写真入りなのはもちろんであるが・・・
解説もなかなか読ませる内容になっているのです。

なお、帰って調べてみると(例の如く)この本を3ヶ月前に借りていたのです。で、(その4)としています。


【新潮日本文学アルバム宮沢賢治】


全集、新潮社、1984年刊

<「BOOK」データベース>より
ムックにつきデータなし

<読む前の大使寸評>
ぱらぱらとめくると、ビジュアル本なので全ページ写真入りなのはもちろんであるが・・・
解説もなかなか読ませる内容になっているのです。

rakuten新潮日本文学アルバム宮沢賢治


大正15年〜昭和4年あたりを、見てみましょう。
p74〜80
<羅須知人協会時代>
 社会主義思想・マルキシズムと賢治の関わりについては川村尚三の証言があり、それによるとこのころの賢治は川村にレーニンの『国家と革命』を教えてくれと言って、1時間ほど講義をさせ、そのあと替わって賢治が土壌学を教えるというかたちの交換教授が夏から秋にかけて進められた。

 そして一区切りしたある夜、賢治は《講義してもらったが、これはダメですね、日本に限ってこの思想による革命は起こらない》と断言、翌夜からうちわ太鼓で町をまわったという。

 この年は田植えの頃から、天候不順の夏にかけて、稲作指導や肥料設計は多忙をきわめた。この年の日付けをもつ多くの詩篇には、稲の倒伏への心配や責任感や、倒れたと思った稲がまた起きたときの歓喜など、文字どおりの一喜一憂が反映している。

 また、花巻温泉南斜花壇の設計書をつくり、自ら苗を植えたりしたが、この作業を素材とした詩篇には《食うものもないこの県で/百万からの金も入れ/結局魔窟を存えあげる》などの詩句が見られる。

 また、この秋頃、かねて藤原嘉藤治をめぐる音楽愛好者の集まりに出ていた女性の一人で湯口村の小学校教諭であった高瀬露が、近くに住んでいたこともあって協会によく出入りし、洗濯物や買物の世話など申出ていたが、次第に人の口の端にのぼるようになりまた高瀬の気持ちが昂まってきたのを、つよく拒むようになった。

 高瀬宛書簡下書には、自分がかつて「もし私が今の条件で一身を投げ出してゐるのでなかつたらあなたと結婚したかもしれないけれども」などと云った無考えをはげしく悔やみ反省している。

 後年の中館武左衛門あて書簡にも《旧名高瀬女子の件なれば、神明御照覧、私の方は終始普通の訪客として遇したるのみに有之》とある。

 この年12月、母校盛岡中学校校友会雑誌のための詩「生徒諸君に寄せる」を下書するが、これは断章群の形のまま感性せず、結局「冬二篇」のタイトルのもとに「銀河鉄道の1月」「奏鳴419」を発表している。

 昭和3年2月、第1回普通選挙があり、選挙運動の際は労農党稗貫支部に謄写版一式を提供するなどして陰ながら協力したが、4月になると労農党は日本労働組合評議会・全日本無産青年同盟とともに解散を命ぜられている。

 3月中旬には石鳥谷町に設けた肥料相談所で毎日朝の8時から夕方4時まで休む間もなく肥料設計を行なったが、予定の1週間では相談をさばききれず、30日にも赴いて稲作と肥料についての講演を行なった。


『新潮日本文学アルバム宮沢賢治』3:昭和5年〜昭和8年あたりp84〜89
『新潮日本文学アルバム宮沢賢治』2:大正11年〜15年あたり
『新潮日本文学アルバム宮沢賢治』1:国柱会への入会あたり

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