『ナンギやけれど・・・』2

<『ナンギやけれど・・・』2>
図書館で『ナンギやけれど・・・』という本を、手にしたのです。
この本は阪神大震災チャリティー講演会「ナンギやけれど・・・」の講演禄となっているようです。(1995年4月19日講演)
田辺さんは、震災当時、伊丹市に住んでいたそうで、震度は神戸より軽かったにしろ被災者でもあります。


【ナンギやけれど・・・】


田辺聖子著、集英社、1996年刊

<「BOOK」データベース>より
震災に関するニュースを読んでいるうち、これはどうしても忘れないで、いい伝え、書き伝えしていきたいと思うことがたくさんあった。おびただしい量の情報がやがては忘却の中へ吸いこまれてしまう。それをよびもどし、字にとどめておきたかった。-震災直後の人々のやさしさと哀しみと友情を、自らも被災した著者が記録する感動の震災ノート。

<読む前の大使寸評>
この本は阪神大震災チャリティー講演会「ナンギやけれど・・・」の講演禄となっているようです。
田辺さんは、震災当時、伊丹市に住んでいたそうで、震度は神戸より軽かったにしろ被災者でもあります。

rakutenナンギやけれど・・・

震災


田辺さんが『方丈記』を引合いに出して語っているので、見てみましょう。
p46~50
 随分たくさんのかたがこのたびの大地震で『方丈記』という古典を思い出されたことだと思います。
 私は、天皇さまと皇后さまが廃墟の山になった長田区へお見舞いにいらして、被災者の話を聞かれたり、犠牲者の霊におつむを下げて黙祷されていらしたりしたときに、かえって『方丈記』というのを思い出しました。

 その辺に住んでいる人たちの、これは女性ですけれど、話によると、いろいろな有名な人が見舞いに来たり、視察に来たりなさったけれども、お花を捧げてくださったのは、確か皇后さまが、私の知っている限りでは初めてだったと思うわといっていました。皇后さまは皇居に咲いている水仙をお手ずから摘んで、そこへ供えられたのでございます。そのおやさしいお気持ちが、やっぱり私には、あ、やはり日本民族の伝統を守ってくださる皇室らしいと思ったことでした。

 あの『方丈記』には、皆さまご存じのように、文治元年(1185)の大地震のことが事細かに出ています。『平家物語』にもそれは載っております。山が割れて水が噴き出したそうです。これも全く今の地震と同じでございます。雷鳴のような地鳴りがとどろいて、お寺も見事な大邸宅もありとあらゆるものが覆って圧死者が多く出た。そして火が出ますから、七珍万宝が灰になった。

 その前には、養和元年(1181)の飢饉というのがございました。鴨長明は、それをつぶさに見ております。ちょうど八百年昔になりますけれども、そのときには、京中に食べ物という食べ物がなくなってしまった。この年は天下の大飢饉で天災の上に、源平の戦争のため、糧道が絶たれてしまったらしい。源氏も平家もお米を押さえますので、京へ入ってくるお米がなくなってしまった。京都の餓死者は道ばたに満ちたといいます。薪にも困って、仏さまであろうが、仏壇であろうが、みんな壊して、それを売ってそこばくの米にかえたり、煮たきや暖をとった。それに続いて、大風、つむじ風、また疫病の流行、それから、大地震と続きます。

 鴨長明は、この世ならぬ地獄をずっとその目で見続けたわけでございます。彼はそれによって、<人と住みか>は無常、人生の常ないこと、であると知ります。常ないからこそ、それをいつも考えて、煩悩を断って遁世すれば心も安楽である。すべてを捨てて、大きなものを得た。けれども長明は世を憎んで捨てたのではありません、世を捨てたから人生のたのしいことを知ったのです。より大きな広い愛に生きなければいけない。仏を信ずるということは、そういうことではないかと、そういうふうに私は『方丈記』を読んだのですけれど。・・・
(中略)

 学者の先生がおっしゃるところによりますと、活断層の上にものを建てたら、それはもうどんなに堅固に建ててもだめだそうです。これはえらいことだなと思いました。それじゃ、永久に、日本では安心できるところに住めないじゃないかと、どこに住んでも火宅ではないかと怖くなります。でも活断層の上であっても、また生き直せるというふうな発想を私たちは育てなければいけない、そんなふうに考えたのでございます。それは自分だけが助かろうというのではなく、みんなで手をさしのべあって生きてゆく、という思想です。

 震災と空襲のちがうところはもう一つ。空襲にあった人々は煤と泥だらけで真っ黒になりながら、次から次へと田舎へ脱出していきました。震災では反対に外から肉親、友人を案じて、水と食料を背負った人が、続々と阪神間や神戸をさしてやってきました。寸断された道路を歩きつづけ、瓦礫をふみこえて焦土に入ってきました。

 知人や身内のいない人も「おにぎりあります」と背中に書いて歩きました。それを思えば人間の原型はここにあると思います。活断層の上でも生きられる理由です。


『ナンギやけれど・・・』1

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック