(真山仁のPerspectives:視線)プロローグ

<(真山仁のPerspectives:視線)プロローグ>
 真山仁さんがオピニオン欄で「続く国難“愚直”な国民は英雄を欲した」と説いているので、紹介します。


(真山さんのオピニオンを4/04デジタル朝日から転記しました)


■続く国難、“愚直”な国民は英雄を欲した
 この喪失感は何だろうか。

 それほどまでに、日本が変わってしまったということか。

 変化は悪いことではない。だが、日本列島を貫いていた背骨が抜けてしまったように感じるのだ。

 その萌芽は、バブル経済崩壊の時には既にあった。そして、東日本大震災で、もはや後戻りが出来ないぐらい日本が分裂してしまったように思う。

 「日本は一つ!」
 「つながろう、ニッポン!」

 そう連呼されればされるほど、日本が散り散りになっていく気がした。

 自分は正しいのに他のやつらが社会を壊していく――。そんな自己防衛社会がじわじわと蔓延した。やがて時代の空気とリンクするかのように広がったSNSで、意見の異なる他者を攻撃し、不安を払拭しようとした。

 では、誰が悪いのか。
 政治家、官僚、メディア、インテリ……。一言でいえば、為政者(おかみ)と呼ばれた存在だ。


 日本は「偉大なる“愚民”国家」として繁栄してきたと思っている。それは愚かな国民という意味ではない。国家のかじ取りはおかみに任せて、ひたすら真面目に働き、“愚直”に生きる――。このような社会の成り立ちは、世界でもまれに見る一体感と成長を生んだ。

 ところが、大震災と原発事故という国難の時に、おかみが責任を放棄した瞬間、日本は混乱に陥ってしまった。
 バラバラになった社会は、リーダーを求めるようになった。強く堂々たる英雄を待望した。

 そして、一人の英雄候補が出現した。
 彼が現れたのは、東京・秋葉原だ。戦後、電気街として知られ、平成時代にオタクの聖地に姿を変えた。


 それが、ある日“政治の聖地”に取って代わられた。
 2012年秋、再び自民党総裁に名乗りを上げた安倍晋三の選挙の演説の場として、秋葉原が選ばれた。
 その経緯を知りたくて、朝日新聞政治部で自民党担当が長かった西山公隆(48)に尋ねた。

 「自民党幹部によると、麻生さんから勧められたそうです。あの場所での演説は、自民党の政治家にとっては気持ちいいのです」

 かつて総裁選で、麻生太郎は秋葉原で演説したことがある。自他共に認めるマンガファンの麻生を、同じくマンガを愛するオタクたちが熱烈歓迎したのだ。

 社会と折り合うのがどちらかといえば苦手なアキバの若者からすれば、麻生の呼びかけは、感激だったのだろう。事実、自民党としては、金の鉱脈を手に入れた実感があったらしい。

 「演説して気持ちいい場所」が、選挙戦を締めくくる場所に選ばれるのは、情けないと思う。

 だが、まさにこの瞬間、おかみと“愚民”は一体となったのだ。
 同じ快感を安倍も味わった。そして、秋葉原は、自民党が大勝を続ける縁起の良い場所――安倍の聖地となった。

     *
 今年3月、安倍の聖地を訪れた。
 JR秋葉原駅電気街口のロータリー前だ。平日の午後2時、行き交う人はまばらで、客待ちをするタクシーが数台。どこにも聖地を思わせる特別感はない。
 選挙戦の最終日、ニュース映像で繰り返し流れた安倍の姿を重ねてみる。安倍は選挙カーのルーフに立ち、マイクを握る。

 背後にはガンダムカフェと、AKB48カフェがある。ロータリーはテニスコート1面程度の広さで、立ってみると、野外音楽堂のようだ。選挙カーの上に立てば、向かいの歩道橋に立つ人と目が合いそうだ。

 ロータリーがアリーナ席で、歩道橋は2階席。しかも、ステージが高いから、両方とコール&レスポンスできる。

 この空間で、ほぼ全員が我が名を呼んでくれたら、確かに気持ちいいだろう。その高揚感、わからなくもない。
 とはいえ、ここで口々に安倍の名を叫び、熱狂した若者のいかほどが、投票に行ったのだろうか。

 動員で駆けつけた党員をのぞけば、有名人の野外ライブをのぞきに行く程度の興味で集まった人ばかりだ。
 様子をメディアが報じ、YouTubeやSNSで拡散したことにより、普段は選挙に関心を持たない人たちの目に触れた。その一部が投票に行き、自民党に一票投じたのだろう。

 
■秋葉原、露見した支持の軽さ
 自民党が大勝した13年東京都議選で、安倍の支援者を探った38歳の社会部記者・岡戸佑樹は、自分と同世代の答えを聞いて驚いた。

 「自民党支持が多いようでした。僕らの世代は、停滞し不安と背中合わせの日本社会しか知りません。だから、安倍首相の強気な発言や、経済政策を評価する人が多いのではないか」

 安倍の発言は、日替わりするし、どんどん偽善的になる。しかし、民主党政権で社会がひどくなったと思っている世代からすれば、安倍政権は有言実行しているように見えるのかも知れない。

 安倍の発言には、大きな特徴がある。
 全ての発言を“断言する”ことだ。今まで、おかみは、将来の展望や政策について、100%保証できないから、言葉尻を濁す傾向にあった。

 これは、国民に対しての誠意ではあるが、逃げ腰にも見える。
 安倍はそこを変えた。

 何事においてもきっぱりと断言する。
 「日本を前に進める」
 「地方が主役」


 時と場所が変われば、正反対を断言するが、それを気にする者は、ほんのわずかだ。
 未来を断言する者こそが、英雄だからだ。
 「断言首相という見出しを取ったことがある。でも、それがどうしたというのが、国民の反応だったと思う」

 西山は、明らかに自民党政治が激変したと感じた。
 まさに、分裂時代の英雄登場ということだろうか。
 安倍は、それを自覚している――いや、“していた”。

     *
 しかし、そこに異変が起きる。
 17年7月1日、東京都議選挙の最終日のことだ。

 安倍が聖地である秋葉原で演説中、有権者に徹底的に攻撃され、感情的になり、有権者に怒りをぶつけた。
 こんな人たちに負けるわけにはいかない!
 「首相にとって縁起の良い場所のはずなのに、アンチ安倍が集結して、主戦場にした。もちろん、安倍支持者がガードしたが、それをアンチ派が非難の声で圧倒した。一体、これは何だと思っているうちに、首相のあの発言が飛び出したんです」

 現場にいた岡戸は、そう振り返る。

 その場にいた、アンチ安倍はせいぜい数百人程度だろう。だが、この時の模様もメディアとSNSで拡散して日本中に知れ渡った。そして、自民党は都議選で惨敗した。

 聖地で安倍をたたけば、安倍は倒せる――。
考えてみれば、当然の戦略だ。しかし、国民が待望した英雄なのであれば、その程度で安倍支持が揺らぐはずがない。なのに、一瞬で安倍の支持者が日本から消えたかのような現象が起きた。

 そんな薄っぺらな支持だったとは。
 無論、都議選時には、もう一人の英雄候補として、小池百合子が急浮上したこともあるが、安倍支持の軽さは異様だった。

 その時に思ったのだ。
 安倍も自民党も、メディアも学者も、“愚民”の心情なんてまったく理解できていないのではないのかと。

 彼らは軽いノリで英雄っぽい人物を支持しただけで、怒りや不安のマグマは、それとは別次元で常にたまっているのではないか。

 安定しているかに見える政権が、実は得体の知れない支持に立(りっ)していることが露見したあの日、日本のかじ取りは消滅した。
 だが、日本国民が何を考えているのか、おかみはまったく把握出来ていないかも知れないという厳しい現実を直視し、打開するための言葉を発しなければならない。
(文中敬称略)

     ◇
 戦後我々が「あたりまえ」と思っていたことや「日本らしい」と信じていたことが共通認識ではなくなった。そもそもそんな常識など、今や不要になったようなムードすら感じる。

 その風潮で、日本人が幸せになれるなら、それもよかろう。
 だが、実際は、我々の社会の歪みは大きくなり、息苦しい生きにくい社会に傾斜している。

 同じ時代を生きているという実感を喪失していいのだろうか。そもそも日本で今何が起きているのか。
 様々な視点から、日本の自画像を描いてみたい。その視線の先に、どんな未来が見えるのかを知るために。

 ◇
「2020年東京五輪・パラリンピック」を前に、日本各地の景色が変わっています。景色だけでなく、人々の生き方や価値観も変わりつつあるのではないでしょうか。「ハゲタカ」などの著作で知られる作家の真山仁さんが、移り変わる「いま」を、多様なPerspectives(視線)から考えます。


(真山仁のPerspectives:視線)プロローグ2019.4.04

この記事も 朝日のインタビュー記事スクラップR11に収めておきます。

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