『縄文人はどう生きたか。(Discover Japan 9月号)』4

<『縄文人はどう生きたか。(Discover Japan 9月号)』4>
図書館で『縄文人はどう生きたか。(Discover Japan 9月号)』という雑誌を、手にしたのです。
ぱらぱらとめくってみると・・・
縄文人の造った土偶や土器が独創的で、ええでぇ♪


【縄文人はどう生きたか。(Discover Japan 9月号)】


雑誌、エイ出版社、2018年刊

<商品の説明>より
いま「縄文」が熱い注目を集めています。東京国立博物館では、特別展「縄文-1万年の美の鼓動」
が2018年9月2日まで開催中。会場には「縄文の美」を目がけて、多くの人々が足を運んでいます。
そもそも縄文時代が、実は1万年も続いたことを皆さんは知っていますか?
しかも縄文時代の人々は、自然と共存し、戦争もせず、サステイナブルな社会を築いていました。
そんな豊かな暮らしの中で生まれたのが、あの土器や土偶たち。その造形の美しさ、愛らしさ、不思議さに多くの人々が夢中になっています。

<読む前の大使寸評>
ぱらぱらとめくってみると・・・
縄文人の造った土偶や土器が独創的で、ええでぇ♪

amazon縄文人はどう生きたか。(Discover Japan 9月号)




縄文の美を発見した岡本太郎を、見てみましょう。
p70
<縄文の美はいかにして岡本太郎に発見されたのか>
 大阪万博のテーマは「人類の進歩と調和」だったが、岡本は当初からそれに懐疑的だった。そして、近代的な進歩以前の人間の根源に迫ろうと太陽の塔を構想したのだ。

 一方、大阪万博に携わる15年前、岡本は「四次元との対話・・・縄文土器類」を発表している。この論文で岡本は、縄文土器から「根源的情熱」を感じ取ったことを吐露し、こう絶賛したのだ。
「激しく追いかぶさり重なり合って、隆起し、下降し、旋回する降線紋。これでもかこれでもかと執拗に迫る緊張感。しかも純粋で透った神経の鋭さ。・・・思わず叫びたくなる凄みである」

 太陽の塔の裏手に国立民族学博物館がある。館長の吉田憲司さんは、文化人類学(民族学)とともに美学、美術史が専門。美術史上の事件とまでいわれた「縄文土器論」と岡本の美学の背景を聞いた。
「岡本太郎は、考古学資料としか扱われなかった縄文土器を、はじめて美術の文脈でとらえたのです。われわれが現代慣れ親しんでいる日本美術史は、1900年のパリ万博出展に向けて編纂された『稿本日本帝国美術略史』を踏襲したものですが、そこでは日本の美術は飛鳥時代にはじまり、最初から縄文土器は除外されていたんです。岡本の論文以後、縄文土器は美術史からも論じられるようになりました。本人も縄文時代の土偶によく似た造形をつくっていくのですが、そこには縄文土器に出合う前のフランスでの体験があったことは間違いありません」

「縄文土器論」は「常々芸術の本質として超自然的激超を主張する私」とはじまる。この美学が縄文土器に美を見出したのだが、10年間のフランス滞在で、岡本太郎に一体何があったのだろう?
「岡本太郎は当初は美学を学びましたが、滞在中の1937年にパリ万博があり、その後にミュゼ・ド・ロム(人類博物館)が開館。そこで岡本はフランスがアフリカ、オセアニアの植民地から集めた大量の彫像を見た。そして衝撃を受け、絵筆を折って民族学に没頭していったのです。岡本にとって、アフリカやオセアニアの彫像は、西洋や日本がつくり出した美術の概念の外にある美で、後で出合う縄文土器に通じるものだったのです」

 この美学には先人がいた。パブロ・ピカソだ。岡本は、この30歳年上の巨人と親交を深めている。


『縄文人はどう生きたか。(Discover Japan 9月号)』3:三内丸山遺跡
『縄文人はどう生きたか。(Discover Japan 9月号)』2:縄文のデザイン
『縄文人はどう生きたか。(Discover Japan 9月号)』1:気になった土偶たちや土器

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