(異論のススメ)GAFAの市場支配

<(異論のススメ)GAFAの市場支配>
佐伯啓思さんが、2/01朝日の(異論のススメ)でGAFAについて述べているので、スクラップしたのです。
更に、ブログにも残そうということで、コピペしたのだが・・・
ダブル保管となり、いっこうにペーパーレスにならないのでおます。



(2019.2.01デジタル朝日からコピペしました)


 GAFAと総称される米国のIT大手4社(グーグル、アップル、フェイスブック、アマゾン)が問題となっている。あまりに巨大な市場支配力を持ちすぎたためである。実際には、課税逃れや顧客情報の管理に関する問題等が指摘され、何らかの規制の必要性が論議されている。

 この問題の根は深く、今日の経済を考える上でも重要な論点をはらんでいる。IT系の情報産業がグローバル市場のなかで巨大な市場支配力をもつのは当然のことで、ひとつの理由は、情報・知識は、通常の工業製品とはまったく違うからだ。自動車やテレビなどは、無限に生産を拡大することはできない。生産の拡張もある段階までくれば、追加的な費用が急増するため、いずれ生産の臨界点に達する。

 しかし、情報・知識の場合はまったく違っている。設備も工場も人員も比較的少なく済み、生産や販売に関する費用はきわめて小さく、市場が拡大すればするほど、追加的な費用が減少する。経済学でいう限界費用逓減といわれる現象である。この場合には、ほとんど無限に市場を拡大することができる。

 簡単にいえば、最初にうまく市場に乗った企業は、ほとんど世界中の市場を手にすることが可能となる。当然、市場目当ての広告収入は増加するから、圧倒的な利益を手にすることができる。かくてグーグルの親会社は今日、約12兆円の売り上げをもち、アマゾンは20兆円近い売り上げを誇る。情報・知識産業においては、通常の市場競争原理は適切な結果をもたらさないのだ。

 第二に、情報・知識は、本質的に公共的なものである。ネット上に公開された情報は誰でもが閲覧できる。ツイッターなども公開される。ユーザーが使用したあらゆるデータもその場で消え去るのではなく、蓄積され保存される。つまりこれは本質的に公共性をもっているのだ。にもかかわらず、その顧客データは、特定の企業に独占され、ビッグデータとして私企業によって管理されることになる。ここに、今日の情報資本主義の危うさがある。

    *
 今から40年ほど前、1970年代の後半であるが、製造業を中心とする先進国(特に米国)の資本主義はもはや限界状態にある、といわれていた。製造業中心の工業社会から、情報・知識中心の脱工業社会への移行が唱えられていた。

「脱工業社会の到来」という書物をあらわした社会学者のダニエル・ベルは、来たるべき情報・知識社会とは、市場競争一辺倒の社会ではなく、公共的な計画によって人々の公共的な生活を向上させる社会だ、と唱えた。なぜなら、情報・知識は本質的に公共性を持つため、それは市場競争原理にはなじまないからである。私的利益の対象とみなすよりも、それらを人々の公共的な生活の質の向上のために使うべきだと主張したのである。

 現実には80年代の新自由主義的な市場競争や90年代のIT革命によって、情報・知識は市場で莫大な利益をうむ強力な新産業へと成長した。その結果、GAFAと呼ばれる巨大IT企業が圧倒的な市場支配力をもつだけではなく、今日の社会のもっとも基本的なプラットフォームを形成することで、われわれの生活全般に対して大きな影響力をもつようになった。

 プラットフォームとはインフラストラクチャーである。それは今日の経済のみならず、われわれの社会生活や文化の共通の基盤となっている。いいかえれば、きわめて重要な公共的役割を担う一種の「社会資本」となっている。かくてGAFAはわれわれの生活や文化の全般において圧倒的な力をもつことになった。

 現在、われわれは経済成長率の低下に直面している。消費が伸びないので、政府も産業界もIT産業へ強い期待をかけ、新たな製品開発が急務だと訴える。この新産業革命によって消費を拡張し経済成長を実現しようというのだ。

    *
 だが、われわれが今日必要としているのは、新手の消費財というよりも、むしろ、生活の質に関わるシステムではなかろうか。適切な医療体制の構築、人生の最期の迎え方(介護や終末期医療など)、人間的な力全般に関わる教育システム、高度な専門的学術や基礎研究、家族や地域の健全な人間関係、特に地方における公共交通機関、住環境や職場環境、防災のシステム、伝統的な文化の継承や保護の仕組みといったものではなかろうか。これはすべて公共的なシステムに関わる。そして、これらの公共的なシステムの構築こそは情報・知識の適切な使用と不可分であろう。まさにかつてベルが述べた通りなのである。
 今日、しばしば取りざたされるAIやロボットやあるいは生命科学などという新規の情報・知識も、われわれの生活の質に関わる公共分野でこそ、むしろ大きな効果を発揮するだろう。それは、市場化されれば、どれだけ利益があがり、どれだけ成長率を押し上げるか、という種類の問題ではない。

 ベルが、かつて、情報・知識社会とは、市場競争の効率性よりも、社会的な公正や生活の質が焦点になるべき社会だと述べたことを改めて想起したいのだ。もちろん、その後のITの革命的展開はベルの予想をはるかに超えたものであった。しかし、それでも情報・知識のもつ最も基本的な性格である公共性が失われたわけではない。長い目で見て、ベルの議論がまったく的外れだったとは私には今でも思えないのである。

    ◇
佐伯啓思:1949年生まれ。京都大学名誉教授。保守の立場から様々な事象を論じる。著書に「反・幸福論」など

ビッグデータを駆使する治安維持は中国が注力しているし、かつ得意な分野であるが・・・
これがまさしく情報・知識とかぶる分野であり、日本にとっては置いてけ堀になりつつあるのが気になるのです。

(異論のススメ)GAFAの市場支配2019.2.01

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