3.11復興プロジェクトの挑戦とその射程1

<3.11復興プロジェクトの挑戦とその射程1>
図書館で『3.11復興プロジェクトの挑戦とその射程』という本を手にしたのです。
高台移転や高防潮堤も必用だろうが・・・
完工までのスピードが遅いと被災者の役に立たないわけで、そのあたりがどうなっているか知りたいので借りたわけでおます。



【3.11復興プロジェクトの挑戦とその射程】


伊澤岬、他著、彰国社、2018年刊

<「BOOK」データベース>より
本書は、3・11復興へ手弁当で関わった著者らの挑戦の記録。高防潮堤に代わる「津波をかわす」発想による建築と土木の融合の提案、さらに原発依存から再生エネルギー中心のまちづくりの提案など。しかし、それらは前例主義の壁に阻まれた。なぜなのか。著者らはアンビルドな案に込めたメッセージを言葉へと換える。

<読む前の大使寸評>
高台移転や高防潮堤も必用だろうが・・・
完工までのスピードが遅いと被災者の役に立たないわけで、そのあたりがどうなっているか知りたいのです。

amazon3.11復興プロジェクトの挑戦とその射程


第2章「復興の理念」で国の復興支援を、見てみましょう。
p58~60
<復興構想会議と七原則>
 この「建築」「土木」の関係のメンバーを取り上げる前に二人の学者の発言に注目したいと思います。
 一人目が哲学者の梅原猛で、大胆な仮説や推論での新たな歴史論の代表作となる『隠された十字架』では、聖徳太子を鎮魂する寺として法隆寺を取り上げたユニークな建築史論を展開し、さらに『塔』でも歴史ドラマの中に新たな建築史観を示してきました。梅原は特に原発問題を会議の任務から外すとした菅直人首相に対する反発の姿勢は崩しませんでした。今回の被災を「天災」「人災」ではなく「文明災」としています。

 次に民俗学者、赤坂憲雄はこれまでの東北での活動の集大成として「東北学」を提唱したことで知られていますが、「被災」を大きな「成長主義的」な考え方からパラダイム転換するとともに、巨大防潮堤が出来た時には人がいなくなる人口減少地帯としての東北の状況を踏まえ、過大な復興投資に疑問を投げかけています。

 続いて復興構想の原動力となる建築と土木の建設系の二人のメンバーの一人、河田恵昭は、京都大学在職中に巨大災害研究センター長、防災研究所長をへて阪神・淡路大震災記念「人と防災未来センター」長も歴任した土木学者です。著書の『津波災害・・減災社会を築く』(岩波新書、2010)は3.11の前年の出版で復興構想会議でも、この著書のキーワードである「減災」が復興計画理念構築に大きく影響しました。

 これは、これまでの災害の被害をゼロとする防災の考え方に対して被害を完全に防ぐことは不可能とし、最小限に抑える「減災」の発想で高台に逃げる、5分で逃げるなどで、津波に強いまちづくりを示しています。

 具体的にその対応をハードとしては避難ビル、防潮堤などによる「多重防御」や「人工地盤」を示し、ソフト的対応には「津波警報の改善」、「ハザードマップの充実」などを提唱しています。河田の減災論は、私達の理念とした津波を「かわす」理念に通じるもので、国の復興構想に「減災」が大々的に盛り込まれるきっかけとなりました。

 河田は、さらに巨大津波に対して土木が担うこれまでのような大防潮堤ではない、より都市的な拡がりのなかに考えること、すなわち建築と土木の融合を提案しました。これは、復興のスピードを増すために前例主義を掲げる土木界では考えられない画期的なメッセージとなります。

 もう一人の「建築」からは阪神・淡路大震災に直面し、その復興活動の経験のある建築家、安藤忠雄です。安藤からは河田のような建築と土木の融合をバックアップするような視点での発言ではありません。
 当時、復興支援を進める土木に対峙する建築界からは、日本建築学界を中心に土木学界を巻き込んでの復興でのコラボレーションを再三申し出ましたが、これを具現化する中央官庁、特に国土交通省への働きかけに土木学界としては遠慮があるという学会長の発言に代表されるように結果的には頓挫しました。

 このことは学会以上に土木行政が絶対的な権限を有していることを示すこととなり、いうなれば私達の復興計画で示した「防災ブリッジ」「防災コリドール」「斜面住居」の実現可能性がないことを示すこととなります。 

 結果的には復興計画における建築の出番は極めて限定的となり、第1章のおわりで紹介したように唯一の成果が建築家、伊藤豊雄らによる地域の被災者コミュニティ施設としての「みんなの家」にとどまりました。
 この復興会議での建築から社会に向けた強いメッセージがなかったことは、私たちの復興への大きな絶望につながりました。

<復興構想会議の復興案>p60~61
 復興案は、これまで通りの「巨大防潮堤」に加え、津波浸水被害地の巨大な嵩上げによる「人工の丘」、高台移転による「丘の上のニュータウン」や、さらにこれらを複合的に対応する「多重防御」のメニューが減災の理念の具体的方策として提案されました。

 この「人工の丘」は、南三陸町や女川町で採用され、南三陸町では高さ十メートル、建物の高さでは三階建てにも盛土による造成工事が現在でも進められています。盛土は、切土にくらべ沈下などの問題を抱え、重い建物には工事費用がかかりますし、軽い木造の住宅でも基礎には工夫が求められます。さらに重要なことは、津波によるピンポイントへの集中力による土石の崩落をきっかけに、盛土全体に被害が拡大する危険性が想定されます。

 その危険性を回避するためには、側面を石垣、植栽などによって土石流の流出を防ぐ工夫が求められます。私達のこうした危惧に対して、古代からの古墳での実績があると土木技術者は胸を張ります。とはいえ、宮古市田老地区のように現況の高さ十mの防潮堤でも、内側の市街地からこれを見上げると強い圧迫感を感じますが、「人工の丘」の高さもかなりの違和感を工事の途中ではありますが感じました。

 さらに「減災」に関して新たな津波レベルのコードがこの復興構想会議や国の中央防災会議で示されました。中央防災会議では復興対応として、頻度の高い津波L1と、今回のような最大クラスの津波L2の二つのレベルに分けることが必要となります。想定されたこの二つのレベルの根底にあるのは、今回の巨大津波被害を完全に押さえ込むことは費用の点からも不可能であるというもので、現実的な対応といえます。

 L1の津波は防潮堤で守り、L2の津波は防潮堤を越えてくるが、高台移転や非難方法などハードとソフトを合わせた「多重防護」で命だけは守ろうとするものです。1928年の「昭和三陸津波」で犠牲者は三千人、今回の「東日本大震災」は二万人弱でした。復興会議などでは、前者を頻度の高い津波L1とし、後者を最大クラスL2に匹敵するとしています。

ウン 津波をかわす「減災論」があったので、辛うじて被災者に寄り添う構想になったようですね。
一方で、政府の支援策は相変わらずの縦割り行政であり、復興予算を使いきれない体たらくでおます。

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