『縄文の思考』1

<『縄文の思考』1>
図書館で『縄文の思考』という本を、手にしたのです。
大陸に比べて、長く続いた日本列島の縄文時代であるが・・・
中華文明が栄えていたころの日本列島の縄文文化はどんなだったかと思うわけです。


【縄文の思考】


小林達雄著、筑摩書房、2008年刊

<「BOOK」データベース>より
縄文土器を眺めると、口縁には大仰な突起があり、胴が細く、くびれたりする。なぜ、縄文人は容器としてはきわめて使い勝手の悪いデザインを造り続けたのか?本書では土器、土偶のほか、環状列石や三内丸山の六本柱等の「記念物」から縄文人の世界観をよみとり、そのゆたかな精神世界をあますところなく伝える。丹念な実証研究に基づきつつ、つねに考古学に新しい地平を切り拓いてきた著者による、縄文考古学の集大成。

<読む前の大使寸評>
大陸に比べて、長く続いた日本列島の縄文時代であるが・・・
中華文明が栄えていたころの日本列島の縄文文化はどんなだったかと思うわけです。

amazon縄文の思考





13章「記念物の造営」から縄文の記念物を、見てみましょう。
p150~153
<記念物=モニュメント>
 ムラでの生活が進むにつれて、生活が必要とする施設を次々に設ける方向をいちずに辿った。施設の充実とは、とりもなおさず、日常生活の快適さや効率を実現し、不便さを克服することであった。だからこそ、ムラ空間に施設が増殖しつづけ、必用十分なまでに達するや、その配置などによってムラノスペースデザインが落ち着くのである。

 住居が占有する居住区をはじめ貯蔵穴や共同墓地やゴミ捨て場がそれぞれに固有の区画に収まる。こうしてムラは1つの型に整備され、公共的広場をムラの中央においた縄文モデル村が完成する。全体が円形の形態をとるところに特色がある。その萌芽は縄文早期の後半期に始まり、前記以降に発達した。

 成長したムラは、単なる諸施設の密集ではなく、円形のカタチそのもの、およびムラの諸施設の一定の型にはまった編成によって、自然界には決して存在することのなかった全く新しい空間が誕生した。

 もともとムラ空間に存在した自然的要素は次々と駆逐され、断固として人工的色彩に塗り潰されるに至ったのだ。しかし、日常生活にとっての必要十分な施設の種類と数はほぼ出揃い、型通りに配置されても、その勢いは決して終息しようとはしなかった。むしろ縄文人意識、アイデンティティの確認は鎮静に向かうどころか、余勢をかってさらなる主張を目指して、予想を超えた動きを始めた。

 日常生活と密接にかかわる諸施設とは、全く性質を異にするモノの創造である。新たに登場したモノは、そうした日常性の機能とはほとんど無縁の性質を有するものであり、いわば腹の足しにならないのだ。

 けれども敢えて創造されているからには、何も用をなさないモノとは考えられない。しかも、そのモノは後述のごとく、その実現のためには日常的諸施設に比べて数十倍はおろか、数千倍もの人の動員と年月を必用とするのである、というよりも量的な勘定の次元を超えている。つまり、それほどまでに人手と時間をかけるほどの、止むに止まれない必用な機能が意識されていたからにほかならない。

 この全く新しいモノこそが、記念物=モニュメントと呼ぶものである。腹の足しにならないが、その代わりに頭、心の足しになるものである。

 記念物は、特有のカタチをもつことで、その存在を主張する。カタチを実現する素材にはさまざまがある。その一は、石を用いて幾何学的に配置する。円形を主流とするが、楕円形や方形などのバラエティーがある。そのニは、土を盛り上げて台状あるいは環状ドーナツ状の土手を構築する。盛土は単純な土壌ではなく、土器や石器などの遺物や、貝塚地帯では食物の残滓物としての貝殻や獣骨なども積みこまれる。その三は、木の柱を立てるもので、円形や方形などがあり、なかには一本立ちや複数を直線的に並べる例がある。
その四は、一定の範囲に壕をめぐらせるものである。その五は、石や土盛や柱立て、ときに土杭などを組み合わせたものである。

 記念物は、縄文文化開幕当初から登場したわけでは勿論ない。縄文ムラの整備が十分に進んで、日常的な生活と密着した諸施設が一応出揃ってから縄文人に新たに手がけたものである。つまり、縄文時代創生期には未だなく、早期後半に最初の記念物が顔を出す。縄文時代全体の歴史からみれば、ほぼ三分の一を過ぎようとする頃に当たる。

 阿蘇山の麓の熊本県瀬田裏遺跡では、約21×7メートルの長方形に石がならべられている。同じ時期の長野県山の神遺跡でも長方形の石列がある。いずれも規模の大きさからすれば、それほど驚くに足りないが、大石を運び込んで並べるという所業は、どう考えても日常的施設としての用途を思い浮かべることはできない。明らかに縄文人の象徴的観念にかかわる記念物の性格をもつものだ。他にこの古さに匹敵する例は知られておらず、いわば記念物のはしりであり、縄文人の新しい志向の表れの先駆けである。


縄文人は、本格的な農耕を行わず主に狩猟採集による生活で、1万年もの長期にわたって持続可能な社会を作りあげていたようだが・・・
ジャレド・ダイアモンド教授も縄文人の長い文明に驚いているとのこと。

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