『知性は死なない』4

<『知性は死なない』4>
図書館に予約していた『知性は死なない』という本を、待つこと5ヶ月ほどでゲットしたのです。
自身の「うつ」からカミングアップした著者の近作であるが・・・
副題が「平成の欝をこえて」となっているのがええでぇ♪



【知性は死なない】


與那覇潤著、文藝春秋、2018年刊

<「BOOK」データベース>より
平成とはなんだったのか!?崩れていった大学、知識人、リベラル…。次の時代に、再生するためのヒントを探してーいま「知」に関心をもつ人へ、必読の一冊!
【目次】
はじめに 黄昏がおわるとき/平成史関連年表 日本編/第1章 わたしが病気になるまで/第2章 「うつ」に関する10の誤解/第3章 躁うつ病とはどんな病気か/平成史関連年表 海外編/第4章 反知性主義とのつきあいかた/第5章 知性が崩れゆく世界で/第6章 病気からみつけた生きかた/おわりに 知性とは旅のしかた

<読む前の大使寸評>
自身の「うつ」からカミングアップした著者の近作であるが・・・
副題が「平成の欝をこえて」となっているのがええでぇ♪

<図書館予約:(7/25予約、12/09受取)>

rakuten知性は死なない


第4章「反知性主義とのつきあいかた」で言語・身体が語られているので、見てみましょう。
p145~148
言語・身体のマトリクス
 ほんとうに言語と身体をきれいに二分できるのかは、3章でややくわしく検討しましたが、この章の内容に関しては、さしあたり言語とは「ことばを使って論理的に分析するもの」、身体とは「論理ではわりきれなかったり、そもそも言語化不可能だったりする、感覚や情動の母体となるもの」くらいにとらえていただいて、問題はありません。

 「大学かつ言語」の枠に入るのは、かつて私自身もそうであったような、いわゆるふつうの大学教員です。しかしこれも前章でみたように、いまは大学の先生のなかにも、「言語」より「身体」を思考の軸にすえる人たちもいます。

 人間にとって大事なのは、論理をつきつめてみえてくる答えというより、直感的なとっさの反応のほうじゃないか。哲学者の書いた正義論の本をよんで、ふんふんと納得してからきみは正義に味方するのか。ちがうだろう。もっと本能的に、身体に埋めこまれた反射神経のように「こうしなくては!」として起きる反応、それこそが人倫の基盤ではないのか・・・たとえば、そんなふうに考える人です。

 こういった人たちを広くいって、身体論の研究者とよぶことにしましょう。じっさいメルロ=ポンティのような、理性だけではなく身体をもって人間が生きていることの意味を、堀りさげて探求した哲学者について、研究している大学の先生はかなりいます。

 いっぽうで、当然ながら大学の外にも、ことばでものを考えぬいた知識人は多くいます。哲学者の鶴見俊輔や歴史学者の鹿野政直氏は、そういった人たちの業績のほうに、むしろ近代日本の思想の良質な部分があるのではないかと考えて、かつて「民間学」という理念をつくりました。

 ふつうの人でも名前におぼえのある、もっとも著名な民間学者は、日本民俗学をうち立てた柳田國男あたりでしょうか。こういう在野のことばのプロフェッショナルが、「言語かつ学外」の枠に入ります。

 それではのこる「学外かつ身体」に入るのは、ただの不勉強でバカな人たちなのでしょうか。
 こたえは否です。
 まさに柳田國男らの民俗学者によって、探求の対象となった人びと・・・本人自身はさほど論理的に語ることはできず、場合によっては文字すら読めないこともあるのだけど、それでも社会を支えるうえできわめて有益な、なんらかの「知」を持った人たちがここに入ります。

 そういう言語ならざる知のことを、学者によっては「生活知」「実践知」などといったりします。ピンとこないばあいは、職人さんお技とか、マニュアル化できない組織運営のコツのようなものを想像してもらうと、わかりやすいでしょうか。学術用語としては誤用になりますが、「暗黙知」という言い方で、ビジネスのハウツー本に登場することもあります。

 じつは、橋下市政や安倍政権の「反知性主義」が懸念されだす前から、日本人が「知性のあり方」としていちばん好きっだったのは、この生活知の部分です。

 昭和時代の最末期、1980年代にバブル景気で日本製品が世界を席巻していたころは、「アメリカ企業はMBAのような、大学院を出たてで口先だけの若造が経営しているからダメで、日本の強みは現場主義だ」といった議論が流行しました。平成のグローバル人材ブームとは180度逆のことが、直前の時期までいわれていたのです。

 2000年代前半に人気を博したNHKの『プロジェクトX』や、各種の「仕事のエキスパート」を紹介するテレビ番組がとりあげるのも、ペラペラと社会を分析してみせる大学教員というよりは、「寡黙に芸をみがく職人気質のエンジニア」といった人びとでしょう。

 ただでさえそういう土壌があったところに、前章でみたような経緯で21世紀には、知識人にも「言語」よるも「身体」に寄せてものを考える人が増えました。『私の身体は頭がいい』という本まで書かれている内田樹氏などは、まさしく「大学かつ身体」の枠を代表する論客でした。

 しかし時代は彼らを追いこして、むしろ「学外かつ身体」という最大のボリュームゾーンを地盤に「流行作家は現実を知っている。ビジネスマンも現実を知っている。小理屈だけで現実を知らないのは大学教授だけだ」と公言する、橋下徹氏のような人が権威をまとうようになってしまった。

 もし知性というものを言語に寄せてとらえるなら、おたがい批判しあっていた内田氏も橋本氏も、ともに「反知性主義者」なのです。むしろ私はいま、そういう広義の反知性主義のほうが「多くの人間にとってはふつうのありかた」なのだと、発想を変えなくてはいけないと思っています。

 ほんらい、主義(-ism)とよばれるべきなのは、「大学、ないしそれに準ずる正統的なサークルに属し、言語によってものを考え・分析し・ひょうげんしている人びとだけが、知性のにない手である」とする価値観、いわば「知性主義」のほうではないかと思います。
 そうすることではじめて、世界的なアンチ・インテレクチュアリズムの奔流にどうむきあうか、そのために大学にはなにが必要なのかが、みえてくるのだと思っています。


『知性は死なない』3:リベラルはなぜ衰退したのか
『知性は死なない』2:「帝国適性」の高い中国
『知性は死なない』1:「平成の欝」

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 0

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック