『消えゆくアジアの水上居住文化』1

<『消えゆくアジアの水上居住文化』1>
図書館で『消えゆくアジアの水上居住文化』という本を、手にしたのです。
災害大国ニッポンであるが・・・
この本の「自然の脅威を回避し、快適で持続可能な環境をつくる知恵」という視点が、気になるのでおます。


【消えゆくアジアの水上居住文化】


畔柳昭雄編著、鹿島出版会、2018年刊

<出版社>より
アジアの水辺に残る、多様性を極めながらも個にして普遍的な水辺の暮らしと、近代化のうねりを受け、その変容する姿を見つめるーー。
アジアの水上住居は原始的のようでいて、環境と一体化する生活空間は今日的な示唆に溢れている。自然の脅威を回避し、快適で持続可能な環境をつくる知恵は伝統文化の賜物である。しかし、急速な都市化の波でこうした空間がいま減少しつつある。10年前は萌芽にすぎなかった現代社会との摩擦に注視しながら、価値あるアジアの環境的な空間づくりをフィールドワークの成果からビジュアルに読み解く。失われつつある貴重な生活文化の記録。

<読む前の大使寸評>
災害大国ニッポンであるが・・・
この本の「自然の脅威を回避し、快適で持続可能な環境をつくる知恵」という視点が、気になるのでおます。

rakuten消えゆくアジアの水上居住文化

かき広

日本の水辺として、舟屋と牡蠣船が取り上げられているが、まず牡蠣船を見てみましょう。

p152~154
<消えゆく川面の牡蠣船> 
 牡蠣船とは、もともとは瀬戸内海地方の港町に牡蠣を運搬して、そこで販売することを目的とした和船であった。

 次第にそれが運搬した先で、牡蠣を剥き身にしたり、焼いたりと調理し船の中で客に振る舞い提供するようになったことで、水上の飲食店として発展した船である。
 発祥地は安芸(現在の広島県草津)であるが、大阪の掘割で有名になり、風物詩となった。

 広島市内には、猿候川、京橋川、元安川、本川(太田川)、天満川、太田川放水路の6河川が流れている。そのなかのひとつ、元安川には1963年から「かなわ」と呼ばれる牡蠣船が繋留されていた。近年、対岸側に「かき船ひろしま」が繋留されたが、どちらも牡蠣の季節には多くの客で賑わいを見せる。

 牡蠣船の存在は、あまり知られてこなかったが、江戸時代に当地で養殖される牡蠣の産地直送販売を目的として建造され、次第に調理も船内で行なうようになり、牡蠣通には人気の的となった。

 この牡蠣船は、生産地である広島よりもむしろ大阪で人気となり、最盛期には大阪堀川に20隻余りの牡蠣船が集まった。その他、瀬戸内海各地、四国の松山、高知、九州の別府、日本海側の金沢、新潟、東京の築地川などの河川や港、さらに、隣国の中国青島や北朝鮮平壌にまで出向き、牡蠣の産地直送販売を行なってきた。

 また1933年より、海のない長野県松本市の松本城の掘割に牡蠣船を浮かべての産地直送販売が行なわれ、この船は現在も営業中である。

 現存する牡蠣船のなかで最も古いものは、大阪土佐堀川の「かき広」である。1920年以来約90年、今の場所に係留されている。現在は、木製の船体を鋼製のパージに搭載して営業を続けている。

 呉市境川にある牡蠣船も大正元年(1912)ごろに係留され100年ほど経過いているが、船台は船歴を経るごとに変更され現在のものはFRP製である。この船の場合、船体を安定させるため、船倉に注水し河床に着底させている。

 なお、元安川の「かなわ」と「ひろしま」は国土交通省の指導の下に、2014年にそれまで係留していた場所から、「かなわ」は400m上流に、「ひろしま」は本川の東岸へ移動した。これらは水のほとんど流れない「死水域」である。


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