『ソウルの風景』4

<『ソウルの風景』4>
図書館で『ソウルの風景』という新書を、手にしたのです。
四方田さんといえば…
韓国、映画など太子がこだわる分野で先駆する作家(学者?)であり、目が離せないないのです。

なお、帰って調べてみたらこの本を借りるのは2度目であることが、判明しました(又か、でも再読でもいいではないか)。


【ソウルの風景】


四方田犬彦著、岩波書店、2001年刊

<「BOOK」データベース>より
南北首脳会談の実現、大統領のノーベル賞受賞に沸いた2000年の韓国。激動の一九七九年を過ごしたソウルに再び長期滞在した著者が出会ったものとは何か。高度消費社会と伝統回帰、「北」をめぐるフィルム、光州事件、日本文化開放と元従軍慰安婦の集会…人々の姿、肉声を通して、近くて本当に近い隣国の現在を映し出す。第50回日本エッセイスト・クラブ賞受賞。

<読む前の大使寸評>
四方田さんといえば…
韓国、映画など太子がこだわる分野で先駆する作家(学者?)であり、目が離せないないのです。

amazonソウルの風景


韓国の文学について、見てみましょう。
p159~161
<二人の作家>
 李浩哲にとって小説とは、愚かであるが永遠に愛すべき外観の他者たちとの邂逅の物語であるとすれば、李清俊にとってそれは、詰まるところはみずからの鏡像に過ぎない他者をめぐる、偏執狂的な探求の物語であるように思われた。

 李清俊は1939年に全羅道長興に生れた。
 あなたの小説ではしばしば正体不明の人物がある場所を訪れ、そこで生じた事件や人物について詮索を始め、作品を途中まで読み進んだところで、ようやく聞き手がその事件なり人物と本質的な関係にあることが判明してくるという構造をもっていると思うのですが、とわたしが尋ねると、彼はそれは決定的な意味で、幼少期の体験に基いていると答えた。

 日本統治時代の末期、食糧の供出が義務づけられているときに、誰かが父親を密告したおかげで、一家が蓄えていた米が運び去られるということがあった。誰かが自分を監視しているという思いは、その後、朝鮮戦争が起きて、人民軍が長興を占拠したときに、いっそう強い体験を残した。夜間、暗闇のなかで突然に懐中電灯を向けられ誰何され、相手が南側か北側かもわからないままにただちに答えを要求されるという状況。これに異を唱えることは、ただちに死を意味していた。

 近所に住む者を匿ったというだけで、李清俊の家屋は左派の村人から徹底的な捜索を受けた。もちろん自分はこうした恐怖の体験を片時も忘れずに成長したわけではない。小説を書くようになってから、しだいに思い出すようになったのだ、と彼はわたしに語った。「相手の姿が見えないままに対応するという行為は、人間関係の本質かもしれない。」

 1960年をソウル大学でドイツ文学を専攻する学生として迎えた李清俊は、典型的な「4.19学生革命」の世代に属している。1967年に『片輪と痴呆』で文学賞を受け、文壇に新人としての地位を築いた。朝鮮戦争で傷痍軍人となった兄と、病名も定かでない病気に苦しむ弟を通して、抑圧社会のグロテスクな構造を素描した短篇である。身体的毀損と相互監視の意識をめぐる思索は、『あなたたちの天国』(1976)で、大きく主題的に発展させられた。
(中略)

 先に姜来煕との対話のときにも記したが、わたしの個人的な記憶でも、70年代のソウルを特徴づけていたのは喫茶店であったような気がする。大概が薄暗い室内で、熱帯魚を入れた大きな水槽があり、「顔マダム」と呼ばれる女主人が店を取り仕切っていた。学生たちはこのあなぐらのような閉鎖空間のなかで紫煙に包まれながら、あてどもない夢を思い描いてはわが身の無力さに自嘲じみた笑いを漏らすのだった。わたしにはこうした喫茶店のあり方が、さながら当時の韓国の政治的・文化的閉鎖状況の隠喩であるかのように思われていた。

ウン タバン(茶房)の雰囲気が好きでよく入ったが、大使が韓国に通っていた2010年頃は、顔マダムはもういなかったのです。

この本も四方田犬彦の世界に収めるものとします。
『ソウルの風景』3:ヴェトナム戦争の傷痕p199~202
『ソウルの風景』2:日本文化の公式的排除と盗用p126~129
『ソウルの風景』1:伝統的なるものの行方p39~52、韓国のハルキ世代p134~136

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