『アースダイバー 東京の聖地』4
<『アースダイバー 東京の聖地』4>
図書館で『アースダイバー 東京の聖地』という本を、手にしたのです。
「東京の聖地」という視点には、気がすすまないのだが・・・
魚河岸文化という切り口がいいではないか♪ということでチョイスしたのです。
昨今はアマゾンの独り勝ちが批判されているが、かつての流通システムを、見てみましょう。
まさに驕る大和屋助五郎のようなアアゾンであるが・・・日本の伝統的流通システムは結束して復権をはかってもらいたいものである。
『アースダイバー 東京の聖地』3:江戸の魚河岸
『アースダイバー 東京の聖地』2:魚河岸文化の原型
『アースダイバー 東京の聖地』1:関西の魚河岸文化
図書館で『アースダイバー 東京の聖地』という本を、手にしたのです。
「東京の聖地」という視点には、気がすすまないのだが・・・
魚河岸文化という切り口がいいではないか♪ということでチョイスしたのです。
【アースダイバー 東京の聖地】 ![]() 中沢新一著、講談社、2017年刊 <「BOOK」データベース>より 海民の二千年の知恵=築地市場、太古の無意識の現出=明治神宮。この二つの場所には、日本人の思考が「聖地」に見出してきた空間の構成原理が、ほとんど純粋な状態で実現されている。その二つの生きた聖地が、深刻な危機に直面したのである。金銭にかえられない「愛」と「富」のありか。建築家・伊東豊雄氏との対談2編収録。 <読む前の大使寸評> 「東京の聖地」という視点には、気がすすまないのだが・・・ 魚河岸文化という切り口がいいではないか♪ということでチョイスしたのです。 rakutenアースダイバー 東京の聖地 |
昨今はアマゾンの独り勝ちが批判されているが、かつての流通システムを、見てみましょう。
p71~76 ■日本型流通システム 日本橋本小田原町を舞台にくりひろげられた、伝統を誇る森一族系問屋群と新興の大和屋助五郎との勢力争いの裏には、新旧二つの流通システムのつばぜりあいがあった。 森一族系問屋は、大阪雑喉場市場などで確立されてきた、いかにも日本的な流通システムを、江戸に展開した。このシステムでは、何段階もの名称のちがう「問屋」の連携によって、産地から魚貝類が魚河岸に届けられてくる。 まず産地側から言えば、問屋と契約を結んだ「持浦」の漁師たちが漁った魚貝は、産地仲買人である「旅人」によって集荷され、「押送船」に積み込まれ、最速の航海で日本橋まで運ばれてくる。 ■大和屋絶頂 ところがそこに、大和屋助五郎が殴り込みをかけてきた。手練手管をつくして、幕府から「御本丸、西御丸御膳御次御肴御請負」を仰せつかるにいたった助五郎は、おりからの消費ムードにのって、鯛を活きたまま産地から日本橋まで運んでくる、クール宅急便ならぬ「活鯛」の商売で、おおいに名を挙げた。 助五郎の開発した流通システムは、森一族系問屋のものとは、真反対の考え方によっていた。産地から消費までを、多様な問屋などを介在させないで、単一の「ヤマトヤシステム」で統一し、いったん儲けを独占したうえで、システムの構成員にお給金を払っていくやり方である。 大和屋助五郎は、はじめ駿河と伊豆の9ヶ所の漁村と指定契約を結んで「敷浦」となし、生簀の中で飼い、網で生け捕った鯛を、活船で江戸に運びこむシステムを開発した。 ■大和屋の凋落 しかしこの納魚請負人という制度から、大和屋を凋落させるにいたる大問題が発生した。18世紀になると、幕府は江戸城への魚貝類の納入のやり方を「直納」から「請負」に、変えていった。直納では、出入りの御用商人たちが、魚を吟味して、各自でお城の膳部に納入する。これに対して請負では、四つの大きな問屋を選んで、納入の一切の責任を持たせる。そればかりか、請負人になった問屋は、城内の膳部に配下の料理人を派遣して、魚料理の下ごしらえまでしておかなければならなかった。 はじめは、森一族につながる摂州系問屋四軒がこれに選ばれて、請負人となった。しかし、あまりに負担の大きさに、彼らが不満たらたらで、待遇改善を要求しているのを知った大和屋助五郎は、「今の条件でけっこうですから、私が一人ですべて責任をもって請負の仕事をいたしましょう」と申し出たのである。これによって、森一族系問屋まで、自分の配下に入れてしまおうという落胆である。願ってもないおの申し出に、財政難の幕府が喜んで応じたのは、いうまでもない。助五郎は納魚請負人の地位を、こうしてまんまと独占した。 (中略) ■魚河岸の成熟 あっという間にのし上がり、なんだかんだと騒いでいるうちに衰退していった、大和屋助五郎の盛衰記を目撃したあと、日本橋魚河岸は本物の成熟期に入っていった。 大和屋助五郎は、産地と小売の間をつないでいる、独立性をもったさまざまな仲買人の連鎖を一掃する「仲抜き」を断行して、単一の「ヤマトヤシステム」をつくりあげようという革新的試みに挑んだ。しかしそれは、ここではついに大勢となることがなかった。最終的に、伝統システムのほうが勝ったのである。 日本橋魚河岸でふたたび勢力を回復した、佃島=森一族につながる問屋たちは、大小さまざまな問屋群の連携・連鎖でなりたつ伝統的な流通システムに、さらなる改良と磨きを加えて、現代まで続く江戸東京の魚河岸文化の原型をつくりあげていった。 |
まさに驕る大和屋助五郎のようなアアゾンであるが・・・日本の伝統的流通システムは結束して復権をはかってもらいたいものである。
『アースダイバー 東京の聖地』3:江戸の魚河岸
『アースダイバー 東京の聖地』2:魚河岸文化の原型
『アースダイバー 東京の聖地』1:関西の魚河岸文化
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