『アースダイバー 東京の聖地』1

<『アースダイバー 東京の聖地』1>
図書館で『アースダイバー 東京の聖地』という本を、手にしたのです。
「東京の聖地」という視点には、気がすすまないのだが・・・
魚河岸文化という切り口がいいではないか♪ということでチョイスしたのです。



【アースダイバー 東京の聖地】


中沢新一著、講談社、2017年刊

<「BOOK」データベース>より
海民の二千年の知恵=築地市場、太古の無意識の現出=明治神宮。この二つの場所には、日本人の思考が「聖地」に見出してきた空間の構成原理が、ほとんど純粋な状態で実現されている。その二つの生きた聖地が、深刻な危機に直面したのである。金銭にかえられない「愛」と「富」のありか。建築家・伊東豊雄氏との対談2編収録。

<読む前の大使寸評>
「東京の聖地」という視点には、気がすすまないのだが・・・
魚河岸文化という切り口がいいではないか♪ということでチョイスしたのです。

rakutenアースダイバー 東京の聖地



先ず、関西の魚河岸文化を、見てみましょう。
p26~30
■大和川と淀川
 魚貝の鮮度を落とさないようにして、長距離を運ぶためには、なんらかの「生け簀」の仕掛けが必要であり、大量の海水をそれに入れて運ぶには、舟運に勝るものはない。そのために、奈良盆地に王権所在地のあった頃には、大和川が重要な働きをした。のちに京都盆地に都が移されると、淀川がその役割を果たした。 そしてどちらの川も、古代難波の河口から、大阪湾に注いでいくのである。

 そのため、王権に組織された漁民村は、古代難波の海岸部に散在する村の中から選び出されている。大阪湾に倭人系の海人が現れたのは、いまから二千五百年ほど前のことである。彼らは北部九州にあった拠点を離れて、瀬戸内海を経て、淡路島とその対岸の難波にコロニーをつくって住みついた。この漁民たちがいずれ日本で最初の、本格的な魚河岸をつくることになる。

■今宮の供御人
 大和川と木津川が大阪湾に注ぎ込む河口部には、大きな砂州が形成され、その砂州上に「今宮」と呼ばれる漁民村がつくられていた。村の前には、広い遠浅の海が広がっていたので、漁民たちはそこで良質のハマグリやエビやカニなどを漁できた。

 今宮はただの漁村とは、少しちがったところがあった。今宮村の漁民たちが祀っていた神々が、よその村々のよりもはるかに強力だったのである。彼らは、海人族の共通の神であるエビスを祀っていた。エビスはまたヒルコとも呼ばれる神である。

 ヒルコとは子宮内の「水」に浮かんでいる未成熟な胎児をあらわす。漁師はこの胎児神を祀ることで、自分たちもヒルコのように、危険な海の水の上で、無事に船を操って漁をすることができますようにと祈った。今宮村の聖所には、とりわけ霊力が強いと信じられていたいたヒルコ神が祀られていた。そのため、海民たちの間でもつとに名声が高かった。
 権力の所在地が京都盆地に移ると、王宮の膳所では、大阪湾から新鮮な魚貝を、日々確実に入手する必要が生まれた。そこで大阪湾の漁民の中から、特別に「供御人」という存在を選んで、税を免除したり、関所の自由通行権を与えるのとひきかえに、神々やお上への「お供え物」として、ほとんどただ同然で、新鮮な魚貝を納めさせる制度が、整えられたのである。そのとき選ばれた供御人の中で、もっとも有力な人々が、今宮供御人である。

■牛頭の神 
 大阪湾内に住む漁民の中から、なぜ今宮村の漁民が、特権的な供御人に選ばれたのか。その理由はおそらく、今宮村の漁民が、他に勝る強い霊力によって護られた人々であったからだろう。彼らはのちに「今宮戎」として知られることになる、強力なヒルコ神に護られていた。しかし私には、もう一つ、隠された理由があるような気がしてならない。

 今宮村では、おそらくは古老だけが知ることを許された秘密として、「牛頭」と呼ばれる不思議な神が、ひそかに祀られていた。牛頭は密教の神である。この神は、上半身が牛で下半身が人間という、ハイブリッドな怪物の姿をしている。この神の存在を知っていたのは、はじめは海人族ばかりで、ほかには伊勢湾に住む安曇系海人族の間で、厚く信仰されていた。
(中略)

 インドの先住民文化では、馬頭や牛頭をいただく半神半獣の神々が、部族神として祀られていた。この神々は、病気や邪気を撃退する強力な力をもっている。しかしその扱いに失敗すると、こんどは強力な悪神に変貌して、人間に災いをなす。日本の牛頭神をめぐる伝承を見るかぎり、外貌も信仰の内容も、この南インドの神々とそっくりである。

 今宮の海人たちは、平安京が建設されるよりもはるか以前から、この牛頭神の祭祀場を、淀川を遡上した山城盆地の八坂の地に開いていた。この地にはしばらくしてから祇園神社が建てられることになる。


ネットで今宮戎神社の歴史を、見てみましょう。

今宮戎神社より


【今宮戎神社の歴史】
 今宮戎神社は大阪市浪速区恵美須西一丁目に鎮座し、天照皇大神・事代主命・外三神を奉斎しています。創建は推古天皇の御代に聖徳太子が四天王寺を建立されたときに同地西方の鎮護としてお祀りされたのが始めと伝えられています。

 戎さまは、ご存知のように左脇に鯛を右手に釣竿をもっておられます。そのお姿は、もともと漁業の守り神であり、海からの幸をもたらす神を象徴しています。当社の鎮座地もかつては海岸沿いにあり、平安中期より朝役として一時中断があるものの宮中に鮮魚を献進していました。
 またこのような海辺で物資の集まりやすい土地では、海の種々の産物と里の産物、野の産物とが物物交換される、いわゆる「市」が開かれますが、当社でも四天王寺の西門に「浜の市」が平安後期には開かれるようになり、その市の守り神としても当社の戎さまが祀られるようになりました。

 時代が経るに従い、市場の隆盛は商業を発展させますので、いつしか福徳を授ける神、商業の繁栄を祈念する神としても厚く信仰されるようになりました。  室町時代以降庶民の信仰はより厚くなり、また大阪の町も発達し、大阪町人の活躍が始まります。


ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 0

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック