『邪悪なものの鎮め方』4

<『邪悪なものの鎮め方』4>
図書館で『邪悪なものの鎮め方』という本を、手にしたのです。
内田先生には『呪いの時代』という著作があるが、この本もその系統であろうかということで借りることにしたのです。


【邪悪なものの鎮め方】
内田

内田樹著、バジリコ、2010年刊

<「BOOK」データベース>より
「邪悪なもの」と遭遇したとき、人間はどうふるまうべきか?「どうしていいかわからないけれど、何かしないとたいへんなことになる」極限的な状況で、適切に対処できる知見とはどのようなものか?この喫緊の課題に、ウチダ先生がきっぱりお答えいたします。村上春樹『1Q84』の物語構造、コピーキャット型犯罪が内包する恐るべき罠、ミラーニューロンと幽体離脱、被害者の呪いがもたらす災厄、霊的体験とのつきあい方から、草食系男子の問題にいたるまで、「本当ですか!?」と叫びたくなる驚愕の読書体験の連続。不透明な時代を生き延びるための「裏テキスト」。

<読む前の大使寸評>
内田先生には『呪いの時代』という著作があるが、この本もその系統であろうかということで借りることにしたのです。

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『1Q84』が語られているので、見てみましょう。
p71~74
<『1Q84』読書中> 
 すぐれた作家というものは無数の読者から「どうして私のことを書くんですか?」という訝しげな問いを向けられることがある。
 どうして私だけしか知らない私のことを他人のあなたが知っているんですか?
 というふうに世界各国の読者から言われるようになったら、作家も「世界レベル」である。

 どうしてそういうことになるのか。
 村上春樹は世界中の人々に共通する原型的な経験を描いているからだろうか?
 そうかもしれない。でも、それだけではない。
 おそらく読者は物語を読んだあとに、物語のフィルターを通して個人的記憶を再構築して、「既視感」を自前で作り上げているのである。

 私は上に「私の頭の中の芦屋のことをどうして知っているのか?」と書いたけれど、もちろんこの「私の頭の中の芦屋」の造形には『風の歌を聴け』を読んだことがすでに関与している。

 この物語を読みながら、私の中の「空想上の芦屋」のイメージは精密に彫琢され、そして、読み終えたときに完成した。そして、「あれ、この本に書いてあることって、オレの頭の中のイメージと同じじゃん」と思ったのである。

 自分の脳内に置いたものを自分で発見して、びっくりしているのである。
 マッチポンプである。
 でも、これは凡庸な物語作家にできることではない。
 現代中国で村上春樹は圧倒的な人気を誇っているが、それを「現代中国の若者の孤独感や喪失感と共鳴するから」というふうに説明するのは、ほんとうは本末転倒なのである。そうではなくて、現代中国の読者たちは、村上春樹を読むことで、彼らの固有の「孤独感や喪失感」を作り出したのである。

 「それまで名前がなかった経験」が物語を読んだことを通じて名前を獲得したのではない。物語を読んだことを通じて、「『それまで名前がなかった経験』が私にはあった」という記憶そのものが作り上げられたのである。

 もし、村上春樹ではない、別の作家の別の物語が強い指南力を持った場合には、現代中国の若者たちは「それまで名前がなかった経験」に「孤独感や喪失感」とは違う名前をつけたはずである。

 私たちは記憶を書き換えることができる。そして、自分で書き換えた記憶を思い出して、「ああ、私のこのような経験が私を今あるような人間にしたのだ」と納得する。
(中略)

 「強い物語」は私たちの記憶を巧みに改変してしまう。物語に出てくるのと「同じ体験」を私もしたことがあるという偽りの記憶を作り出す。その力のことを「物語の力」と呼んでよいと私は思う。それだけが私たちを私たち自身のままであることに釘付けにしようとするトラウマ的記憶から私たちを解き放つのである。

『1Q84』はまだ四分の一残っている。
 私の予感では、この物語は終盤に至って「強い物語による記憶の改変」というこの論考の主題に漸近線的に近づいてゆくのではないかと思う。

 違っていたら、ごめんね(違っていました)。


『邪悪なものの鎮め方』1:アメリカの呪い
『邪悪なものの鎮め方』2:「内向き」で何か問題でも?
『邪悪なものの鎮め方』3:草食系男子の憂鬱

『呪いの時代』3:『日本辺境論』の構造的三本柱

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