『妄想気分』4

<『妄想気分』4>
図書館で『妄想気分』という本を、手にしたのです。
この表紙には見覚えがあるが、中身については記憶にないのだ…再読になってもいいではないかということで借りたのです。
(帰って調べると、半年前に借りていました)


【妄想気分】
妄想

小川洋子著、集英社、2011年刊

<「BOOK」データベース>より
異界はいつでも日常の中にある。目を凝らし耳を澄ますと入口が見えてくる。そこを覗くと物語がはじまる。創作をめぐるエッセイ集。

<読む前の大使寸評>
この表紙には見覚えがあるが、中身については記憶にないのだ…再読になってもいいではないかということで借りたのです。
(帰って調べると、半年前に借りていました)

rakuten妄想気分


小川さんが読書体験を語っているので、見てみましょう。
p55~58
<本はいつでも寄り添ってくれる> 
■海の果てでも遠い過去でも 
 つまり私にとっては、読むことと書くこととの境があいまいなのだった。面白い本に出会うと、ああ、自分もこういうのが書きたいと思い、お話を書く真似事をしているうちに、また新しい本を開きたくなる。本に描かれた世界を思い浮かべ、そこを探検するのと、新たな世界をでっち上げるのは、想像の旅に出掛ける点において、全く等しい喜びを与えてくれた。

 岡山の田舎に住む、何の取り柄もない平凡な女の子が、ただ一冊の本を開くだけで、秘密の花園を散歩したり、月光の下で13時を打ち鳴らす古時計の音を聞いたり、勇ましい戦士と一緒に青銅器時代の野山を駆け回ったりできる。市内バスに乗ってデパートに行くだけで酔ってしまうような情けない私が、海の果てでも遠い過去でも旅することができる。こんなに素晴らしい体験が他にあるだろうか。そう子供の頃に確信して以来、今の歳になるまで執念深くその思いを抱き続けている。

■フンコロガシの心の中へ 
 しかし、私の育った家には本箱と呼べる家具がなかった。それらしい戸棚はあったのだが、そこには『毎日のおかず12ヶ月』や『上手な熱帯魚の飼い方』、といった類のものや、束ねた「主婦の友」や家計簿、実用的でない事典の類などが仕舞われていた。知らず知らずのうちに、少しでも本の匂いの近くに寄ろうとしていたのか、私は西日の差すこの細長い納戸で過ごすのが好きだった。

 そこで最も強く私をひきつけたのは、『家庭の医学』だった。鮮やかに着色された内蔵、千倍に拡大された黄色ブドウ球菌、黒い帯で目隠しされた人々の皮膚病、秘密めいて恐ろしげな数々の病名たち。

 ボタンちゃんの本を作る一方で、私は飽きもせず『家庭の医学』をめくり、人間とは何と神秘的な生き物であろうか、という驚きに打たれていた。海の果てや古代を旅するのと同じ気分で、自分自身が抱えている肉体的な世界の暗闇を探求していた。

 もちろん当時は、そんな理屈は分かっていない。ただ得も言われぬ衝動に突き動かされるまま、ページに見入っていただけだ。目次から心に引っ掛かる病名を一つ選び、症状や感染経路や治療法の中に物語を見出し、その病気にかかってしまった人のお話を作るのもまた、私の「本ごっこ遊び」の一つだった。

 読書体験の原点が『家庭の医学』だったからか、学校の図書館で借りる本も、『シートン動物記』や『ファーブル昆虫記』、種々の動物や恐竜の図鑑、科学者の伝記などが多かった。それらの本を、『若草物語』や『長くつしたのピッピ』や『メアリー・ポピンズ』を読むのと区別なく楽しんだ。

 普段は見過ごされている、しかし紛れもない現実の一部を、感情をまじえず、ただひたすらじっと観察していると、そこにもちゃんと世界があることに気づかされる。人間が及びもつかない不思議なドラマが、生み出されている。

 ファーブルの視線の先でフンコロガシは、か弱い後ろ足を使い、皆から見捨てられたフンを集めて回る。誰に命令されたわけでもないだろうに、一心に、修業するように、大きなフンを転がしてゆく。
 いつしか私は、ボタンちゃんの冒険を夢想するのと同じように、フンコロガシの心の中へ想像の旅に出掛けている。


この記事も小川洋子ミニブームR1に収めておくものとします。

『妄想気分』1:ミーナの行進p180~183
『妄想気分』2:フランス語への翻訳者との付きあい
『妄想気分』3:私の書いた本たち

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