『紅蓮亭の狂女』1
<『紅蓮亭の狂女』1>
図書館で『紅蓮亭の狂女』という本を、手にしたのです。
清国皇帝一族に接近した軍事探偵ってか…
軍事探偵というのは007のようなものなので期待できるかも♪
「紅蓮亭の狂女」冒頭の語り口を、見てみましょう。
図書館で『紅蓮亭の狂女』という本を、手にしたのです。
清国皇帝一族に接近した軍事探偵ってか…
軍事探偵というのは007のようなものなので期待できるかも♪
【紅蓮亭の狂女】 ![]() 陳舜臣著、毎日新聞社、1994年刊 <「BOOK」データベース>より 清国皇帝一族に接近した軍事探偵が体験する魔訶不思議の世界―表題作ほか、文学者・郁達夫の死の謎に迫まる「スマトラに沈む」など六篇。 <読む前の大使寸評> 清国皇帝一族に接近した軍事探偵ってか… 軍事探偵というのは007のようなものなので期待できるかも♪ amazon紅蓮亭の狂女 |
「紅蓮亭の狂女」冒頭の語り口を、見てみましょう。
p3~5 <紅蓮亭の狂女一> 明治18年。…清国では光緒11年の早春。 京城事件をめぐって、清国と日本の関係が緊張していたころである。ときの駐清国日本公使は榎本武揚だった。近く本国から全権大使伊藤博文の一行が北京にのりこみ、談判にあたるというので、榎本公使はあらかじめ清国がわの意向をさぐるために、いろいろと情報を集めていた。 清国の外交は、一応、総理衛門の管轄となっているが、宮廷関係者の発言力もつよく、内情は複雑をきわめている。 古川恒造は、商況視察のため北京滞在ということになっているが、じつは榎本公使の密偵の一人であった。彼はおもに宮廷関係の情報をさぐるように命じられていた。 資金はたっぷりもらっていた。顕門に近づくには、金がかかるのである。 李という宦官の弟を通じて、めぼしい皇族や貴族たちに、日本からとりよせた蒔絵や金銀細工などを献上してあった。 「十刹海の貝勒さまが、近いうちに会ってもよいと申されました」 と、李が報告にきた。 「十刹海か…」 古川はすこし失望した。 何人かの皇族に餌をまいてあったが、まっさきにかかったのは、あまり役に立ちそうもない人物だった。 親王の子を『貝勒』という。遊牧時代の満州族の部族長を意味することばで、いまでは一種の爵位となっている。北海公園の北にあって、蓮で名高い十刹海のほとりに住む貝勒といえば、恭親王の長男、載チェンのことなのだ。 恭親王はときの皇帝光緒帝の父の実兄だから、十刹海の貝勒は現皇帝の従兄弟にあたる。清朝の皇族は、その名で世代や血縁の親疎がわあるようになっている。名前は二字だが、上の字は康熙帝のつぎの世代から、 弁―弘―永―綿―〇―載―〇―〇―恒 の順でつけて行く。 そして下の字は、近いグループの者たちは扁や旁をおなじくする。 光緒帝の名は載チェン。 十刹海の貝勒は、現皇帝とおなじ『載』の字をいただき、しかもおなじサンズイ扁を第二字にもつ。数多い宋室関係者のなかでも、とくに皇帝と近い間柄にある。 しかし、諜報活動の対象としては、皇帝と血のつながりが濃いというだけでは、かならずしも価値があるとはかぎらない。 載チェンは素行が悪いことで有名な貝勒であった。熱中するところは、もっぱら遊蕩にあって、政治についてはさっぱり関心をもっていないという。そんな人物から、宮廷内における対日政策の動向といったものをきけるだろうか? |
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