『紅茶スパイ』6

<『紅茶スパイ』6>
図書館で『紅茶スパイ』という本を手にしたのです。
パラパラとめくると、東インド会社、王立園芸協会、三角貿易とか散見されるわけで・・・まさに女王陛下の007ではないか♪

おっと、冗談はさておいて・・・
ちょっと硬い視点かもしれないけど、アヘン戦争当時のイギリスの帝国主義、植民地主義を知りたいわけでおます。


【紅茶スパイ】
紅茶

サラ・ローズ著、原書房、2011年刊

<「BOOK」データベース>より
19世紀、中国がひた隠ししてきた茶の製法とタネを入手するため、英国人凄腕プラントハンター/ロバート・フォーチュンが中国奥地に潜入…。アヘン戦争直後の激動の時代を背景に、ミステリアスな紅茶の歴史を描いた、面白さ抜群の歴史ノンフィクション。

<読む前の大使寸評>
ちょっと硬い視点かもしれないけど、アヘン戦争当時のイギリスの帝国主義、植民地主義を知りたいわけでおます。

rakuten紅茶スパイ


アヘン吸引、アヘン貿易のあたりを、見てみましょう。
p192~195
<第13章 1849年福建省浦城>
 アヘン吸引は上流階級では贅沢な道楽とみなされていたが、社会全体に広がった結果、下層階級に蔓延する社会悪となった。「寝椅子に横になって吸引している男たちは骸骨のようにやせ細り、悪魔のようにげっそりしている。アヘン中毒者は家族全員を不幸にし、財産をことごとく浪費し、己自身も破滅させる・・・・アヘンは肉体を消耗させ、皮は垂れ下がり、骨はむき出しになり、棒切れのようになる。アヘン中毒者は私財をすべて売り払い、売れるものがなくなると妻を質入れし、娘を売るようになる」とある外国人旅行者が記している。

 アヘンは非力で無気力な労働者を生み出し、生産以上の消費をうる大衆を生み出した。とくに皇帝の軍隊は「笑い者」になり下がった。軍隊におけるアヘンの蔓延が、当時の多数の報告書で糾弾されている。「広東省と福建省出身の兵士の多くはアヘン吸引者である。将校ともなるとさらに数が増える。彼らは将校であるにもかかわらず臆病者で、作戦を台無しにする。まったく見下げ果てた者たちだ」。太平天国の反乱軍が各地で次々に勝利を収めるのも不思議はなかった。別の学者は「一万人以上いるが、十人のうち七人は沿岸部の広東出身者だ」と不満をもらしている。

 アヘンや紅茶といった薬物は、大量生産されて市場に大量に出回った世界的商品の先駆けだった。そうした「刺激物」に触れたすべての物や人は、生産者から卸売業者、消費者に至るまで、大きく変化した。イギリスと中国が深く関わったこの世界的な薬物貿易により、新しい指導者、新しい政府、新しい社会、新しい農法、さらには新しい植民地、新しい資本蓄積の方法、新しい輸送や通信の手段が生まれた。

 経済的観点や帝国主義的観点に立てば、アヘンは奇蹟の商品だった。努力もせずに新しい市場と消費者が見つかり、貨物としてスペースをほとんど取らなかった。その貿易商船は艦隊を成して進み、グローバリゼーションの最初の波に乗り、世界を植民地化した。そのごく初期の頃からアヘンは貨幣の代わりを務めたが、そのおかげで極東貿易は速やかかつ整然と行われた。それは軽くて運搬しやすく、高値で売れた。

 紅茶、コーヒー、あるいは砂糖と同じように、アヘンはイギリス帝国に大きな富をもたらした。かつてイギリスは中国茶の代金を銀貨で支払い、国際収支が大赤字だったが、アヘンの輸出が増えることによって黒字に好転した。
(中略)

 世界征服を目指すイギリス海軍は、砂糖、紅茶、アヘン貿易で稼いだ金で軍備を強化し続けることができた。アヘンなくしてはインド貿易の繁栄はありえなかっただろうし、インドなくしてはナポレオン戦争後のイギリスの植民地政策は失敗していただろう。

 かごかきや荷物担ぎはその晩はおとなしくなったが、彼らが憤慨して舌打ちしたり、悪態をついているのがフォーチュンにも聞えた。彼は旅館の自室に戻ったが、眠気は遠のいてしまった。立ち上がってくるアヘンの煙が、腐った床板の隙間から部屋に入ってきた。濃くて重い煙は床を這い、フォーチュンの荷物の上で渦を巻いた。圧倒的で、妙に心ひかれる匂いだった。

 アヘン吸引の経験があるイギリスの小説家グレアム・グリーンが後年語ったように、アヘンは「一目見ただけで恋愛に発展するかもしれないと感じる美人」に似ていた。


『紅茶スパイ』1
『紅茶スパイ』2
『紅茶スパイ』3
『紅茶スパイ』4
『紅茶スパイ』5

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