『書いて稼ぐ技術』3

<『書いて稼ぐ技術』3>
『書いて稼ぐ技術』という新書が積読になっていたが…
この本を再読して、「読み書きのしかた」という基本を修めようと思うのです(暇なことで)♪


【書いて稼ぐ技術】
書いて

永江朗著、平凡社、2009年刊

<「BOOK」データベース>より
フリーライターは名乗れば誰でもなれるが、それで食べていけるかどうかが肝心。何をどう書き、得意ジャンルをいかに確立するか。自らのキャリアをどのようにデザインするか。そして、世間をどう渡っていくかー。文筆稼業25年の著者が自らの体験を披瀝し、「書いて生きる方法」を説く。
【目次】
1 書いて生きるということ(不況だからこそフリーライター/ライター業の手始め/人生設計をどう立てるか)/2 読み書きのしかた(永江式発想術/取材のABC/ライターは読者の代行業である)/3 世渡りのしかた(業界を渡る、世間を渡る/お金の話/リスク管理術)

<大使寸評>
著者は、「フリーライターになったら、できるだけ早く単著=単独の著書を出しましょう」と、ヒット作品の効用を説いているが・・・・
それが出来れば苦労はないでぇ!(怒)

功成りたフリーライター永江さんが「書いて生きる方法」を説いているので、書いてみようと思うわけです♪

rakuten書いて稼ぐ技術


永江さんが説く「読書術」がブログを書く上で参考になります。
p109~111
<読書術>
 資料の基本は本です。どんな本を読むかによって、フリーライターの仕事の質は決まります。趣味で読むのではありませんから、好きな本だけ読んでいればいいというものでもない。ときには苦手なジャンルや嫌いな人の本も読まなければなりません。苦痛でも退屈でも、我慢して読むしかありません。

 フリーライターとして仕事をするときは、同じテーマの同じような本を大量に読むことをおすすめします。同じような本を何冊も読むのはムダのように思えるかもしれませんが、ムダのようなことを敢えてすることによって見えてくるものもあります。

 同じテーマの本をたくさん読んでいると、そのテーマに関する本質が見えてきます。私はこの現象を「球が止まって見える」と呼んでいます。松井やイチローにとってピッチャーの投げたボールが止まって見えるように、そのテーマの本質が見えてくるのです。

 似たような本であっても、著者が違えば主張は少しずつ違っています。違っているはずです。類書がたくさんある中で、著者は自分の主張がいかに他と違っているかを訴えようとしますから、少しずつ違っているんだけれども、共通しているところもたくさんあります。その共通しているところが、同じテーマの本をたくさん読むことによってだんだん絞られてきます。そのテーマについての最大公約数的なもの、それが「本当のこと」といっていいでしょう。

 「本当のこと」は陳腐なものです。だいたい私たちの常識にかなうもの。一見、常識に反しているようでも、よく考えると納得できるもの。

 以前、財テクについての本を大量に読んだことがありました。全部で30冊ぐらいあったでしょうか。どうやってお金を貯めるか。最大公約数としての「本当のこと」は、あっけないぐらい簡単なことでした。収入を増やして支出を減らす。それだけです。昔から言われていることです。それぞれの本は、そのバリエーションでしかありません。収入の増やし方についてはいろいろな方法があります。そして支出を減らすことについても、さまざまな倹約法が紹介されています。しかし、強調するところに違いはあれ、どんな財テクもこの二つの組み合わせであることは同じです。

 「本当のこと」が見えてくると、「嘘のこと」も見えてきます。財テクでいうなら「収入を増やして支出を減らす」ということから外れた突飛な提言は、見た目は派手でもどこか嘘くさい。陳腐でないもの、凡庸でないものは、どこかに無理があります。ネタとしてはそれでいいのかもしれませんが、あくまでそれはネタです。

 もしもそのテーマに関する本を1冊しか読まなかったとしたら、それはギャンブルみたいなものです。それがとてもすぐれた内容の本だったら当たりです。その1冊から得られるものは大きいでしょう。しかし、それが奇をてらっただけのトンデモ本だったら、間違った知識を得ることになります。間違った知識を元にしたのでは、間違った原稿しか書けません。その本が当たりかハズレかは、本をたくさん読んでみないとわかりません。たくさん読むうちに、その本を相対的に評価できるようになります。

 同じテーマの似たような本を何冊も買うのはもったいに気がするけれども、こうした素人だったらやらないようなバカなことをするのがプロというものです。

・・・なるほどね♪

永江さんが説く「批評術」が書評や映画評を書く上で参考になります。
p133~137
<批評術>
 文章なんて何をどう書こうと自由。おもしろければそれでいい。そういい切ってしまいたいのですが、ライターは読者の代行業である、という考え方からすると、書評もCD評も映画評も、忙しい読者に代わって本を読み、CDを聴き、映画を見る、ということが基本姿勢になります。それさえ押さえておけば、あとは何をどう書こうと自由です。また逆に、読者の代行業であるという前提からすると、何をどう書くべきかもおのずと定まってきます。

 書評を例に考えましょう。読者はその本がどんな本なのか知りません。著者についても予備知識がないかもしれない。そういうまっさらな状態の読者にその本のことを伝えるわけです。

 まずはその本がどういう本なのか。小説なのか、ノンフィクションなのか。ドキュメント/ルポルタージュなのかエッセイなのか。小説なら長編小説なのか短編集なのか、あるいは短編連作なのか。カポーティの『冷血』のように、小説のようなノンフィクションもありますし、堀江敏幸の『おぱらばん』のようにエッセイなのか小説なのか判然としない作品もあります。バラエティブックと呼ばれる、さまざまな文章を集めた本もあります。

 学術的な研究書と批評/エッセイの境目は曖昧です。「注があるのが研究論文で、注がないのが文芸評論」という人もいますが、もちろんそれはジョークじみたレトリックで、注のある文芸評論もありますし、注のない研究論文もまったくないわけではない。しかし書評の書き手に求められているのは小説かエッセイかを判断することではなく、「小説のようにも読めるエッセイ」だとか「エッセイのように読めるエッセイ」というふうに、それがどんな本なのかを伝えることです。
(中略)

 最近、「ネタバレ覚悟で書くが」とか「ここからはネタバレになるので、まだ読んでいない人はここから先を読まないでほしい」などと断った上でネタをバラす書き手が増えているように感じます。それも芸のうちなら許せるけれども、誰も彼もがあえてネタバラしをするのはどうかと思います。

 その本の内容だけかいつまんで紹介すればそれでいい、という考え方もありますが、それだけでは書評として足りないと私は思います。書評にはバイヤーズ・ガイドとしての側面があります。買うべきかどうなのか。1500円を払う価値があるのかどうか。

 そのためには、その本、その作品の位置づけが必要になります。
 まずは、その作品がその作家にとってどのような位置にあるのか。処女作、デビュー作なら簡単です。「これはデビュー作である」と書けばいいのですから。しかし何作も書いている作家の場合は、これまでの作品との比較が必要になります。従来の作品の発展形なのか、まったく新しい取り組みなのか。

 宮部みゆきのように、現代ミステリー、時代小説、SFファンタジーとジャンルが多様で、しかもそれぞれにシリーズがある作家もいます。
 桐野夏生の長編小説『IN』のように、映画にもなった『OUT』との関連性をにおわせるタイトルをつけながら、内容はまったく違うものもあります。過去の作品に比べてすぐれているのかどうなのかも、読者は知りたいところでしょう。

 どのような位置にあるのかを判断するためには、その作家のほかの作品も読まなければなりません。書評はルポルタージュなどに比べると、本さえあればできる簡単な仕事のように見えるかもしれませんが、ちゃんとやろうとするとけっこう大変です。場合によっては原稿料より資料代のほうが高くつくかもしれません。図書館を活用しましょう。


『書いて稼ぐ技術』2


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