『中国化する日本』12

<『中国化する日本』12>
與那覇潤著『中国化する日本』がしばらく積読状態だったので、再読しようと思いたったのです。
11回まで紹介していたので、ほぼ全ページが赤線だらけとなっているではないか・・・
未紹介のヵ所を探すほうが早いのかも。

・人権は封建遺制であるp267~270
・ポスト「3.11」の歴史観へp296~297

与那覇与那覇先生
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『中国化する日本』11>目次

・清朝は「中国化」社会の究極形p68~71
・ポスト「3.11」の歴史観へp293~297

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『中国化する日本』10>目次
・憲法改正をまじめに考えるp288~283
・近世で終わった歴史:内藤湖南の中国論p31~33

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『中国化する日本』9>目次
・日本の未来予想図1p278~280
・日本の未来予想図2p281~283

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『中国化する日本』8>目次
・郡県化する日本:真説政治改革p247~248
・ベーシック・インカムをまじめに考えるp275~278

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『中国化する日本』7 >目次
・中国化した世界:1979年革命p233~235
・真説バブル経済p239~240

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『中国化する日本』6 >目次
・真説「大東亜戦争」p206~209
・真説田中角栄p223~225
・人権は封建遺制であるp267~271
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『中国化する日本』5 >目次
・真説日中戦争1p197~200
・真説日中戦争2p203~205
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『中国化する日本』4 >目次
・真説明治維新p120~123
・真説自由民権p138~140
・工業化された封建制p167~169
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『中国化する日本』3 >目次
・明朝は中国版江戸時代?p61~63
・窓際族武士の悲哀>p103~105

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『中国化する日本』2 >目次
・「中国化」とは本当は何かp15~17
・真説源平合戦p43~45
『中国化する日本』1

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【中国化する日本】
中国化
與那覇潤著、文藝春秋、2011年刊

<内容紹介>より
日本の「進歩」は終わったのか──ポスト「3.11」の衝撃の中で、これまで使われてきた「西洋化」・「近代化」・「民主化」の枠組を放棄し、「中国化」「再江戸時代化」という概念をキーワードに、新しいストーリーを描きなおす。ポップにして真摯、大胆にして正統的な、ライブ感あふれる「役に立つ日本史」の誕生!

<大使寸評>
歴史を今の政治経済にまで引き寄せる與那覇さんの着想が鮮やかであり・・・
それをまた、読みやすく書く文才が並の歴史学者と違うのかもしれませんね。

Amazon中国化する日本


このあたりは(その6)で紹介済みなので、まったくの再読になるのだが…ま いいか。
p267~270
<人権は封建遺制である>
 中国社会の怖さ、とはなんでしょうか。おそらくそれは、法の支配や基本的人権や議会制民主主義の欠如でしょう。

 私たち日本人は、少なくとも日本国憲法ができて以来、これらの制度をそれなりにきちんとした形で持っているので、それがまるで欠けているように見える中国を、軍事的
経済的には超大国になったとされる今でも、どこか「怖い国」「遅れた国」「野蛮な国」と見てしまう癖がついています・・・・こと中国関連となると、チベット/ウイグル地域での民族問題や、高速鉄道事故など「いかにも」なネガティブ・ニュースにばかり飛びついてしまう人が多いのは、その証左でしょう。

 しかし歴史的に考えれば、これは逆なのです。
 中国というのは本来、人類史上最初に身分制を廃止し、前近代には世界の富のほとんどを独占する「進んだ」国だったわけですから、むしろ、「なぜ遅れた野蛮な地域であるはずのヨーロッパの近代の方に、法の支配や基本的人権や議会制民主主義があるのか」を考えないといけないのです。中国近世の方がより「普通」の社会なのであり、西洋近代の方が「特殊」なんだと思わないといけない。

 実は、その理由は簡単に説明できます。西洋型の近代社会を支えるインフラであり、また他の社会と比べてその最大の魅力となっている法の支配や基本的人権や議会制民主主義とは、もとはといえば、どれも中世貴族の既得権益なのです(村上淳一『近代法の形成』)。

 俺様は貴族だから、公平な裁判なしに、王様の思惟で処刑されたりしない(法の支配)。俺様は貴族だから、不当に自分の財産を没収されたり、令状なしに逮捕されたりしない(基本的人権)。俺様は貴族だから、自分たちが代表を送った議会で合意しない限り、王様の増税や戦争には従わない(議会制民主主義)…そう、身分制という「」時代に生まれた特権が、実は現在の人権概念の基礎をなしている。

 逆にいえば、ヨーロッパ型の近代化とは、このような貴族の既得権益を下位身分のものと分け合っていくプロセスだったわけです。

 とすれば、中国にそれらがない理由もまた自明でしょう。だって宋朝の時代に「近世」に入って以来、そもそも中国には特権貴族なんかいなくなったのですから。だから、経済的には成長をとげて西欧諸国と肩を並べるようになったのに、政治の面では全然「西洋化」が進んでいるようにみえないのです。

 実際、昨今の経済発展によって形成された中産階級の意識をみても、むしろ共産党の一党制による安定した支配を望む声が強い。

<中国化する民主主義>
 「なーんだ、やっぱり中国ダメじゃん。経済一流、政治三流じゃん」と思われたでしょうか? そういう日本人こそいい面の皮です。なぜか。実は「近世に貴族が絶滅した」という点では、日本も西欧より中国の方に近いからです。

 たとえば、近世大名の城郭は彼の私物ではなく、国家の公共建築です。近世の武士は全員官僚化して城下町に住んでおり、給与も大名から定額を受け取るという形でサラリーマン化しているので、自身に固有のものとしての荘園や領地を持っているわけではない…つまり西洋の貴族に比べて、近世日本の大名や武士は、基本的人権の最大の基礎となるべき財産権がそもそも弱い。

 それだけでなく、こうして近世に武士が大名家の行政実務に食い込んで、その運用を通じて自己の利益を守るという選択をし、西欧の貴族(騎士)のように議会を結成して国王に対抗するという道を選ばなかったから、民主主義の基盤となるべき議会政治の伝統がない。行政府依存が強く、立法府に権威がない。そうすると、法の支配の要となるべき、司法の独立性もあやしい。

 それでは、なぜ日本は中国と同じような社会に、今のところなっていないのか?…ことらの答えも、本書を読んでこられた方には簡単です。「江戸時代」があったから、「封建制」があったからです。一言でいえば、既得権益や生活保障の担い手として、ムラやイエといった集団が貴族の代わりをしたのです。


なるほど、日本には江戸時代という封建制があったけど、早すぎた文明国・中国では皇帝が封建制を許さなかったようです。
ここが日中で決定的に違うわけで、中華の民衆たちは、要するに王朝の奴隷という地位に甘んじるしかなかったわけですね。
(現在でも、国民は共産党の奴隷状態であるが)

それでは、最終章を見てみましょう。
このあたりは(その11)で紹介済みなので、まったくの再読になるのだが…ま いいか。
p296~297
<ポスト「3.11」の歴史観へ>
 この国の人々が生活の基盤を置いてきた地域という共同体が丸ごと飲み込まれてしまうような大津波の経験、さらあに政府や企業の公的機構では行き届かないケアの不足の中で、ある意味で日本人は初めて、中国のような社会で生きるとはどのようなことかを、理解しつつあるのかもしれません。

 そもそも、生活地域が丸々消滅してしまうような洪水、旱魃、疫病等は、地形が比較的平板かつ大河の多い中国では古代から頻繁に起きたことで、だからこそ中国人は危機の時には「一箇所に家族で肩を寄せ合う」のではなく、「宗族のツテを辿ってバラバラに他の土地へ逃げる」選択をしてきました。そして公的政府がほとんど生活の面倒を見てくれず、永続性のある企業共同体も乏しかったからこそ、いざという時は既存の制度や組織ではなく、個人でポンと寄付をしてくれるような「有徳者」のネットワークに望みを託してきた(ないし、託さざるを得なかった)

 そのような状況にまさに今、日本社会は入っていきつつあります。もともと行き詰っていた「長い江戸時代」の崩壊が、不幸にも大地震という、悲惨な災害によって加速されたことで。
 たとえば津波に生産手段のすべてをさらわれてしまった沿岸部はもとより、原発事故による放射能汚染(および風評被害)が拡大する地域において、もはや江戸時代の職分性と同様の「公共事業や規制政策による雇用維持を通じて生活保障を代替する」やり方が、通用しないのは自明でしょう。

 ましてこれから「脱原発」を真剣に考えるのであれば、原発産業の撤退による地元経済の停滞、さらんは電力コストの増大による日本全体の産業空洞化がもたらす雇用の減少も視野に入れつつ、いまこそ「雇用に依存しない福祉」を一から作っていかねばならない。
 しかし、これまで地域や職場ごとに結ばれてきた絆を失ってもなお、私たちは生きていけるだろうか。あるいは中間集団なき流民と化した国民と、生活の手綱を一手に握る国家とが対峙した時、そこには日本史上かってない専制権力が生まれはしないだろうか。
 たとえばこういった問題を探るヒントを、かような状況の大先輩とも言える中国の歴史にも求めながら、われわれは模索を続けていかざるをえない。もはやそこに安易な希望はなく、ただただ陳腐で気の遠くなるような反復があるだけだとしても。

 私たちが進歩しているという考え方は、端的にいって間違っていました。そして進歩すれば「正しい答え」が自ずと発見されて、なにひとつ悩む必要の無い理想的な暮らしが実現するという想定は、徹底的に誤っていました。

 私たちが生きていかなければならないのは、おそらくは1000年も前に「歴史の終わり」を迎えて変化の止まった中国のような世界であり、そしてそのような社会にいかなる正負の側面があり、なにをなすことが可能でなにをやったら危険なのかを過去の事例から学ぶことこそ、いま歴史というものに求められている使命と確信します。

 そして、それこそが自ずと、この国の復興のみでなく、隣国の人々との共生、さらには彼らが置かれている状況の改善にもつながってゆくものであると。

日本の未来は、かつて中国で起きたような世界なのか…與那覇先生は夢も希望もないようなことをおっしゃるな~。でも、そんな世界にならないように努力するしかないのかも。

『中国化する日本』11

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