『鄧小平』3
<『鄧小平』3>
本屋で『鄧小平』という本を見かけたが・・・・
エズラ・ヴォーゲルに橋爪大三郎が質問するという対談形式の本である。
日米の英知が中国の巨大政治家を語るという企画が…ええでぇ♪
…ということで、ほぼ衝動買いとなった次第です。
この本は読みどころが多いので、(その3)として読み進めたのです。
トウ小平と言えば、なんといっても改革開放であるが・・・
それが今では功罪半ばというか、諸悪の根源になった感があります。
そのあたりを、見てみましょう。
天安門事件から江沢民の登用までを見てみましょう。さすがのトウ小平も見立てを間違ったようですね。
『トウ小平』1
『トウ小平』2
本屋で『鄧小平』という本を見かけたが・・・・
エズラ・ヴォーゲルに橋爪大三郎が質問するという対談形式の本である。
日米の英知が中国の巨大政治家を語るという企画が…ええでぇ♪
…ということで、ほぼ衝動買いとなった次第です。
【トウ小平】 ![]() エズラ・ヴォーゲル×橋爪大三郎著、講談社、2015年刊 <商品説明>より トウ小平は、中国の方向をどのように転換させたのか。強大な経済力・政治力パワーをもつに至った中国の基礎をどのように築いたのか。「現代中国の父 トウ小平」の著者が、トウ小平の生涯と業績の大事なポイントを語る。【「TRC MARC」の商品解説】 「トウ小平は、20世紀後半から21世紀にかけての世界史にとって、もっとも重要な人物だ」――橋爪大三郎 「いま中国は相当強くなった。10年か20年で、GDPは世界のトップになるだろう。これがどうして可能になったかというと、トウ小平の開いた道なわけです。あれほど経験があって、権威があって、あらゆる面の実力を兼ねそなえている人は、いない」 「このインタヴューは短いけれど、トウ小平の生涯と業績の大事なポイントをすべて盛り込むものになった」――ヴォーゲル <読む前の大使寸評> エズラ・ヴォーゲルに橋爪大三郎が質問するという対談形式の本である。 日米の英知が中国の巨大政治家を語るという企画が…ええでぇ♪ hontoトウ小平 |
この本は読みどころが多いので、(その3)として読み進めたのです。
トウ小平と言えば、なんといっても改革開放であるが・・・
それが今では功罪半ばというか、諸悪の根源になった感があります。
そのあたりを、見てみましょう。
p164~168 ■革命よりも改革 ヴォーゲル:トウ小平は非常にうまいことを考えていたんですね。毛沢東のいちばん根本的なことは、新しいことを実験しtみよう。これこそが毛沢東の精神だと。そういう言い方は、非常に、うまいな。私も、新しい実験をやるなかで、毛沢東と違ったことをやってみる。毛沢東が生きていたら、きっとそれを許すだろう。これはうまい。 トウ小平は長年、毛沢東と一緒に暮らしていた。いまの立場を守るために、毛沢東は私のやり方を批判しないよ、と言う。こういう言い方は、ほんとにうまいな。 橋爪:それはほんとに、ほかのひとには真似のできない、すばらしいやり方です。 ヴォーゲル:私もそう思います。 橋爪:天才的だと思うんです。 ただ、改革開放を中国共産党の基本政策にすることで、中国共産党の性質が変わったと思います。 共産党はもともと、プロレタリア国際主義に立脚し、世界の労働者人民を解放するものです。天安門にも、「世界人民大団結万歳」とスローガンが掲げてあります。中ソ論争のあとも、中国は、第三世界や非同盟諸国や抑圧されている人民のリーダーで、革命を継続するんだっていう、ロマン主義の側面があった。 いっぽう改革開放は、中国の発展戦略の問題なんです。だからそこで、インターナショナリズムからナショナリズムに、大きく方向が、変わったと思います。 ■社会主義の初級段階 ヴォーゲル:だけど、外国に向かっては、中国はしばらく、まだ革命をやる、みたいなことを言っていたのです。トウ小平自身は、革命よりも、安定した経済の発展を、重視する姿勢に変わっていたのですけれども。 ボクは、シンガポールのリー・クワンユーと話したとき、こう教わった。これはすごく大事な点だと思うのですが、リー・クワンユーは、中国に革命の宣伝をしてもらっては困る、とトウ小平に文句を言った。東南アジアとうまくやりたいなら、そういうことはやめなさいと。当時は中国から東南アジアに、革命を宣伝するラジオ放送が流されていたんです。すると、トウ小平は、まあ1,2年ぐらいかかるけれども、考えてみましょう、という答えだった。1,2年たったら、ラジオ放送はぴたりとストップした。 ですからリー・クワンユーは、大変な変化だとわかったというんです。 橋爪:はいはい。 ヴォーゲル:そういう変化はどういうふうに、おこなわれるか。いろいろ準備があって、大変なのです。 トウ小平は、実際に、労働者や農民を守るためにやる、と言う。大躍進や文化大革命は、ほんとに農民と労働者のためだったかと言えば、そういうわけじゃなかった。共産党とその指導者たちは、労働者や農民から、かなり離れていた。それが、毛沢東の時代の、実際だった。だけど大義名分はまだ、プロレタリアですね。労働者階級、農民階級のためにやると。そういう看板は残しておいて、実際には違うことをやる。 あとになって、趙紫陽は87年に、「社会主義の初級段階」という言い方をした。うまいけれども、まあ、嘘だ。初級段階なら、そのあと社会主義の国になる、という意味でしょう。実は、そんなこととっくにやめているのに、言葉でそう言いつくろっている。 国を実際、指導するのにね、これまでの考えを続ける、毛沢東の考えを続ける、と言うのは、有効なのです。これまでの理想を全然やめたと、言うのはちょっとまずい。ただ実際には、ほんとうに変わっていった。 橋爪:なるほど。 ■共産党は永遠か ヴォーゲル:ある友だちが聞くんです。50年あと、中国共産党はまだあるかどうか。ボクの想像ですが、たぶん、トウ小平も、将来のことを考えたと思うんですね。 トウ小平はそもそも、何のために戦ったか。ボク自身の解釈は、共産党よりも、国のためである。そう私は思うんですね。彼の、国のためによかれと思う政策で、共産党が変わってもかまわない。もっと民主主義でやっても、中国のためにそれが必用なことなら、かまわないという考え方だと思うんです。 共産党とほかの党があって、選挙があっても、トウ小平は反対しない。共産党の代わりにほかの党、たとえば社会党が、政権を担当しても、20年、30年あとなら許したっていい。それがトウ小平の考え方だと思うな。 トウ小平は、それを頭のなかで考えた。でも、それを絶対に言わない。でも、あれだけ合理的で実践的な彼の考え方からすると、そういう結論になるだろうと、思うんです。 橋爪:私もそう思うんですけど、しかしまあそれは、だいぶ先の話である。 そんなふうに柔軟に、中国の将来を考えることのできたひとが、次の章でみるように、天安門事件にぶつかってしまったのは、まことに不運なことだと思います。 ヴォーゲル:そうそう。 |
天安門事件から江沢民の登用までを見てみましょう。さすがのトウ小平も見立てを間違ったようですね。
p214~218 ■流血の天安門 橋爪:さて、結局、6月3日から6月4日にかけて、いちど引き返した軍隊が、今度は武装して15万人で戻ってきた。学生たちは天安門から追い出されてしまい、流血の事件になった。これには、外国は大変ショックを受けて、アメリカをはじめ多くの国々が、中国と少し交流をストップしよう、抗議をしようと制裁を決めた。こうして、2,3年、交流が停滞したと思います。 ヴォーゲル:われわれ外国人だけでなくて、学生も、大きなショックを受けました。そういうことをするか。政府がひとを殺すのかと。流血の惨事になるとは、思わなかったのですね。当時の学生にいろいろ話を聞いても、自国の軍隊、解放軍の兵士が、首都の真ん中で、人を殺すとは思わなかった、と言っていました。 橋爪:それは大変なショックだったと思います。 そのころ私は、日本にいる中国人留学生に友人が多かったのですが、みな一様にショックを受け、将来を悩んでいました。 その傷跡が癒えたのかどうか。中国はその後も、経済が発展して国が大きくなっていきました。人びとは、日本流に言うと政経分離なのでしょうか、経済が発展しても、政治については何も発言しないでおこうという、あきらめみたいなものが定着したかなと思います。 ヴォーゲル:ある学生は、民主主義の国が欲しくても、いまのところ何もしないほうがいい。なにかしても、完全に失敗に終わるだろう。自分の仕事や将来に、専念しているほうがいい、と言いました。そういう反応が一般的でしたね。 ■民主から愛国へ ヴォーゲル:トウ小平の目から見ると、国は少し落ち着いた。それは、一時的なものかもしれないけれども、成功だとは思いますね。 橋爪:それは私も、認めるんです。そのあと似たような、あるいはもっと大規模な、事件はほとんど起こってなくて、20年以上安定しているわけですから・・・・。 ヴォーゲル:そうですね。 橋爪:ただし、ニヒリズムというべきか、自分さえよければいい、というような態度が蔓延することになったのではないか。 五四運動このかた、中国の学生は、自分個人のことはさて置いて、中国のため、人民のため、祖国のため、全力で尽くし、努力していくんだという、そういうひとが沢山出てきていたのに、いなくなってしまった。 ヴォーゲル:そういう面もありますね、おっしゃる通り。 もうひとつは外国の制裁。民主化の運動に参加していた学生も、外国に反対する気持ちがあったんですね、愛国主義の心情があって、政府はそれをうまく使った。外国の制裁はダメだと。いま経済的に苦しいのは外国のせいだと。政府のその、愛国主義の宣伝は、多少、成功したんですね。 橋爪:なるほど。 ヴォーゲル:たとえば、オリンピック。オーストラリアで開くか、北京で開くか。学生はもちろん、北京でやってほしい。 で、政府の宣伝のやり方は、外国の圧力は民主主義がないとかいろいろな理由をつけて、オーストラリアにしましょうとなっていると。中国の学生は政府の宣伝で、われわれのオリンピックができないのは、外国のせいでけしからん、と。 橋爪:うーん、なるほど。80年代は、中国と日本のお互いに対する感情が非常によかった時代でした。日本には中国ファンが大勢いて、中国語を勉強しようとか、ブームだったんです。 でも90年代になってから、それが急に冷え込んで行った。中国側では、江沢民の「反日教育」なども始まって、いまお話のあった方向に、誘導が進んでいきました。 ■江沢民の抜擢 橋爪:江沢民の名前が出ましたので、天安門事件をきっかけとする、政治の変化についてうかがいたいと思います。 胡耀邦はその前に死んでいて、天安門事件を堺に今度は、趙紫陽が失脚してしまいました。その直前まで、趙紫陽が後継者になるはずだったんですよね? ヴォーゲル:そうだと思いますね。第13回党大会はやっぱり、趙紫陽の準備の大会と言ってもいいと思います。 橋爪:あと、趙紫陽が北朝鮮に行く直前に、トウ小平は、戻ってきたら中央軍事委員会主席にするとまで話しているわけですから、完全な後継者ですよね。 ところが、その、天安門事件の処理をめぐって、趙紫陽は完全に、信頼を失ってしまった。 ヴォーゲル:たぶんね、ちょっと前にトウ小平は、自信がなくなったと思うんですね。 趙紫陽が北朝鮮に行くとすぐ、トウ小平と李鵬は、警告の社説を書くことにした。趙紫陽の考え方と違うんですね。トウ小平は学生に対して、強い態度を示すべきだとした。趙紫陽は十分にそういうことをしなかった。弱いと。 橋爪:なるほど。弾圧を前にトウ小平は、すかさず、新しい顔が必要だということで、上海にいた江沢民を引き抜いて、中央のトップに座らせるという荒療治をしますね。 ヴォーゲル:はいはい。 |
『トウ小平』1
『トウ小平』2
この記事へのコメント