『鄧小平』2

<『鄧小平』2>
本屋で『トウ小平』という本を見かけたが・・・・
エズラ・ヴォーゲルに橋爪大三郎が質問するという対談形式の本である。
日米の英知が中国の巨大政治家を語るという企画が…ええでぇ♪

…ということで、ほぼ衝動買いとなった次第です。


【トウ小平】
ヴォーゲル

エズラ・ヴォーゲル×橋爪大三郎著、講談社、2015年刊

<商品説明>より
 トウ小平は、中国の方向をどのように転換させたのか。強大な経済力・政治力パワーをもつに至った中国の基礎をどのように築いたのか。「現代中国の父 トウ小平」の著者が、トウ小平の生涯と業績の大事なポイントを語る。【「TRC MARC」の商品解説】

「トウ小平は、20世紀後半から21世紀にかけての世界史にとって、もっとも重要な人物だ」――橋爪大三郎

「いま中国は相当強くなった。10年か20年で、GDPは世界のトップになるだろう。これがどうして可能になったかというと、トウ小平の開いた道なわけです。あれほど経験があって、権威があって、あらゆる面の実力を兼ねそなえている人は、いない」
「このインタヴューは短いけれど、トウ小平の生涯と業績の大事なポイントをすべて盛り込むものになった」――ヴォーゲル

<読む前の大使寸評>
エズラ・ヴォーゲルに橋爪大三郎が質問するという対談形式の本である。
日米の英知が中国の巨大政治家を語るという企画が…ええでぇ♪

hontoトウ小平

この本は読みどころが多いので、(その2)として読み進めたのです。

トウ小平と言えば、なんといっても改革開放であるが・・・
それが今では功罪半ばというか、諸悪の根源になった感があります。
そのあたりを、見てみましょう。
p154~160

 改革開放で、中国は驚異的な経済成長を30年あまりも続けることになるが、それは
農村から火がついた。1977年、安キ省の第一書記となった万里は、請負制を柱とする実験プランっをまとめ、トウ小平は支持した。実験はうまく行ったが、三中全会は農業の脱集団化をまだ認めていなかった。万里は胡耀那に支援を求め、トウ小平は1980年9月に家族請負制に許可を与えた。農民はやる気を出し、77年に3億トンだった穀物生産量は84年には4億トンを上回った。収穫を市場で売って利益を上げる「万元戸」が続出し、かつての人民公社を土台にする「郷鎮企業」が急成長した。

 80年代の成長を牽引したのは、深センなど沿海地方に設けられた経済特区だった。深センのある広東省は、工業の後進地だったが、香港と隣接する地の利を活かし、1980年から85年まで第一書記をつとめた任仲夷の指導のもと、外資を導入して急速に発展した。トウ小平の「先富論」は、経済特区の追い風になった。

 80年代の急速な経済成長はときに加熱をうみ、インフレがひどくなった。経済運営をめぐって、積極派と均衡派の論争もうまれた。国営企業や計画経済も存続したうえでの市場の発展は、格差やひずみや腐敗をもたらした。急速に流入する海外からの情報は、人びとを戸惑わせた。こうした熱気と混乱が、1989年6月4日の天安門事件を引き起こしたのである。


■改革開放とネップ
橋爪:改革開放というものなんですけれども、これも世界史上、たいへんユニークな現象で、中国にしか起こってないような気がします。

ヴォーゲル:どういう意味で?

橋爪:まず、中国共産党という共産党政権があって、共産党の指導のもと、資本主義経済に近いようなことを政策として行っている。これは、類例がないのではないか。

ヴォーゲル:いや、ボクはそうは思わない。

橋爪:あ、そうですか。

ヴォーゲル:ソ連に、ネップ(新経済政策)というのがあったじゃないですか。1920年代ですね。共産党政権のもと、資本主義経済みたいなことをやった。その通りだと思うんですね。
 海外の資金を必用としたし、海外の商人も来てよいし、市場経済も少し試みた。改革開放に似ている。共産党の指導部のなかには、そういう政策を続けてもいい、と思ったひともいたのです。1920年代、スターリンが社会主義の制度をつくる前のことでした。

橋爪:それは『トウ小平』(本編)に書いてあって、なるほどと思いました。
 マルクスレーニン主義の古い教科書には、社会主義計画経済と資本主義市場経済は、敵対する関係のものだと書いてある。それを勉強したので、トウ小平の改革開放が、実にユニークに見えたんです。

■類似の試み
橋爪:新経済政策以外に、改革開放にあたるものはあるでしょうか。

ヴォーゲル:ポーランドとか東ドイツとか、東ヨーロッパには、似たような試みがあったと言いますね。ポーランドは、ソ連よりも、市場経済が少し長く続いたと、聞いたことがある。それから、ユーゴスラビアの実験もあったかなあ、と。

橋爪:ただ、いずれにしろ、中国の改革開放は、規模も大きいし、影響も大きいし、比較にならないくらい巨大な、歴史的出来事だと思うんです。
ヴォーゲル:そう、おっしゃる通り。

橋爪:で、トウ小平がいなければ、これは、出来なかったかもしれない。

ヴォーゲル:私もそう思いますね。
 まあやっても、あれほど成功する可能性はなかったでしょう。

橋爪:ですよねえ。
(中略)
■毛沢東の功罪
橋爪:毛沢東が生きているあいだは、こんなことは絶対にできなかった?

ヴォーゲル:と思いますね。
 だけど、60年代の初めごろ、多少そういう道を進もうか、という気配はあった。それから、アメリカとの関係を改善してから、72年にニクソンの協力で、多少、市場経済の要素が加速される可能性もあったかもしれないですね。

橋爪:中国の人々は、毛沢東の革命的ロマン主義の理想に共感して、文化大革命では、ずいぶん努力したと思うんです。

ヴォーゲル:そうそうそう。

橋爪:で、人海戦術でいろんなことをやって、若者たちは田舎に送られて(上山下郷)、大勢の同僚が批判されて、それで10年経ってみて、これはなんだっていうふうに思って、革命的ロマン主義と距離をとるようになったんだと思います。

ヴォーゲル:そうそうそう。

橋爪:ちょうどそこに、トウ小平が出てきて、新しい政策を進めてくれそうだと。華国鋒はどうかと言えば、毛沢東べったりに見えてしまう。やってることは新しそうだけど、言ってることはべったりだ。

ヴォーゲル:うーん、だけど、華国鋒もときどき、経済の発達が必要とか、言うのですがね。ま、毛沢東が長生きして、いろいろなことを言ってしまったのです。ですから華国鋒は、自分のやりたいことを遠慮して、毛沢東の言葉から、使えるところを切り貼りするというやり方をした。
  
 トウ小平ほどできなくても、毛沢東の言葉をうまく使えば、もう少し変わる可能性もあったんですね。


『トウ小平』1

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