『職業としての小説家』3

<『職業としての小説家』3>
大学図書館で『職業としての小説家』をみっけ♪、市図書館の予約を解消し、借出したのであるが・・・
大学図書館は穴場やで♪


【職業としての小説家】
村上

村上春樹著、スイッチ・パブリッシング 、2015年刊

<「BOOK」データベース>より
「MONKEY」大好評連載の“村上春樹私的講演録”に、大幅な書き下ろし150枚を加え、読書界待望の渾身の一冊、ついに発刊!
【目次】
第一回 小説家は寛容な人種なのか/第二回 小説家になった頃/第三回 文学賞について/第四回 オリジナリティーについて/第五回 さて、何を書けばいいのか?/第六回 時間を味方につけるー長編小説を書くこと/第七回 どこまでも個人的でフィジカルな営み/第八回 学校について/第九回 どんな人物を登場させようか?/第十回 誰のために書くのか?/第十一回 海外へ出て行く。新しいフロンティア/第十二回 物語があるところ・河合隼雄先生の思い出

<読む前の大使寸評>
大学図書館でみっけ、市図書館の予約を解消し、借出したのであるが・・・
大学図書館は穴場やで♪

<図書館予約:(10/27予約、11/27大学図書館でみっけ、借出し)>

rakuten職業としての小説家

この本は読みどころ満載なんで、さらに(その3)として読み進めています。

村上さんは長距離ランナーでもあるわけで、持続力の何たるかをよく知っているようです。
そのあたりが語られている箇所を見てみましょう。
p166~172
<どこまでも個人的でフィジカルな営み>より
 孤独な作業だ、というとあまりにも月並みな表現になってしまいますが、小説を書くと言うのは―とくに長い小説を書いている場合は―実際にずいぶん孤独な作業です。ときどき深い井戸の底に一人で座っているような気持ちになります。誰も助けてはくれませんし、誰も「今日はよくやったね」と肩を叩いて褒めてもくれません。その結果として生み出された作品が誰かに褒められるということは(もちろんうまくいけばですが)ありますが、それを書いている作業そのものについて、人はとくに評価してはくれません。それは作家が自分一人で、黙って背負わなくてはならない荷物です。

 僕はその手の作業に関してはかなり我慢強い性格だと自分でも思っていますが、それでもときどきうんざりして、いやになってしまうことがあります。しかし巡り来る日々を一日また一日と、まるで煉瓦職人が煉瓦を積むみたいに、辛抱強く丁寧に積み重ねていくことによって、やがてある時点で「ああそうなんだ、なんといっても自分は作家なのだ」という実感を手にすることになります。そしてそういう実感を「善きもの」「祝賀するべきもの」として受け止めるようになります。
(中略)

 そういう作業を我慢強くこつこつと続けていくためには何が必要か?
 言うまでもなく持続力です。

 机に向かって意識を集中するのは三日が限度、というのではとても小説家にはなれません。三日あれば短篇小説は書けるだろう、とおっしゃる方がおられるかもしれません。たしかにそのとおりです。三日あれば短篇小説一本くらいは書けちゃうかもしれえません。でも三日かけて短篇小説をひとつ書き上げて、それで意識をいったんチャラにして、新たに体勢を整えて、また三日かけて次の短篇小説をひとつ書く、というサイクルは、いつまでも延々と繰り返せるものではありません。そんなぶつぶつに分断された作業を続けていたら、たぶん書く方の身が持たないでしょう。短篇小説を専門とする人だって、職業作家として生活していくからには、流れの繋がりがある程度なくてはなりません。

 長い歳月にわたって創作活動を続けるには、長編小説作家にせよ、短篇小説作家にせよ、継続的な作業を可能にするだけの持続力がどうしても必要になります。

 それでは持続力を身につけるためにはどうすればいいのか?

 それに対する僕の答えはただひとつ、とてもシンプルなものです―基礎体力を身につけること。逞しくしぶといフィジカルな力を獲得すること。自分の身体を味方につけること。
 もちろんこれはあくまで僕の個人的な、そして経験的な意見にすぎません。普遍性みたいなものはないかもしれません。しかし僕はここでそもそも個人として話をしているわけですから、僕の意見はどうしたって個人的・経験的なものになってしまいます。異なった意見もあるとは思いますが、それは違う人の口から聞いてくだし。僕はあくまで僕自身の意見を述べさせていただきます。普遍性があるかないかは、あなたが決めてください。

 世間の多くの人々はどうやら、作家の仕事は机の前に座って字を書くくらいのことだから、体力なんて関係ないだろう、コンピューターのキーボードを叩くだけの(あるいは紙にペンを走らせるだけの)指の力があればそれで十分ではないか、と考えておられるようです。作家というのはそもそも不健康で反社会的、反俗的な存在なんだから、健康維持やフィットネスなんてお呼びじゃああるまい、という考え方も世の中には根強く残っています。そしてその言い分は僕にもある程度理解できます。そういうのはステレオタイプな作家イメージだと、簡単に一蹴することはできないだろうと思います。

 しかし実際に自分でやってみれば、おそらくおわかりになると思うのですが、毎日5時間か6時間、机の上のコンピュータ・スクリーンの前に(もちろん蜜柑箱の上の四百字詰原稿用紙の前だって、ちっともかまわないわけですが)一人きりで座って、意識を集中し、物語を立ち上げていくためには、並大抵ではない体力が必要です。若い時期には、それもそんなにむずかしいことではないかもしれません。20代、30代…、そういう時期には生命力が身体にみなぎっていますし、肉体も酷使されることに対して不満を言い立てません。若いというのは実に素晴らしいことです。しかしごく一般的に申し上げて、中年期を迎えるにつれ、残念ながら体力は落ち、瞬発力は低下し、持続力は減退していきます。筋肉は衰え、余分な贅肉が身体に付着していきます。「筋肉は落ちやすく、贅肉はつきやすい」というのが僕らの身体にとっての、ひとつの悲痛なテーゼになります。そしてそのような減退をカバーするには、体力維持のためのコンスタントな人為的努力が欠かせないものになってきます。

(中略)

 僕は専業作家になってからランニングを始め(走り始めたのは『羊をめぐる冒険』を書いていたときからです)、それから30年以上にわたって、ほぼ毎日1時間程度ランニングをすることを、あるいは泳ぐことを生活習慣としてきました。たぶん身体が頑丈にできていたのでしょう。

 そのあいだ体調を大きく崩したこともなく、足腰を痛めたこともなく、ほぼブランクなしに、日々走り続けることができました。1年に一度はフル・マラソンを走り、トライアスロンにも出場するようになりました。

 よく毎日ちゃんと走れますね、よほど意志が強いんですね、と感心されることもありますが、僕に言わせれば、毎日通勤電車で会社に通っておられる普通のサラリーマンの方が、体力的にはよほど大変です。ラッシュアワーの電車に1時間乗ることに比べたら、好きなときに1時間外を走るくらい何でもないことです。とくに意志が強いわけでもありません。僕は走ることが好きだし、ただ自分の性格に合ったことを習慣的に続けているだけです。いくら意志が強くても、性格に合わないことを30年も続けられるわけがありません。

 そしてそのような生活を積み重ねていくことによって、僕の作家としての能力は少しずつ高まってきたし、創造力はより強固な、安定したものになってきたんじゃないかと、常日頃感じていました。客観的な数値を示して「ほら、こんなに」と説明することはできませんが、自然な手応えとして、実感として、そういうものが僕の中にあったわけです。


おっと、村上さんはほぼ毎日1時間も走っているのか・・・
晴走雨読の大使にとって、村上さんのいう持続力の意味はよくわかるのです。

『職業としての小説家』1
『職業としての小説家』2

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