『ねむれ巴里』

<ねむれ巴里>
金子光晴著『ねむれ巴里』という本なんだが・・・・
小さな活字でびっしり書かれた本なんで、長らく積んどく状態であったが、リタイアし、かなり経ったので、やっと読む気がわいてきたのです。


【ねむれ巴里】
パリ

金子光晴著、中央公論社、1973年刊

<「BOOK」データベース>より
中国から香港、東南アジア、そしてパリへ。夫人三千代との流浪の旅は、虚飾と偽善、窮乏と愛欲に明けくれるはなやかな人界の底にいつ果てるともなくつづく。『どくろ杯』につぐ、若き日の自伝。

<読む前の大使寸評>
小さな活字でびっしり書かれた本なんで、長らく積んどく状態であったが…
リタイアし暇だから、やっと読む気がわいてきたのです。
(蔵書は1973年刊の初版本だが、2005年刊の文庫本データとしています)

Amazonねむれ巴里



アマゾンの「なか見!検索」ではないが、本の一部を(人力入力で)ちょっとだけ紹介します。
フランス航路の終着ともいえるマルセイユの場面を見てみましょう。
マルセイユ

p40~42
 マルセイユの港から眺める周囲の小高い岩山が斑ら雪でものこっているように白く、和菓子屋で今日でも売っている吹雪まんじゅうというものによく似ていた。どうやら、それは石英質の岩が露出しているためらしく、そういう山肌は、フランスの各地の渓谷の断面にでもよく見うけられた。
 マルセイユはフランスの南方海岸で暖かい欧州の筈なのに、南から来た僕には、かなりきつい寒さをおぼえたが、暦の上では、11月末であるから無理もない。先にこの地を通ったときも、やはりおなじような冬景色で、はだら雪のようにみえる岩々の眺望もまた、おなじであった。

 顔色のわるい、もっそりとした男が、僕のそばによってきて、「マルセイユの名所を案内しましょう」とすすめ、いっしょにまごまごしている中国の地主の坊やや、お嬢さんたちの方をも、物色するようにじろじろと眺めた。それがこの土地の日本人案内人だということをしらず、夜行でパリに発つまでの時間をどうしようかとおもっていた矢先なので、すすめられるままに車にのった。
 中国の学生たちも、はじめての西洋の港で心細いらしく、僕ののっている車にぞろぞろと乗りこんだ。海岸づたいにすこしゆくと、吹き飛ばされそうに風の強い坂路をのぼったところの海に突出した突堤の上のマルセイユのノートルダムのゴチック寺院と、さらに先の方の海上に、デューマのモンテ・クリストで日本人にも馴染みのふかい、シャトー・ディーフの牢獄の島がある。名所といっても、その二つを措いてめぼしいものはない。譚嬢は、僕にくっついてあるいて、僕を風よけにした。

 彼女の手をつかんで僕は、胸のうえにあててあるいたが、その掌は、部厚ではあるが、百姓の掌ではなく、ひどく柔らかであった。彼女は先の夜のことを知っていたのかもしれない。上陸地がロンドンかリバプール、できたらアントワープか、ロッテルダムで五日、1週間の余裕があったら、たとえ、たがいに一言も通じあわない仲だとしても、自然に心もからだも流れあえることになるのが、現実の手応えとしてこちらにわかっていた。
 そうした場合、確実に結ばれる結果になることが、じぶんの狭い経験からでも予想されるので、その自信が先手をとって、自然に、ふるまいが自由になり、潮の臭いのつよい寺院の彫刻の屏風の小ぐらい蔭につれていって、彼女のゆたかな腹部にこちらの腹をつけて、力いっぱい押しつけておいて、支えている手がふれたところの彫刻の人の足のような部分をいまにも壊しそうにみしみしいわせた。そこまでのぞきに来た陳君の顔がのぞいていたのに気付いて、そのときの僕の欲情は、たちまち泡となって凋んでいった。
(中略)

 僕が注意するのを押しきって四人は、日本の料理を食べてみたいと言いだして、きかなかった。彼らは、中国といっても奥地の産でひどく日本料理に好奇心を持ったが、口にあわないことは初めからわかっていた。案内人がこのときとばかりおし出してきて、遂に、マルセイユの日本料理屋に案内し、ころもばかりの天ぷらと、うすっぺらな刺身のつく腹ごたえのない定食を喰って、フランス食ならせいぜい10フランですむのに、30フランずつ払わせられて、昼すこし廻ったころに、僕は、中国人たちとも、案内人とも別れて一人になった。

 別れればもうそれっきりのことで、到底、この人生で再会することはむずかしい人たちである。しかし、記憶はなかなかいつになっても新鮮なものだ。そして、妙なことに譚嬢をおもいだそうとすると、彼女よりももっとありありと、陳君の垂れた厚い唇と、たまった涎水がうかんでくる。パリに出て、フランス語をおぼえ、ソルボンヌか、もっと専門的な軍事専門の学校へ通って、一つところに下宿しているうちに、譚嬢は、どれほど嫌ってぷりぷりしながらも、ぷりぷりできるあいてがかけがえない頼りとなり、他国にいるという条件がふたりをくっつけてしまうことになる経緯がはっきりみえるようであった。


壁ドン場面が生々しいですね♪
風体がいまいちの陳君だが、日中開戦前に軍事教育を受けに渡仏するという時代的背景があるそうです。

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