だから日本はズレている

<だから日本はズレている>
図書館に予約していた『だから日本はズレている』という新書をゲットしたが、五ヶ月半待たされたわけで・・・・
果たしてこれだけ待つと、新書の賞味期間が過ぎてしまうではないか?と心配されるわけです(笑)

新書のテーマが短期的視点で書かれることが増えているようだが・・・
半年後に生き残る新書の戦略とは何なのか?という読み方も面白そうである、いやホント。


【だから日本はズレている】
古市

古市憲寿著、新潮社、2014年刊

<「BOOK」データベース>より
リーダーなんていらないし、絆じゃ一つになれないし、ネットで世界は変わらないし、若者に革命は起こせない。迷走を続けるこの国を二十九歳の社会学者が冷静に分析。日本人が追い続ける「見果てぬ夢」の正体に迫る。
【目次】
「リーダー」なんていらない/「クール・ジャパン」を誰も知らない/「ポエム」じゃ国は変えられない/「テクノロジー」だけで未来は来ない/「ソーシャル」に期待しすぎるな/「就活カースト」からは逃れられない/「新社会人」の悪口を言うな/「ノマド」とはただの脱サラである/やっぱり「学歴」は大切だ/「若者」に社会は変えられない/闘わなくても「革命」は起こせる/このままでは「2040年の日本」はこうなる

<読む前の大使寸評>
斎藤環が古市憲寿のズレに注目しているが、団塊世代の「おじさん」として、それを見ているだけでは・・・
あかんのやろな~。

<図書館予約:(12/08予約、5/26受取)>

rakutenだから日本はズレている


今ではクール・ジャパンという用語も定着したが、使う人の思惑で一人一人のイメージが異なるクール・ジャパンを見てみましょう。
p40~48
<「クール・ジャパン」の誕生>
 「クール・ジャパン」という言葉がここまで普及したのは、それほど昔のことではない。ネタ元は1990年代に登場したイギリスの「クール・ブリタニア」だ。イギリスの持つ古臭いイメージを打破することが目的で、イギリスのような大国までもが国家のブランド戦略に乗り出したことが当時話題になった。

 もっとも、イギリスでクール・ブリタニアはちっとも普及せずに、数年で死語になった。一方の日本では、2005年頃から、村上隆などの現代アートを海外で展開する際などに用いられるようになり、2006年には『クール・ジャパン―世界が買いたがる日本』(祥伝社)という本も発売された。

 そして次第に、アニメやマンガ、映画、ファッションを中心とした日本のポップカルチャーを総称する際に「クール・ジャパン」の文字が躍るようになっていった。

 政府もこの動きを後追いした。民主党政権時代、経済産業省が2010年にクール・ジャパン室を開設、翌年には同省に生活文化創造産業課(通称クリエイティブ産業課)も設置された。

 クール・ジャパン政策は自民党政権にも受け継がれた。初代クール・ジャパン戦略担当大臣に任命された稲田朋美が、フランスで開かれたイベントでゴスロリファッションを披露、世間の温かい視線を浴びたことは記憶に新しい。

 当初はアニメやマンガといった「オタク」的な文化、渋谷の「かわいい」ファッションといったポップカルチャーを指して使われていたクール・ジャパンという用語だが、最近では日本食や伝統工芸までがその範疇に含まれるようになった。

(中略)

<出雲大社はクールじゃない?>
 クール・ジャパンに関しては2011年に「クール・ジャパン官民有識者会議」による提言も出されている。提言によれば、「世界は『つながりあった共同体』であるという気運も興って」おり、「日本人が本来持っていた精神性への原点回帰と新たな『進化』を遂げ」て、「日本ブランドの輝き」を取り戻すべきだという。

 そのためには和魂漢才や神仏習合など「二分法をこえる日本的創造性」といった「日本流の自覚」などが必用らしい。

 また、日本は「枕草子」などで「小さきもの」を尊ぶ文化があったから、「小ささと引き算の活用」で日本を伝えたいとか勝手な日本文化論がとうとうと語られる。本殿の高さが48メートルあったとされる出雲大社や、世界最大の陵墓である仁徳天皇陵を完全に無視した日本文化論で、関係各所からクレームが入らないか心配だ。

 それで肝心な結論はというと、地域を活性化する「クリエイティブ・タレント」を養成したり、世界中からクリエイティブな人を呼び込む「クリエイティブ・フォーラム」を開催したり、「新たなライフスタイルや産業の創造」が必用とのこと。

 立場の異なる複数の有識者が参加する会議の報告書が、抽象的になってしまうことは仕方ないとしても、あまりにも具体性にとぼしい。
 というか、何度読んでも一体「クール・ジャパン」が何なのかということさえもわからない。おそらく、会議の参加者、官僚、政治家の一人一人がイメージしている「クール・ジャパン」が違うのだ。

 日本のコンテンツを海外に輸出する話なのか、逆に観光客を日本に呼び込む話なのか、ただ「日本ってやっぱりすごいよね」って言い合いたいだけなのか、それによって結論はまるで変わってくるはずだ。なのにその前提が共有されていない。そりゃ、議論もまとまるわけがない。

 僕がわかったことは、要するに国もクール・ジャパンが何かをわかっていないのだということだ。彼ら自身がわかっていないのだから、政策に一貫性がないのも当然だ。
 政府はクール・ジャパン戦略推進事業(海外展開支援プロジェクト)として採択した事業に補助金を支給しているが、本当に国として支援すべき事業か怪しい案件も多い。本来はビジネスになると踏むから企業は海外に進出しようとするはずなのだ。補助金なしで成り立たないビジネスなんて先行きが不安すぎる。

 2012年度の補正予算では843億円がクール・ジャパン関連予算として計上されている。内訳をみると、外務省が「21世紀東アジア青少年大交流計画」の拡充のために150億円を要求している。3万5000人の若者たちに日本を訪問させることによって、「日本ブランド」「日本的な『価値』への国際理解を増進」させたいらしいが、こんな事業までを本当に「クール・ジャパン」に含めてしまっていいのだろうか。



p86~88
<「ものづくりの国」は終わったのか>
 日本の家電メーカーの戦略が間違っている三つ目の理由、それは製造業における世界的なパラダイムシフトに、乗り遅れているという点だ。
「ものづくり」の世界は、今その仕組みを急速に変えつつある。たとえばアマゾンの電子ブックリーダー「キンドル」、グーグルのスマートフォン「ネクサス」といったように、IT企業が続々と自社ハードを発売し、製造業に新規参入している。

 何もグーグルはただ家電を作りたいわけではない。彼らにあるのは、サービス産業の一部にプロダクトをいかに組み込めるのか、という視点だ。そこで求められるのは日本企業が得意としてきた「匠の技」や「すりあわせ」といった高度な技術ではない。
 キンドルという製品が使いやすいに越したことはないけれど、それ以上にどれだけの電子書籍が揃っているのか、パソコンとの連携は容易かなどを消費者は総合的に評価する。製品単体の満足度ではなく、サービス全体の体験でモノが選ばれる時代になっているのだ。

 一つの一つの機能はすごいんだろうけど、仕組み作りが下手で、グランドビジョンを描けない。スマホ機能搭載とか部分最適は得意なのに、製造業の再編という世界的なシフトには無頓着。すっごく「日本的」だ。

 確かに戦後の日本は「ものづくり」で発展してきた。しかし日本が「ものづくりの国」であり得たのは、冷戦のおかげだったとも言える。

 東側陣営の中国は世界市場には参入していなかった。韓国や東南アジア諸国は親米独裁政権だったため政情も不安定で教育水準も低かった。そんな中、アメリカなど一歩先行く先進国で衰退した製造業を、肩代りする国として日本は躍進できたのだ。



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