歴史と出会う

<歴史と出会う>
図書館で『歴史と出会う』という本を借りたのだが・・・
中韓がアジる「歴史認識」に押されて(笑)、昨今の大使は、近現代史に加えて歴史全般に目を向けているわけです。

網野善彦の仕事は、左翼運動の挫折を乗り越えるための厖大な読書量と、さまざまな人々との出会いから生まれたそうで・・・・
この本を読めば、歴史が身近に感じられるかも♪

エボシ

網野さんと宮崎監督が「もののけ姫」を語っています。

<エボシ御前は20世紀の理想>よりp145~146
網野:この映画はお話としてもたいへんに面白いんですが、深山の麓でタタラ集団を率いている女性「エボシ御前」は、女性たちをはじめ、私から見ると「非人」と思われる人たちや牛飼など社会からはみ出した者たちに仕事をさせて、尊敬を集めています。遊女、白拍子に見えますが、どういうお考えであのような女性を登場させたのですか。

宮崎:悪路王をしずめた立烏帽子という絶世の美女の伝説があるんですが、実は私の山小屋のある村が烏帽子といいまして(笑)。案外、出発点はそのあたりだったりするんです。
 応仁の乱で明国渡来の火槍という原始的な銃が使われたらしいとか、海外に売られて、中国人の倭寇の大親分の妻になって、腕を磨いて、あげく男を殺して財産を奪って、戻って来た女とか(笑)。僕らの考えはだいたい、その程度でして。

網野:山の神は「おこぜ」ともいわれて醜女なんですが、製鉄の神の金屋子神は白鷺に乗ってくる女神なんですね。そこからイメージをつくられたわけではないんですか。

宮崎:むしろ、初めは男にしようという考えもあったんです。でも、スタッフに聞いて回ったら「やっぱりきれいな女性がいい」という話になって(笑)。エボシが白拍子の格好をしているのも同じことで、きれいなほうがいいやと(笑)。

 エボシという女性は20世紀の理想の人物なんじゃないかと思ってるんです。目的と手段を使い分けて、非常にヤバイこともするけれども、どこかで理想は失っていない。挫折に強くて、何度も立ち直ってというね、そういうふうに勝手に僕は想像したんです。

網野:それから男の主人公はヤマト「日本国」の侵略に抵抗する戦いに敗れ、北の地の果てに隠れ住むエミシ一族の長になるべき少年アシタカになっていますが、主人公がそうした「蝦夷」になっており、つまり、ヤマト、「日本国」を相対化されていますね。これがわが意を得たという感じがしましたよ。

宮崎:蝦夷の風俗などは僕の道楽でやらせてもらったんですよ。隼人が楯を使ってるから、古い蝦夷も手楯を使ったんじゃないかとか。とにかく、よくわからないところは僕の勝手な空想で埋めただけで。

網野:いや、変に事実に即されるよりも、わからないところはどんどん空想で超えていただいたほうがいい。事実にへばりついてるわれわれとしても気分がいいですよ(笑)。


サムライ

『七人の侍』を取り上げて、百姓の武装について語っています

<「百姓」も刀を差していた>よりp147~148
宮崎:15世紀頃は、刀を腰に差している人間がいっぱいいたに違いないと僕は思ってるんですが。

網野:もちろん、あの時代はみんな武装していますね。最近になってはっきり確認されてきたことですが、江戸時代になっても、百姓はみな腰刀を持っていたんですよ。侍の太刀とは違うけれども、武装はしていた。百姓は鉄砲だって持ってましたしね。

宮崎:秀吉が刀狩りをやったからって、すぐ片づいたはずはない。なのに、時代劇に見る武装している侍と武装していない農民という図式はいったいいつごろ出てきたんですかね。

網野:おそらく近代になってからですね。しかも、そうした武装解除された農民と武装している侍というつくられた図式が映画の時代劇にも強烈に影響している。
 藤本久志さんが書いていますが、黒澤明監督の『七人の侍』の設定も、その図式に完全に絡めとられてしまっています。それには歴史家の責任は大きいですね。

宮崎:『七人の侍』というのは戦争に負けて帰ってきた男たちが、食糧難で買出しに行ったところでお百姓たちのいろんな態度にぶつかるとか、そういうリアリティーをもった映画で。
 あまりにも面白くできているので、以後、呪縛のように日本の時代劇を縛ってしまって、常に侍対農民という階級史観が固定しちゃったような気がしてるんです。

網野:あの映画には僕も非常に感動したのですが、武装できない百姓というのはまったく事実ではないのです。それに、百姓の中にはいろいろな生業の人がいた。博打打ちもいたんです。百姓は農民の意味ではないですからね。

宮崎:百姓というのはもっと広義の意味で、そこにはありとあらゆる職業を含んでいるわけですね。

網野:ええ。百姓の中には商人や職人などいろいろな生業の人がいて、農業は、その中のひとつなのです。だから、「百姓一揆」も困窮した農民が一揆を起こしたと考えるのは間違いですね。実証的にもそうした見方はだんだん崩れてきつつあります。自由民権運動のときでも、秩父事件では博打打ちが先頭に立っていたでしょう。田代栄助という総裁は博打打ちですよ。
 そういえば『もののけ姫』には博打打ちは出てこなかったですね。

宮崎:いや、僕らが映画を作っていること自体が丁半博打を打ってるようなものですから(笑)。


時代小説作家の隆慶一郎さんを知らなかったが、彼はシナリオライター時代に映画『にあんちゃん』のシナリオを書いた人だそうです。(縄田一男氏との対話)

<隆慶一郎の世界>よりp108~112
網野:縄田さんは隆慶一郎さんにお会いになったことがあるのですか。

縄田:一度だけあります。隆さんが亡くなる二ヶ月前でした。「小説新潮」の臨時増刊号で対談を・・・。忘れもしません、平成元年9月19日、場所は浅草の牛鍋屋「米久」。隆さんは、当時「日本経済新聞」の夕刊に連載中だった『花と火の帝』の原稿を書き上げ、やっとのことで対談の場に駆けつけたという感じでした。退院したばかりで、体も十分に回復していない時期なのに、流行作家とはずいぶん辛いものだなと思った記憶があります。
(中略)

網野:お酒はだいぶお飲みになったのですか。

縄田:お酒の量が半分ぐらいだったら、もう少し長生きしたのでは、という人もいます。
網野:それにしても、60歳で小説を書き始めてわずか5年で、20冊ですか、これだけの作品を遺されたのは、驚異以外のなにものでもない。まるで疾風のように、人生を駆け抜けたという感じですね。

縄田:先日、全集の解題を書く必要から、隆さんの蔵書を見せていただきましたけれど、いろいろな資料に付箋がびっしり貼ってありました。網野先生の御著書の『無縁・公界・楽』(平凡社選書)にも、おそらく刊行当初すでに目を通されていたのではないでしょうか。小説を書きだしてから読まれたのではないように思われます。
 
 といいますのは、昭和49年に放映された市川段四郎の『御存知遠山の金さん』に駆込寺で有名な鎌倉の東慶寺がでてきますし、萬屋錦之介主演の『長崎犯科帳』や『隠密奉行・日本犯科帳』シリーズでは、讃岐の金毘羅様、久留米、長崎などに、歴史のなかの異空間、アジールのような空間を設定して脚本を書いていたからです。そのころから、後の作品を予見させる下地があったような気がします。

網野:私が『無縁・公界・楽』や『異形の王権』などで言いたかったことの一つは、これまでの歴史学がもっぱら定住している農業民に焦点を合わせていたのに対して、移動、遍歴する非農業民、たとえば、手工業の技術、商業、金融や芸能・宗教などの職能民たち、「道々の輩」にも目を向ける必要があるのではないかということでした。そうした立場から中世の歴史をとらえ直すと、従来の盲点がよく見えてくると思ったのです。

縄田:その辺の事情については、隆さんは、『時代小説の愉しみ』(講談社文庫)のあとがきで、共感を寄せていますね。

網野:隆さんが私の書いたものをどこまで読んでおられたのかはわかりませんが、たしかに私の拙い考えが、小説ではこういう形に具現化されるのかということに、たいへんびっくりのは事実です。
 隆さんは近世史家をほめておられますが、その想像力のすごさに対して、近世史家は大いに敵愾心を燃やしていただきたいと思いますね。
 隆さんのテーマは近世ですから、そこにはおそらく近世史研究者の学ぶべきヒントがいろいろ隠されていると思いますよ。それにしても友人がさかんに隆さんの作品を読めと、勧めてくれたわけが、読んでみて本当にはっきりわかりました。
 
縄田:網野先生は、『無縁・公界・楽』の中でも、従来のような見方では中世を見誤る可能性があると、くり返しご指摘なさっていますけれども、先生と同じ立場でない人たちから反論はありましたか。

網野:「公界」ということを言いだしたのは、勝俣鎮夫さんと笠松宏至さんで、私はその後を追いかけただけだと思うのですが、『無縁・公界・楽』について正面から批判して叩いてくれたのは、安良城盛昭氏です。その反論のためにとうとう増補版を書くことになってしまったんですよ。彼のようにはっきりものを言ってくれる人はいまはもういなくなってしまいましたね。正面きって議論ができれば、むしろ気持ちがいい。


『日本社会の歴史』刊行に関連して、歴史を学ぶ意味を語っています。

<戦後歴史学から学んだこと>よりp84~86
 このように江戸までのものを正統に継承せず、いたずらに欧米に傾斜した反面で、明治のリーダーたちは、神話を事実とする「国史教育」を徹底してやるわけですね。それに異議を唱えるものに対しては刑法上の拘束をともなう弾圧をしたのですからね。「神話は事実」であり、天孫降臨からはじまって万世一系のぜんぶが事実とされたのです。神武以来の天皇の名前を覚えさせられたので、僕らの年齢の人間はみな途中までは言えるわけですよ。あの教育が当時の日本人の「自己認識」をつくったのです。

 日本は農業社会だから、一日でも早く欧米の近代的な産業社会にならなけえればいけない。そして、「孤立した島国」の中で富国強兵を達成しなければいけない。日本は万世一系の天皇の統一する国で、「大和民族」は神の子である天皇とみな血統上はつながっているというわけです。
 それからはずれた琉球人やアイヌ、周縁の朝鮮人、中国人などの民族は優秀な「大和民族」と比べると劣等であり未開な民族であるということも、徹底的に刷り込まれたわけですからね。

 そういった偏り誤った自己認識から出発した「日本史」の枠組みから、残念ながらいまだに、日本人は抜けきってないと思います。海の役割についての評価もまだまだされていません。以前よりだいぶよくはなりましたが、それでもまだ「海民」のような用語は学会では通用し切っていないんですよ。

 百姓の中には農民とは到底言えない人たちがたくさんいたことは、具体的に調べてみるとはっきりわかると思うのですけれども、私がそう言うとあえて「百姓イコール農民」だと強調して書いて論述する中世史家、近世史家が学会の中の圧倒的多数だと思いますね。日本が農業を中心とした社会であり、農業生産力の発展こそが社会の発展の原動力だという理解がその根底にあるのだと思います。

 もう一つ重要なのは、日本列島には日本国だけがあったわけではないという点ですね。琉球の時代区分は日本国のそれとは違いますし、アイヌも違う。日本国の中でも東と西でかなり違いがある。そういう点を含めて日本国自体が完全に対象化されていないのです。
 私は1967年まで高等学校で教えていたのですが、そのころの生徒たちが昔の先生に同窓会のときに、もう一度講義をやってもらおうという企画をしてくれて、私も30年ぶりに教壇に立ちました。そのときまず自己批判したのは、「日本史」を教えてしまったということなのです。こんどの岩波新書でもあえて「日本社会」としたわけです。ほんとうは『日本列島社会の歴史』にしたいと思ったのですが、岩波側の意向で「社会」に大きな意味を持たせて『日本社会の歴史』としたのです。



【歴史と出会う】
歴史

網野善彦著、洋泉社、2000年刊

<「BOOK」データベース>より
戦後日本の歴史学が生んだ泰斗、網野善彦の仕事は、左翼運動の挫折を乗り越えるための厖大な読書量と、さまざまな人々との出会いから生まれた。その成果は歴史研究の枠をはるかに凌駕してベストセラーを生み出し、さらにその影響力は文学や映像の世界にまで拡がっている。読者と同じ目線で歴史を学び、研究することの愉しさを教えてくれる一冊。

<読む前の大使寸評>
大使の場合、現代につながる近現代史に関心が大きいのだが・・・
網野さんという歴史家の対話を通じて、歴史に対する視野を広げたいと思うわけです。

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