石畳に靴音が響く

<石畳に靴音が響く>
長くパリに住んでいた著者が、セーヌ右岸を案内するとのこと。
大使も右岸の下町に一時暮らしたので懐かしいのです。


【石畳に靴音が響く】
パリ

早川雅水著、実業之日本社、2001年刊

<「BOOK」データベース>より
パリの達人が、あなたをほんものの「Paris」にエスコート。雨に濡れた石畳、霧にかすむ街灯、アパルトマンの間からエッフェル塔が見え隠れする…。
【目次】
右岸について-前書きにかえて/バチニョル-今も懐かしい村の雰囲気が色濃く残る/オートイユ-緑に染まる道は近代建築の美術館/レ・グラン・ブールヴァールとその界隈-喧噪の中に19世紀の賑わいを偲ぶ/ベルヴィル、メニルモンタン-パリらしい趣を味わい、パリジャンに出会う/モンマルトル-知ればしるほど好きになる坂の町

<読む前の大使寸評>
長くパリに住んでいた著者が、セーヌ右岸を案内するとのこと。
大使も右岸の下町に一時暮らしたので懐かしいのです。

rakuten石畳に靴音が響く


ボリス・ヴィアンがジャック・プレヴェールと同じ建物に住んでいたそうです。

<シテ・ヴェロン Cite’Ve'ron>p181~184より
 そのムーラン・ルージュのすぐ脇から北に向かって入ったところがシテ・ヴェロン。道幅わずかに3メートル、長さ80メートルほどの小路です。
 歓楽街のど真ん中にまるで真空地帯のように静まり返ったたたずまいを見せているのですが、20世紀前半までは地元のおにいさんたちのドヤ、おねえさんたちの連れこみ宿に占領された裏通りでした。
 1953年のこと、そんな小路へひとりの詩人がまぎれこんで来ました。ジャック・プレヴェールです。彼が住みついたのが6番地の質素なアパルトマン、その後1972年までの20年間をここで過ごすことになります。
 プレヴェールといってもごぞんじないかもしれませんが、シャンソン「枯葉」の作詞者、映画「天井桟敷の人びと」のシナリオ・ライターといえばおわかりでしょう。

 プレヴェールからやや遅れて、もうひとりの有名人が同じ建物に引っ越して来ました。ボリス・ヴィアンです。
 エンジニア、トランペット奏者、プロのチェス打ち、コラムニスト、ジャズ評論家、翻訳家、画家、彫刻家、作家…並べきれないほどの肩書きを持っていますが、一言で言えば稀代の才人ということです。
 日本ではあまり読まれていませんが、何篇かの小説は若者を中心に絶大な人気がありますし、過激な反戦歌として発売禁止になった「デザルトウール」兵役拒否者もシャンソンのスタンダード・ナンバーとして歌いつがれ、聞かれ続けています。
 プレヴェールとヴィアンが住んだことで、この小路は間もなく文学サロン、芸術サロン化し、レイモン・クノーやイオネスコなどの作家たちが集まってきては気勢をあげたといいます。
 
 1950年代、60年代に左岸のサン・ジェルマン・デ・プレを舞台にしてサン・ジェルマン文化が花開いたわけですが、プレヴェールもヴィアンもサン・ジェルマン派のスターでした。
 そう思ってみると、シテ・ヴェロンには左岸の雰囲気があります。知的で思索的、それでいて自由で軽やか、この小路を歩く時、人は自分が芸術家になったような気分になれるのが不思議です。
 道の両側には階の低い、やや荒れた感じの平凡な建物が並び、庭はあまり手入れのよくない花壇になっている。ほかにはこれといったものもない中で4番地が小劇場、そのうしろにムーラン・ルージュの風車が見えます。


ラパン・アジルのシャンソンを聞きたかったので、友人を連れて一度だけ行ったことがあるのです。お上りさんのミーハーだったわけですね♪

<ラパン・アジルのこと>p200~204より
 ソール街はそのすぐ先でサン・ヴァンサン街と交差しています。そしてこここそモンマルトルでもっとも心休まる場所、あるいはパリでもっとも美しい地点かもしれません。
 右側の小高い広がりはモンマルトルのぶどう畑、19世紀まではパリのいたるところにあったぶどう畑が今ではここだけになってしまいました。
ラパン

 ぶどう畑の向かいにある外壁を淡紅色に塗りあげた小屋はラパン・アジル、はしこい兎という名で知られたシャンソン酒場です。
 ラパン・アジルという名まえになったのが1902年のことで、そのずっと前からの酒場ですから、その歴史は百数十年。ここには実にたくさんの人びとの思い出が残っています。
 19世紀末まで、モンマルトルのこの一帯は殺人者におたずね者、やくざたちが隠れ住む場所として知られ、静まり返った道の奥にひそむこの酒場はそうした人たちの店でした。当時は店名もそれにふさわしくアササン、人殺しでした。
 20世紀の初めに店名はラパン・アジルと変わり、続く第一次大戦までのモンマルトルの黄金時代には若き日のピカソ、ヴラマンク、ユトリロなど、夢だけを食べていた未来の巨匠たちの溜まり場になっていました。
 当時のオーナーはフレデリックという名を縮めてフレデと呼ばれていた伝説的人物。よき時代のよきパリジャンだった彼は、今にその名を残すモンマルトルのスターです。
(中略)
 若者たちに出世払いのツケで飲ませ、彼らの未来への夢に火をつけるかのように得意なギターを弾くフレデ…これぞモンマルトルの心、その温かいギターの音色が今も聞こえてくるようです。
(中略)
 ところで現在のラパン・アジルですが、やはりモンマルトルという場所柄、時代の波には勝てずツーリストが多くなっています。ただし現代のフレデといった心やさしい無名歌手たちが古いシャンソンを歌ってくれるのがうれしい。 

ラパン・アジルでの想い出はモンマルトルのシャンソニエにてに綴っています。

9区の下宿から5区のアリアンス・フランセーズまでが、まあ私の通学路みたいなもので、これがちょうどフォーブール・モンマルトル街にあたります。
私の場合、メトロ代を浮かすために暑い日も寒い日も、とにかく歩いたのです。

<フォーブール・モンマルトル街>p95~102より
 リュ―・モンマルトル駅のところは交差点になっており、右側の2区側はモンマルトル街、左側の9区側はフォーブール・モンマルトル街です。
 フォーブールというのは町はずれという意味で、パリにはフォーブールがつく道が8本あり、たとえばモンマルトル街がその延長でフォーブール・モンマントルと名を換えるのです。
 なお8本のフォーブールのうち7本までが右岸にあるのは、右岸がそれだけ奥に広がっているからでしょう。
 フォーブールにはもうひとつ下町という意味もありますが、ここも下町風の賑わいにあふれており、生活の匂いのするパリ、素顔のパリが好きな人には魅力的です。
 フォーブール・モンマルトル街は19世紀のネオ・クラシック様式の連なりがみごとで、かつてはシックなお屋敷街だったことを偲ばせます。しかし今やどこも1階部分は食料品店だったり、安売りショップだったりで、そのミスマッチが面白い。
(中略) 
 24番地の魚屋さんの店の内装が19世紀そのままで一見の価値があり、その先フォーブール・モンマルトル街とプロヴァンス街の角にある「ア・ラ・メール・ド・ファミーユ」という食料品店はおそらくパリでもっともチャーミングな店でしょう。創業1761年、外装は当時そのままです。内装も19世紀初めのものを残しており、タイムスリップした気分、フランス各地の伝統的な干菓子、砂糖菓子が売り物です。
 間もなく5差路に着く。角かどは庶民的なカフェになっていますが、どこでもいい、テラスに陣取って道のパースペクティブを眺めましょう。5本の道すべての両側に19世紀の建物が31メートルの高さで一直線に伸びているところは壮観。19世紀の典型的な町づくりで9区が史跡指定を受けているのは、なるほど当然だとうなずけます。 


ところで、Boris Vianの脱走兵(Boris Vian- Le deserteur)をyou tubeで見つけたんです♪
この歌は、フォークルの加藤和彦も歌っていましたね。

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