文字の文化史(その2)

<文字の文化史(その2)>
初期の文字は粘土、木片、骨片、皮、布に書かれて最終的には紙に書かれた。
図書館で借りた「文字の文化史」であるが・・・・
甲骨文、印刷のあたりについて、引き続き読み進めたので(その2)として紹介します。

甲骨文の解説は沢山読んできたが、藤枝さんのこの解説が一番面白いし、腑に落ちるのです。

<神々との対話>よりp20~24
■甲骨の出土とその解説
 前章で取り上げた「絵文字」は、これが文字だと言ってよいかどうか判らないほどの原始的象形であるが、今日伝わる文字として一番古いのは、殷時代の亀甲獣骨文字である。略して「甲骨文」とも言い、また「卜辞」とも言い、時には組み合わせて「甲骨卜辞」とも言う。甲骨文というのは材質からの呼び方で、これが亀の甲やウシの肩甲骨の上に刻みこんだ文字だからであり、卜辞と呼ぶのは、その内容が、神さまに伺いを立てた「ウラナイ」の言葉だからである。これが作られたのは、殷代晩期の紀元前14~12世紀ごろ、今から三千何百年かのむかしに当る。但しこういう甲骨が世に出たのは極めて新しく、まだ60年余りにしかならない。

 中国の河南省と河北省の省境のあたり、黄河の北岸にちかく、安陽という県がある。最初、土地の農民が文字を刻った骨片を掘りあてたのが、薬屋の手に渡り、粉にひいて「竜骨」として売られていた。ところが、粉末にする前の原料が、北京のある学者の目に留まった。18~19世紀には、清朝考証学の一部門として、古文字学研究が恐ろしく進んでいた。この人は一見して、当時知られていた最古の文字よりも、もう一まわり古い段階の文字であることを見ぬき、現場にかけつけて、農民から若干を買い取った。その場所は殷の都の跡と伝えられる場所であった。利にさとい骨董屋たちも早速その後を追って買い出しに出かけ、漸く北京の学者たちの間にこれが出回った。1899年から1900年のことという。学者たちの解読が進むにつれて、中国最古の歴史書である『史記』に伝説として書かれてある殷代の王統と、卜辞から復元した王様の系譜とが、ほぼ一致することが判ってきて、甲骨文と伝説との両方の確かさが見直され、その買い出しと研究が急速に進んだ。

 民国革命のあと、中央研究院では、1929年から、事変の起こる1937年までの間に合計15回もの調査隊を派遣して発掘調査をすすめ、とうとう殷代の宮殿の遺跡まで発掘した。中華人民共和国の成立後になって、現地の河南省工作隊の発掘、つづいて中国科学院の発掘も何度か行われ、現在判っているだけでも、その間に11万片ばかりの甲骨が掘り出された。この文字の研究が甲骨学と呼ばれる。およそ三千個ばかりの文字であるが、やっとその半分が解読せられ、のこりの半数の文字が未解読である。読めない字は固有名詞が多い。また、現在と同じ文字であっても、その意味はひどくかけ離れたものであることが多い、と言ったようなことも、この研究の困難の一つである。 

甲骨文については、NHKスペシャル「中国文明の謎」2でも放映されました。
甲骨で吉凶を占う場に王も立ち会ったようだが、最初の漢字はこのような特殊な環境で生まれたようです。

本のムシのような大使にとって、印刷の起源を説明するこの部分が興味深いのです。

<印刷のはじまり>よりp227~235
■印から印刷へ
 印刷とはこれほどの大変革なのだから、それが一朝一夕にできたものでないことは自明のことではあるが、その起源は実はたいへん難しい問題である。判りきったことであるが、印刷術の直接の先祖は、ハンコである。ハンコの方は、文字より何千年も以前から存在する。「皇帝の文字」の章で、秦の始皇帝が枡の標準器を配布するのに、詔書の全文を土器の上にハンコでおしたのを「印刷術のはるか遠い祖先」と私は申した。これなど紀元前3世紀、紙の発明より何百年か以前のことで、もちろん印刷ではないが、その原理と考え方とは印刷と変わらない。

 紙が使われだすと、それまでは粘土の封におしつけていた印を、紙の上にじかに捺すようになる。図に掲げた513年の写経、ならびにその一連の写経の巻尾に見える「檄」または「敦煌鎮印」という黒印は、紙の上におされた印影の現存する最古の例である。隋唐時代になると、官文書には大きな朱印が捺される。だが、これらは印であって、印刷ではない。印刷の専門家は印と印刷との区別がやかましい。紙の上からおしただけなら、印刷とは言わない。木版の場合は紙の裏をバレンでこすり、近代印刷では、紙は背面からローラーで版面におしつけられる。それが印刷の「刷」で、「刷」の操作を加えないものは、ただの印ということになるのだそうである。

■敦煌の印刷物
 敦煌石窟から出た何万巻かの写本に混じって、数十点の印刷物が発見せられた。数こそ少ないが、どれも9~10世紀のものであり、また様々な段階の初期印刷法で作られたものである。
 経巻や文書に捺された印のことは先に触れたが、それを別にして、もっとも原始的な段階のものは「印沙仏」と呼ばれるものである。「印沙仏」とは「恒河沙数の仏の印をおす」という意味の宗教行事で、何かの願を立て、ひと区切りの行事を終えるごとに坐仏の形のハンコを一つずつ捺していくもので、日本の「お千度詣り」の数とりをハンコにおき代えたものと思えばよい。恒河沙数とはいうが、そんなに沢山おした例はなく、せいぜい数十体か十数体までである。ドイツの探検隊がトルファンで印沙仏に使うための銅印を発見した。仏様のかたちから判断すると、もっと後世のウイグル時代のものらしい。

仏名経仏名経
 印沙仏にちかい段階のものとして『仏名経』がある。これは何千、何万という仏さまの名前を羅列したお経であるが、本によっては一々の仏名の頭に坐仏の印を一つずつ捺してある。中には、同じスタンプが並ぶのに満足しなかったと見えて、ご丁寧にも一々彩色を施し、一つ一つ色をいくらか変えて別の仏さまらしく作る。一つ一つスタンプをおすのは大変だから、十ごとに一つスタンプをおした例もある。
 ここまで来ると、「同一のものを1版で多数作成する」という印刷の定義に合ってきて、同じ坐仏のスタンプではあっても、「印沙仏」とは大いに意味が違ってくる。印から印刷へと一歩ふみ出しかけた段階と言える。

文字と印刷の源流を訪ねる旅、松根コレクションが素晴らしい♪


【文字の文化史】
文字

藤枝晃著、岩波書店、1991年刊

<「BOOK」データベース>より
3500年前に溯る甲骨文・金石文。漢字の誕生は神をまつり、神託をきく儀式と深くかかわっていた。聖なる文字はどのような歴史を経て万人のものとなったのか。写本の素材や形態の変遷、木版・活版印刷の登場に伴う字体の変化を興味深く語る。図版102枚。

<読む前の大使寸評>
漢字、翻訳、通訳、印刷、書籍・・・大陸文化とのつきあいに欠かせないこれらのアイテムが興味深いわけです。

rakuten文字の文化史


文字の文化史(その1)

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