137億年の物語3

<137億年の物語3>
この本は多元的な視点で書かれていて、どこから読んでも面白いのだが・・・・
昨今は開戦前夜のようにきな臭い中国の歴史について、アットランダムに読み進めたのです。

今では、世界の嫌われ者となった中国であるが、歴史をさかのぼれば、世界一の文明を誇っていた時期もあるわけで・・・・どこで、どう間違ったのか?という気がするんですね。

中国憎しのドングリ史観はちょっと問題なんで(笑)、もっと視点を広げて読み進めます。

<北アメリカへの殖民>よりp372~373
 17世紀が終わるころには、人手不足を解消する新たな方法が、イギリス、フランス、オランダの植民地で採用されるようになった。それは、ポルトガル人がマデイラ島のサトウキビ農場ではじめ、その後、スペイン人がメキシコと南米でおおいに利用した方法だった。アフリカから奴隷を連れてくるのだ。かくして、ヨーロッパの商人による「三角貿易」がはじまった。彼らは南北のアメリカ大陸で、砂糖、タバコ、毛皮、木材といった物資を積み込み、それをヨーロッパに送ってお金に換え、それを軍資金としてアフリカ西岸に船を進め、アフリカ人の族長が捕らえた敵の部族の人々を奴隷として買い、荷物のように船に押し込んで新世界のプランテーションまで運んだ。奴隷の代金は、銃や火薬で支払われたため、族長たちはさらに多くの敵を捕らえられるようになった。
 アフリカ人奴隷は、アメリカでは高値で売買された。農場を広げて利益を上げるには、奴隷たちのただ働きが欠かせなかったからだ。
 イングランドが1655年にスペインから奪ったジャマイカの植民地では、1713年までに、白人ひとりにつき奴隷が8人という人口構成になっていた。タバコのプランテーションは急成長し、1619年に2万2000ポンドだったロンドンへの年間輸出量は、1700年には2200万ポンドに増えていた。一方、フランス人は北米大陸の南部に植民地を築き、太陽王ルイ14世にちなんで、ルイジアナと名づけ、綿花を栽培した。フランスの植民地は、ミシシッピ川沿いに北へ広がっていった。フランスは、カリブ海のハイチ島にサトウキビ農園を築き、カナダではケベックとセントローレンス川沿いに、毛皮を交易するための入植地を開いた。今やヨーロッパの商人は、イスラーム商人を通さずに、さまざまな種類の新たな物資を独占的に取引し、母国や外国で売りさばけるようになっていた。


トウモロコシが中国に与えた功罪について触れています。

<トウモロコシとジャガイモ>よりp383~384
 南北アメリカで輸出用に栽培された作物が、現地の風景を大きく変えた一方、アメリカ原産の作物も、ヨーロッパとアジアに持ち込まれ、多大な影響を与えた。かつて中央アメリカの先住民は、数千年間をかけて野性のテオシントをトウモロコシに変えていった。またペルーでは、300種類ものジャガイモが栽培されていた。「ニュー・パンゲア」が誕生したおかげで、ヨーロッパとアジアの人々も、こうした栄養価の高い作物を食べられるようになった。
 トウモロコシはスペイン人によってヨーロッパにもたらされ、じきに地中海沿岸の全域で、主に家畜の飼料として栽培されるようになった。北ヨーロッパでは、小氷期(1350年ごろ~1850年ごろ)が終わるまで根づかなかったが、中国南部では1550年ごろから盛んに栽培されるようになった。中国の人口は1400年から1770年までの間に7000万人から2億7000万人へと4倍近くも増えた。それに合わせて耕地面積も、2500万ヘクタールから6300万ヘクタールに急増し、その大部分で栄養価の高いトウモロコシが栽培された。トウモロコシは米と違って、標高の高い乾燥した土地でも栽培できたため、耕作地として開拓できる土地の面積を増やした。
 しかし、その生態系への影響は大変なものだった。木を失った丘陵地は、侵食に対して無防備になり、大雨が降るたびに大きな被害を出した。


イギリスがいちばん元気で、中国がいちばん停滞していた頃のお話です。

<大量生産のはじまり>よりp418~419
 中国は何世紀にもわたって、技術と科学の発明において世界をリードしてきた。哲学者のフランシス・ベーコンをして「近代社会を形作った発明」といわしめた、印刷術、火薬、羅針盤という3大発明は、すべて東洋で生まれたものである。だが、自然の制約を克服するための発明が続々と生まれたのは、東洋ではなかった。そもそも中国人は、マルサスというイギリス人のことなど聞いたこともなかっただろう。
 15世紀の半ばから、中国は西洋との接触を避けるようになった。その政府には、海外に市場を拡大するつもりはなかった。1644年に樹立された清朝の統治戦略はシンプルだった『国境の警備を固めて侵略者や外国の影響を防ぐ、近隣諸国からの貢物を途絶えさせない、そして何より、莫大な数の農民に反乱を起こさせない』この三つである。宗朝を悩ませたような外敵の圧力がなかったため、地方の貧民に対する政府のメッセージは、一貫して保守的だった『家族と国家への忠誠を説く孔子の教えを学びなさい。運良く科挙に合格すれば、巨大な官僚組織の小役人となり、かなりの収入が得られるかもしれない。それが無理なら、米作りに励みなさい』。

 一方、1800年当時のイギリスの状況は、中国とはまるで違っていた。海によって守られたこの小さな島国は、海軍、市場、植民地からなる世界システムの中心にいた。アメリカの植民地を失うというような不運にも見舞われたが、すぐに新たな領土(ビルマ、マレーシア、シンガポール、オーストラリアなど)を見つけて、埋め合わせをした。造船、製鉄、ビール醸造、ガラス製造、レンガ生産、製塩などで使っていた木材が足りなくなると、石炭という代替エネルギーを見出した。1800年までに、イギリスの産業のほとんどは、その燃料を、薪や木炭から、コークスや石炭に変えた。タインサイド、ヨークシャー、ランカシャー、サウスウェールズの地下にいくらでもあると思われた黒い魔法の燃料のおかげで、エネルギー危機はひとまず解消された。
 1807年に奴隷貿易が禁止されたことも、イギリス人の創造力を刺激した。彼らは知恵を絞って、奴隷の代わりとなる機械を次々に発明していった。1623年にジェームズ1世によって導入された「特許制度」はその追い風となり、新たなアイデアを思いついた人は、そのアイデアに基づく製品を、一定期間、独占的に販売できるようになった。1714年には、独占権と引き換えに設計を公表することが義務づけられ、発明家たちは、新たな技術を生み出すだけでなく、アイデアを分かち合うようになった。
 そんな革新的で起業家精神に富む時代に、ボルトンの理髪師リチャード・アークライトは、世界初の水力紡績機を発明した。1771年にダービシャー州クロムフォードの村に建てられた彼の紡績工場では、これまでとはまったくちがう方法で布を織るようになった。紡績機で細かく強い糸を紡ぎ、その糸を、自動の水力織機で織るのである。アークライトが築いた機械による大量生産というシステムは大きな成功を収め、1792年に亡くなったとき、その資産はおよそ50万ポンドになっていた。貧しい理髪師だった彼が、世界有数の大富豪になったのだ。


137億年のお話に福一の事故が出てきます。
人類の扱うエネルギーとして、この本は原発の評価をまだ定めていません。
それだけ、今日的、根源的なテーマなんでしょうね。

<蒸気機関から原子力まで>よりp424
 1945年8月、広島と長崎の人々は、この自然を超えた恐ろしい力を最初に体験することになった。アメリカ軍が原爆を投下し、一瞬のうちに12万と7万の人命が奪われたのだ。その後も何年にもわたって、被爆による健康障害で多くの人が亡くなった。1951年には、このエレルギーを平和利用するための実験が、アメリカ合衆国アイダホ州の実験炉で行われ、核エネルギーは、水を蒸発させて発電する熱源として利用できることがわかった。
 核分裂が生み出す、無限のエネルギーという魔法に、多くの国が飛びついた。1979年3月28日に米ペンシルバニア州、スリーマイル島の原子力発電所で恐ろしい事故が起きた後も、「クリーンな」原子力への信奉は揺るがなかった。スリーマイル島の事故では、15万リットルの放射能汚染水がサスケハナ川に放出された。さらに大規模な事故が、1986年4月26日に、ソビエト連邦(現在はウクライナ)のチェルノブイリ原子力発電所で起きた。炉心溶融により原子炉が爆発し、きわめて高い濃度の放射性物質を大気中に大量に噴き上げ、ソ連とヨーロッパの広い範囲を汚染したのだ。この事故では、3ヶ月以内に少なくとも31人が被曝により命を落とし、およそ35万人が、汚染地域から避難せざるをえなくなった。
 一方、19997年の「地球温暖化防止京都会議」で、地球温暖化に関する警告が世界に向けて発信され、原子力の利用を不可欠なものと見なす風潮が生まれた。環境保全主義者で、ガイア理論を唱えるジェームズ・ラブロックでさえ、「気候変動をもたらす化石燃料への依存をやめて、原子力に移行すべきだ」と主張した。多くの国では、地球温暖化が突きつける脅威ゆえに、原子力発電が安全かどうかという問題は無視されるようになった。
 日本では、消費電力の35%以上は原子力発電に頼るまでになった――2011年3月11日の午後までは。この日、マグニチュード9.0の壊滅的な地震と、それが引き起こした巨大な津波が、東北地方の太平洋沿岸一帯を襲い、福島第一原子力発電所でレベル7の原発事故が起きた。この惨事が、これからの世界にどのような影響をおよぼすか、今はまだ何もわかっていない。



【137億年の物語】
137

クリストファー・ロイド著、文藝春秋、2012年刊

<「BOOK」データベース>より
137億年の歴史を42のテーマで語る。歴史を点ではなく、つながりで考える。西洋が中心ではない。アジア、南アメリカ、少数民族、イスラム、等々多元的な視点で理解する。地球的な規模で人類の文明も相対化する。豊富なイラストと写真で旅するように歴史を感じる。科学と歴史、その接点を考える。

<読む前の大使寸評>
わりと高価な本なので、こういう本を借りる時に、図書館のありがたさを感じるのです。中国に言及している部分が思ったよりあるので、楽しみです。

<読後の大使寸評>
訳者のスキルによるのかもしれないが、わりと物語風に書かれた訳文が明瞭で簡潔なことです。
著者は「自分の子どもに、この地球の歴史をどう教えたらいいか、それがヒントになってこの本が生まれた」と言うが・・・なるほど読みやすくて面白い本でした。

それから、横文字がなくても日本語になっているということは・・・
つまりは漢字語彙の多彩さを物語っているわけで、漢字文化圏の中でも日本文明の優位が証明されたわけですね(笑)

rakuten137億年の物語


NHKスペシャル「中国文明の謎」2
137億年の物語1
137億年の物語2


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