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zoom RSS 『くらしの昭和史』3

<<   作成日時 : 2018/02/13 07:53   >>

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<『くらしの昭和史』3>
図書館で『くらしの昭和史』という本を、手にしたのです。
昭和30年代といえば、『オールウェイズ3丁目の夕日』という映画が目に浮かぶのだが・・・
今日よりも明日と、貧しくても希望にあふれた時代やったなあ。

帰って調べてみると、約5ヶ月前に」この本を借りていたことが判明しました。…で、この記事を(その3)としました。

【くらしの昭和史】
くらし

小泉和子著、朝日新聞出版、2017年刊

<「BOOK」データベース>より
昭和30年代は史上、もっともくらしが充実した時代だった。昭和になって普及したちゃぶ台を囲んで、一家団欒が満面開花する。戦争中のもんぺ着用、戦後の衣服払底を画期に、キモノから洋服への衣服革命が進化したのも昭和20年代〜30年代半ばである。

 明治以来の西洋医学が一般家庭に普及し、吸入器や注射器を常備するなど家庭看護がハイレベルで浸透したのもこの時代であった。著者が館長をつとめる「昭和のくらし博物館」では、17年に及ぶ企画展示で、くらしの変化とその要因を詳細に検証してきた。その成果をまとめ、戦争、敗戦から経済成長による奇跡の発展を遂げた昭和史の変化と画期を鮮やかに描き出す。

<読む前の大使寸評>
昭和30年代といえば、『オールウェイズ3丁目の夕日』という映画が目に浮かぶのだが・・・
今日よりも明日と、貧しくても希望にあふれた時代やったなあ。

rakutenくらしの昭和史

昭和昭和のくらし博物館

戦後の生活を、見てみましょう。
p259〜262
<羽田の家>
 引っ越した先は、正確にいえば大田区麹谷町4丁目1771番地である。羽田空港に近く、最寄り駅は京浜急行で蒲田駅から二駅目の大鳥居駅である。
(中略)
 
 今度の家は工場を改造した家で、一つの工場を二軒にしてあった。ある建築会社が社員用に改造したうちの一軒を、つぎの家が見つかるまで貸してくれることになったのである。
 道の脇の溝に沿って建つ木造平屋建てで、溝にコンクリートの階段を渡しかけて玄関に入るようになっていた。工場だったため、外壁は洋風の下見板張りで、ペンキ塗りなので、ちょっとハイカラだった。玄関もドアで、入ると三畳の洋間があり、続いて六畳と八畳で、八畳にはガラス戸の入った縁側がついていた。端に便所があった。

 台所は玄関と背中合わせになっていた。水道はあったがガスは通ってないので、カマドと七輪だった。台所の土間にはドラム缶風呂を置いた。

 この家は、工場の広い構内に建っていたので植木などはまったくなく、貝殻とか瓦礫が一面に広がっていた。ともあれ専門の建築屋が改造した家だから、牛小屋とは大違いだった。壁一つ隔てた隣には若い社員夫婦が住んだ。

 ところがしばらくしたら水道の水が出なくなってしまったのである。もともと工場についていた鉄の水道管を使ったため、錆びていたらしい。隣の社員の家も出なかったことからすると、当時は直すことができなかったのかも知れない。

 しかたなく工場の構内を10メートルほど突っ切った向かいの高坂さんという家の水道から汲ませてもらうことになった。(中略)
 ただ幸いだったのは、高坂さんの小母さんが親切な人だったことである。外から裏口を開けて「お水頂きまーす」と声をかけると、いつでも「どうぞ汲んでって下さい」といってくれたので、ほんとにありがたかった。水道料が安かったとはいえ、いまでは考えられない親切さである。

 その代わり、母は買い出しにいってくると、かならず野菜や米や柿や栗などを届けていたし、縫い物なども手伝っていた。


『くらしの昭和史』1:ちゃぶ台の歴史
『くらしの昭和史』2:著者の住宅の増改築

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