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zoom RSS 『樹木と生きる』

<<   作成日時 : 2017/10/12 18:15   >>

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<『樹木と生きる』>
図書館で『樹木と生きる』という本を、手にしたのです。
この本の表紙には見覚えがあるぞ・・・ということで巻末を見たら、宇江敏勝の本全6巻となっています。そのうちの『森をゆく旅』を以前に読んでいたのです。



【樹木と生きる】
樹木

宇江敏勝著、新宿書房、 初版版2001年刊

<「MARC」データベース>より
自分の植えた木を伐り出し、家を建てる至福。青年時代から森林組合や大きな山林家のもとで働き生計を営んできた熊野の作家が、山林労働と暮らしの今と昔を伝える。95年刊の増補。

<読む前の大使寸評>
この本の表紙には見覚えがあるぞ・・・ということで巻末を見たら、宇江敏勝の本全6巻となっています。そのうちの『森をゆく旅』を以前に読んでいたのです。

amazon樹木と生きる

筏北山川観光筏下り


今では観光筏下りがあるそうだが、木材の運搬としては途絶えて久しい。
大使は十津川や新宮に土地勘があるので、「熊野川の筏」には興味が湧くのです。そのあたりを、見てみましょう。
p138〜141
熊野川の筏 
 まだほんの幼かったころ、私はよく川原へおりて遊んでいた。そこは熊野川や北山川と十津川に分岐する少し上流で、四滝谷が北山川にそそいでいるあたりだった。昭和16、7年ごろ、私の両親は四滝谷の山中で炭を焼いていたのである。

 炭は道端まで肩でおろされ、さらにリヤカーで運んで、河岸にある倉庫へいったん納められた。するとときおり河口の新宮市の鍛冶屋(そこへ松炭を売っていた)から、川船が受取りに来た。そのとき私も父母にくっついて川原へ行ったのである。川船では私どもが注文した日用雑貨品なども送られてきた。

 そのころ熊野川流域ではまだ自動車道路が全通しておらず、団平と呼ばれる全長六間ほどの川船が、山の産物―木炭・板・樽丸・繭・茶・鉱石などを運んでいたのだ。新宮からは食料品や日用雑貨を積んで、二艘をもやいにして綱を張り、4、5人がかりで曳いてのぼってきた。

 いっぽう上流からは細長い筏が下ってきて、そこには一人または二人の男が乗っていた。一人が先のほうで梶棒を握り、べつの男は丸太の弛みをなおすなどして、筏の上を歩きまわっていた。また細長い棹も使って、先の金尻が川床の砂利を突きさすガシャ、ガシャという鋭い音も聞こえてきた。

 筏には、ふつうほかの人間や荷物などは乗せなかったと言われる。ところが偶然に見た一つの光景を、私はいまもあざやかに思い出すのである。
 そのとき上流に一幅の筏が現れると、岸辺の里のほうから、若い女が走り出て来た。女は川に向かってなにやら叫び、筏の上の男もそれに応えた。やがて女は水際まで近寄り、片手で着物の裾をからげてじゃぶじゃぶと川へ入り、頃合いよくやってきた筏へ、ぱっと水を蹴って飛び乗ったのである。華やいだ人を乗せたその筏は、ふだんのごとく棹の音を響かせながら、ゆっくりと遠ざかっていった。

 筏師たちの労働とその人生を知るには、少なくとも1冊の書物が必要である。私はそれを書きたいと思い、40年後のいま熊野川を歩いている。もちろん筏が姿を消して久しく現在では経験者から話を伺うばかりである。ともあれ筏とはどんなものだったか、かんたんに説明しよう。

 筏師の里は、大ざっぱにいって河川の中流域にあった。川にかかわる職種でいえば、下流域で働くのは船師(船頭)であり、中流が筏師、さらに上流域はカリカワのヒヨウ、ということになる。筏師は上流のヒヨウからバラで流してきた木材をドバ(集材所)で受取った。編筏をするドバは、鉄砲筏の場合などは支流にもあったが、たいていは本流との出会いまでカリカワで下し、そこで筏を組むというものだった。

 編筏の方法とか、筏の大きさ、あるいは流筏のかたちをいえば、十津川と北山川によってかなり相違があり、また時代が下がるにつれて変化している。ここでは昭和になってからの十津川流域の筏にかぎって見ることにする。

 仕事は、筏組合が木主から請負って行われた。十津川の流域に関与する組合は、奈良県側に8組、下流の和歌山県に4組があり、人数は平均30名ぐらいだが、大きい組だと60余名を擁した。川のそばに点在する小集落が、それぞれ単一の組合を構成していた。

 作業はまず編筏から始まった。標準で長さ2間の丸太を5〜10本並べてオビソ(帯)をかけ、カンで固めたものが一床である。その床をタテに12床連結したものを一幅と呼んだ。また先の床は小さく、後につれて太い丸太を用い、数も増やした。一幅の長さは標準で25間(約45メートル)、材積にして70〜100石、中型トラックに積むと2、3台分である。

 床を編むオビソや床と床を連結するタマコ(輪)には、おもに藤蔓を用いた。それを集めるのも山の人々の稼ぎで、私の母親なども、炭焼きのかたわら採って仲買人に売ったという。だが昭和15、6年ごろになると、ワイヤー・ロープも取入れられて、藤蔓とワイヤーを混ぜて使った。


宇江敏勝の本シリーズの『森をゆく旅』を紹介します。

【森をゆく旅】
森
宇江敏勝著、新宿書房、1996年刊

<「MARC」データベースより>
紀州・熊野に住む「山の作家」が日本各地の森を歩く。木とともに暮らし、すぐれた技を持つ人との出会いを求める山びとの森林紀行。インテリアの情報誌『室内』に「山と木の物語」として連載されたもの。

<大使寸評>
それぞれのエピソードが経済に裏打ちされ山の民に優しいのは、著者の生い立ちによるものかと、納得した次第です。
『室内』というハイカラな情報誌の連載エッセイでもあったということでおま♪

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