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zoom RSS 『セーヌの川辺』2

<<   作成日時 : 2017/10/08 12:58   >>

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<『セーヌの川辺』2>
図書館で『セーヌの川辺』という本を、手にしたのです。
目次を見ると、全篇に亘ってヨーロッパや多言語のエッセイである。ちょっと気が重くなるが・・・読んでみるか。


【セーヌの川辺】
セーヌ

池澤夏樹著、集英社、2013年刊

<「BOOK」データベース>より
フランス・パリ郊外に位置するフォンテーヌブローに移り住んで一年。著者はエッフェル塔と東京タワーを比較しながら理想の国家のあり方を模索。電力の75%を原子力に頼るフランスでエネルギー問題を考え、サッカーW杯で起こったジダンの頭突きからナショナリズムに思いを巡らす。海外に暮らし、相対的な視点で捉えることで浮かび上がってくる日本のかたちを鮮やかに綴るエッセイ集。

<読む前の大使寸評>
目次を見ると、全篇に亘ってヨーロッパや多言語のエッセイである。ちょっと気が重くなるが・・・読んでみるか。
なお、借りたのは、2008年刊のハードカバーでした。

rakutenセーヌの川辺



池澤さんが映画を題材にして独立戦争を語っているあたりを、見てみましょう。
p125〜128
<川辺の公園、共和国、独立戦争> 
 近くの映画館でケン・ローチの新作を上映していた。
『麦の穂をゆらす風 The Wind That Shakes The Baraley』というタイトルはアイルランドの民謡の一節。今年のカンヌ映画祭でパルム・ドールを獲得している。

 アイルランドは1922年までイギリス政府に統治されていた。その年にイギリス帝国内の自治領としてアイルランド自由国が成立したのだが、この映画はそこにいたるまでの戦いを描く。主人公は独立運動に挺身する二人の兄弟とその周辺の若い人々。今のアイルランド人の視点で見れば独立のための闘士であり、当時のイギリス側から見ればテロリスト。

 独立の気運はずっとあった。イギリスは暴力でそれを抑えこんで支配していた。これが基本の構図。宗教でも地主層は国教徒で小作人はカトリックという対立がある。単純化して言えば、地主はイギリス人ということだ。

 映画はまずアイルランドの伝統的な球技としてイギリスが禁じていたハーリングの場面から始まる。それに続くのはイギリス兵による暴行と殺害。尋問に英語で返答できなかった若者が殺される(彼の母語はゲーリック語なのだ)。テロリストという容疑だけで、裁判も何もない。

 歴史を映画で「書く」場合、どうしても象徴的なエピソードを連ねることになる。ケン・ローチは主人公たちにアイルランド独立史のすべての要素を負わせる。運動内のさまざまな動きを登場人物に象徴的に体現させる。そうやって歴史を描く。ドラマ作りとしては正攻法であると同時に陳腐だが、それは意図したところだろう。

 イギリスは暴力で弾圧する。IRA(アイルランド共和軍)を名乗る独立運動の戦士は捕らえられて拷問され、脱走し、訓練を重ねて戦いの術を身につけ、兵士を襲う。武器を奪取し、イギリス人の地主を誘拐い、裏切った仲間を処刑する。イギリス側は彼らを掃討しようとやっきになり、男が山に籠もっていて見つからなければ留守宅に押し入って、女の髪を無理に切り、家に火を放つ。

 見るべきは闘争の臨場感だ。これは映画というメディアの得意とするところ。このような景色の土地で、この風景の中で、このような服装と顔つきと性格の人々によって戦いは行われた。アイルランドは面積からいえば日本の東北地方の三分の一を少し上回る程度。狭いところで、知人や縁戚関係の濃い人々が互いに闘う。隣人が敵になる。その息苦しさをスクリーンはよく伝える。

 独立運動というのはつまり建国の努力である。そして、それがかくも暴力に満ちているのは、国家というものが本来その根底に暴力を擁しているからだ。国家は警察権や裁判権の形で暴力を独占する。国民は自分たちの安寧のために国家に暴力の行使を委託する。

 国家の構造に無理があると、成文法によってきちんと管理されているはずの暴力が噴出する。国民の間に平等がないと、落差による水力発電のようにエネルギーが生れる。植民地は社会の前提として平等がないために恒常的に暴力に依らないと体制が維持できない。
 家に戻ってから、似たような状況を描いた映画として、『アルジェの戦い』をDVDで見た。1950年代のアルジェリア独立運動を記録映画風の手法で描いた劇映画。忘れていたけれど、これはアルジェリアとイタリアの合作で、だから音楽を担当しているのはエンニオ・モリコーネだし、ぼくの見たのはイタリア語版だった。
(中略)

 利害の不一致を暴力で解決するのはむずかしい。工学的な比喩を用いれば、暴力の場は不安定で、なかなか平衡点に至らない。正のフィードバックがかかっているから時間の経過と共に現象は収束ではなく発散して規模が大きくなる。心理学的に見れば暴力はいつも過剰な反応を引き出す。人はかっとなって与えられた以上のものを返す。それが正のフィードバックということ。

 そして、組織は分裂する。フラクションの間で暴力が行使され、いわゆる内ゲバ状態になる。暴力の中にある者には暴力への抑制がない。『麦の穂をゆらす風』では、一定の条件のもとに実現したこの独立を認めるか否かでそれまでの同志が分裂し、互いに戦い始める。結末は非常であり、悲劇的だ。


『セーヌの川辺』1

6年ほど前に観た「麦の穂をゆらす風」を紹介します。

【麦の穂をゆらす風】
麦の穂
ケン・ローチ監督、2006年制作、H23.12.26観賞

<goo映画解説より>
講和条約は依然としてイギリスに都合のいいものだった。アイルランドの中で条約に賛成する者と反対する者に分かれて対立が始まった。それはやがてアイルランド人同志が戦う内戦へと向かってしまう。条約に賛成する兄・テディは政府軍へ、完全な自由を求めて条約に反対する弟・デミアンは再びゲリラ活動へ。

<大使寸評>
アイルランドの悲哀や、思想を貫くとはどういうことか考えさせられます。

goo映画麦の穂をゆらす風
麦の穂をゆらす風byドングリ


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