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zoom RSS 『日本の起源』6

<<   作成日時 : 2017/05/14 00:54   >>

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<『日本の起源』6>
図書館で『日本の起源』という対談本を、手にしたのです。
なんか既視感のある本であるが、まいいかと借りたのです。
帰って調べてみたら、およそ半年前に借りた本でした(イカン イカン)



【日本の起源】
s日本

東島誠×與那覇潤著、太田出版、2013年刊

<「BOOK」データベース>より
古代の天皇誕生から現代の日本社会までを貫く法則とは? 歴史学がたどりついた日本論の最高地点。
いつから私たちは「こんな国、こんな社会」に生きているのだろう。どうしてそれは変わらないのだろう。  

<読む前の大使寸評>
なんか既視感のある本であるが、まいいかと借りたのです。
帰って調べてみたら、およそ半年前に借りた本でした(イカン イカン)
・・・で、この記事を、その6としています。

amazon日本の起源



日本で機能するラディカル・デモクラシーとやらを、見てみましょう。
「日中のあるべき姿」が語られています。
p239〜242
<天皇に独占された一般意思>
与那覇:実際、二大政党の公約を読み比べて合理的に選択するよりも、とにかく陛下の聖徳をお慕い申し上げるというほうが、有権者にとってもハードルが低いので、戦前にはそちらの道をゆくほうが「ラディカル・デモクラシー」だった。少なくとも国会で泥仕合を繰り返す政友会や民政党よりは、多くの日本人にとって天皇のほうが、一般意思に近そうに見えたのでしょう。

東島:議会制不信とワンセットで天皇のほうに行く、という流れが大正デモクラシーから総力戦体制を経て、今日までずっとあるということですね。だとするといちばん大きな問題は、ラカンが「大文字の他者」、大澤真幸さんが「第三者の審級」などと呼んできたものが、日本近代史の文脈のなかではなんで天皇に収斂していくのか、という問題です。

 前近代史をやっていれば、「第三者の審級」に相当するものは、それこそ八百万とありうるということにぶつからざるを得ません。そこに天皇を置く必然性はかならずしもなかったわけです。

与那覇:起請文を差し出す神様でも、八幡大菩薩でもなんでもよかったと。おそらく、天皇以外の信仰がすべて世俗化したのに、皇室にだけ宗教性が残っていた時代が、日本の近代だったのでしょう。だから戦前のあいだだけ、天皇が第三者の審級を独り占めした。

 いま焦点になっているのも、要するに天皇抜きのかたちで、日本で機能するラディカル・デモクラシーをどう構想するかという問題ですね。東浩紀さんが『一般意思2.0』で提示したのは、いわば「君主なき一君万民」の体制をソーシャルメディアで設計できないか、という話です。

 ツイッターやニコニコ動画のコメント画面で流れる民意の勢いこそが一般意思だ、と見なしてしまえば、天皇やロベスピエールのような「立法者」がいなくても、それを政治に反映していくしくみを作れるというアイデアですね。

 中国文学者の福島亮大さんも、同書の書評でヴィリリオの言う「速度の政治」の観点から、今日の中国の一党性のような独裁的機構を設けずに、大衆のスピードへの要求を満たす方法の模索として論じていました。実際のところ中国共産党というものも、プロレタリア政党というより皇帝専制の継承者で、一君ならぬ「一党万民」の体制でしょう。

東島:しかしニコ動的な民主主義というのは、ヴィリリオならば民主主義の危機と論じるんじゃないでしょうか。議員代表制民主主義がだめになって世論民主主義が台頭し、その世論民主主義さえも、彼が「毒入りの果実」と呼ぶ公共的情動の民主主義の無節操さに取って代わられる。ニコ動的民主主義が情動の民主主義に回収される危険性を回避できるかどうか。

 それどころか、熟議の民主政は手間暇かかり処理速度が遅いとか言っているうちに、自民党政権が復活して、またぞろ滅私奉公的な時代が戻ってくると、ソーシャルメディアの民主政は周回遅れのランナーにさえ追い抜かれてしまった。

与那覇:どれだけ最新のデバイスで武装しても、結局天皇という最強のプラットフォームを握っている側に勝てないと。

 日本は原理原則がなく、なんでも「足して二で割る」なぁなぁ政治の国だというイメージがある反面、なぜか「絶対の真理」のような発想を括弧に入れて、手探りで相互に妥協しながら他者との合意を見出そうというプラグラティズムが根づかない。これが不思議で仕方なかったのですが、どうもその理由が見えてきましたね。

 プラグマティックな政治には、「あくまでもこれは理念で、現実とは違うのだけれども・・・・」という割り切りが必用です。たとえばアメリカ独立宣言やフランス人権宣言に記された「あるべき姿」に、現実のアメリカやヨーロッパはまだ追いついていない、という自覚を持つことですね。

東島:ハーバーマスの『近代 未完のプロジェクト』は西洋中心主義だとか近代主義だとか、さんざん批判されてきたが、じつは「未完」の感覚があるだけましだった、ということですか。

与那覇:そう思います。逆に東アジアは中華皇帝にせよ天皇にせよ、あまりにベタに「一君万民そのもの」な人格が存在してしまう。これではプラグラティズムにならない。「単に理念ではない。現にいる!」と言われてしまうと、不敬罪を覚悟でないと反論できないから。

 いまの中国で言えば、「人民の党として共産党がすでにある。だから、あらゆる問題は党を通じて解決できる」という公式見解を否定したら、監獄送りになるのと同じです。だから、議会制に代表される妥協としての政治のほうを、理念として掲げてやってゆくことは中国のみならず、日本でも難しい。

ウン 中国共産党は、皇帝専制の継承者で一君ならぬ「一党万民」の体制という簡明なくだりが・・・・ええでぇ♪

『日本の起源』1:日本を変えなかった高度成長と68年
『日本の起源』2:混乱の平成へ、そして歴史学は何をすべきか
『日本の起源』3:東アジアと日本の動乱はつねにリンクする
『日本の起源』4:唐物グローバリズムとクールジャパン政策の起源
『日本の起源』5:儒教を使いこなせなかった日本人

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