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zoom RSS 『浅田次郎とめぐる中国の旅』3

<<   作成日時 : 2017/05/12 07:10   >>

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<『浅田次郎とめぐる中国の旅』3>
図書館で『浅田次郎とめぐる中国の旅』という本を、手にしたのです。
先日、浅田さんの『日本の「運命」について語ろう』という本を読んで良かったので、その勢いでこの本を借りたのです。


【浅田次郎とめぐる中国の旅】
中国

浅田次郎著、講談社、2008年刊

<「BOOK」データベース>より
中国は美しく、奥深い。四年にわたり取材を重ねた著者自身が語る見どころと魅力。
【目次】
1 紫禁城(エッセイ 正大光明/浅田次郎と紫禁城を歩く ほか)/2 北京(北京中心部地図/北京広域地図 ほか)/3 満洲へ(エッセイ 英雄たちの囁き/瀋陽市街地図 ほか)/4 万里の長城(華北地方の長城を訪ねる/インタビュー 浅田次郎、歴史小説を語る ほか  

<読む前の大使寸評>
先日、浅田さんの『日本の「運命」について語ろう』という本を読んで良かったので、その勢いでこの本を借りたのです。

rakuten浅田次郎とめぐる中国の旅

浅田

浅田さんが歴史小説について語っているので、見てみましょう。(インタビュアー:末国善己)
p139〜141
<歴史小説>
Q:『蒼穹の昴』では、悪女として有名な西太后が、実は中国民衆に慕われていたことを指摘されていました。こうした読者の思い込みを覆すことは、意識されているのでしょうか。

浅田:これは読者の思い込みを覆すというよりも、西洋史観の見直しですね。日本で教えられる東洋史は、実は西洋史観に基いています。日本人は西太后と聞くと、悪女、鬼女というイメージを持つと思いますが、北京に行って西太后の史料を集めていると、生けるみ仏様を意味する「老仏爺」と呼ばれて親しまれていた西太后像が見えてきたんです。
 実際に西太后はスーパーヒーローで、生前はブロマイドが売られていたし、葬式の時には北京の市民がこぞって出てきて泣き叫んだというエピソードも残っているほどです。

 それで西太后が悪女にされた理由を考えていくと、ヨーロッパ列強の影が見えてきた。20世紀初頭の資本主義は、植民地経営なしでは成立しないと考えられていましたが、中国は地球上に残された最大の植民地だったわけです。西欧列強が中国を滅ぼし、自分たちの利権を獲得するためには、清朝を倒さなければならない。清朝の実質的な指導者である西太后が悪女でなければ、西欧列強が中国を滅ぼす大儀が立たなかったんです。

 それで調査を進めていたら、エドモンド・バックハウスとジョン・ブランドという二人のイギリス人の共著になる『西太后治下の中国』という本に行き当たりました。これは1910年にロンドンd出版されて大ベストセラーになり、すぐに各国語に翻訳されて世界的にヒットします。

 この本には、西太后がどれほどの悪女かが書いてあるのですが、その多くは漢の呂后と唐の則天武后のエピソードと同じなんです。だから西太后が悪女という説は、中国の古典や歴史に詳しい二人の著者の捏造だと思っています。ただ彼らばかりが悪いのではなく、彼らに本を書かせた政治力も働いていたはずなので、裏の事情を見極める必要はあると思います。

 バックハウスは、何か事件を起こしてイギリスに住めなくなって中国に渡ってきたようですが、語学の天才で、何ヶ国語も自在に操れたようです。非常に困った人物ではあったのですが、さまざまの交渉事では通訳を務めているし、文学的な素養もあった。『中原の虹』の二巻以降では、間違った中国像を世界に発信した責任を取ってもらうために、バックハウスを重要な役割で登場させています。

Q:『中原の虹』の張作霖も、中国では支持されているのでしょうか。

浅田:中国では張作霖の評価は非常に低いです。一般的な評価では、日本軍の走狗となって中国を売り渡した売国奴として軽蔑されています。その一方で、息子の張学良は極めて評価が高い。

 現代の中国は、毛沢東がいなくても、蒋介石がいなくても、誰かが代わりにリーダーシップを取れば成立したと思います。ただ張学良が、国民党と共産党を命懸けで合作させなければ、間違いなく現代とは違った形になっていたでしょう。日本の明治維新でいえば、薩摩と長州を結び付けた坂本龍馬の立場です。日本でも龍馬の人気は高いですが、それと同じで張学良も民衆から支持されているようです。

Q:『中原の虹』では、独裁者というイメージが強かった張作霖が、実は満州の民衆には支持されていたとお書きですが、この人物像はどのようにして作られたのでしょうか。

浅田:中国の東北地区を歩いていると、北京で語られている張作霖とはまったく違った人物像が見えてきました。当時のことを知るお年寄りや学者の方から話を聞くと、張作霖はヒーローなんです。「東北王」という言葉が残っていて、今でも張作霖のことを「東北王、東北王」と呼んでいる。そのくらい尊敬されていたんです。

 というのも張作霖が満州を統一するまでの中国の東北部は、自分の命は自分で守るしかない無法地帯でした。そこに張作霖が統一政権を樹立したので、治安もよくなったし地域も安定した。何も持たない貧しい青年が、軍閥のトップに登り詰めた事実ひとつを考えても、張作霖は英雄です。今も「東北王」と親しみを込めて呼ばれているのは、それなりに善政を敷いたからだと思います。


『浅田次郎とめぐる中国の旅』1
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