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zoom RSS 『浅田次郎とめぐる中国の旅』2

<<   作成日時 : 2017/05/11 06:00   >>

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<『浅田次郎とめぐる中国の旅』2>
図書館で『浅田次郎とめぐる中国の旅』という本を、手にしたのです。
先日、浅田さんの『日本の「運命」について語ろう』という本を読んで良かったので、その勢いでこの本を借りたのです。


【浅田次郎とめぐる中国の旅】
中国

浅田次郎著、講談社、2008年刊

<「BOOK」データベース>より
中国は美しく、奥深い。四年にわたり取材を重ねた著者自身が語る見どころと魅力。
【目次】
1 紫禁城(エッセイ 正大光明/浅田次郎と紫禁城を歩く ほか)/2 北京(北京中心部地図/北京広域地図 ほか)/3 満洲へ(エッセイ 英雄たちの囁き/瀋陽市街地図 ほか)/4 万里の長城(華北地方の長城を訪ねる/インタビュー 浅田次郎、歴史小説を語る ほか  

<読む前の大使寸評>
先日、浅田さんの『日本の「運命」について語ろう』という本を読んで良かったので、その勢いでこの本を借りたのです。

rakuten浅田次郎とめぐる中国の旅

康有為康有為

張競さん(明治大学教授)との対談の一部を、見てみましょう。
p84〜87
<康有為のSF世界>
張:2004年に、江沢民が政権の一線から引退しましたね。たとえばそのときに私がまず連想したのが西太后です。江沢民は2年前から政権の主要3ポストのうちふたつを譲りましたが完全には引退しなかった。西太后も戊戌変法(ぼじゅつへんぽう)ではいったんは和園に退きます。そこであとは老後をゆっくり過ごそうというようにできていれば、歴史は確実に変わっていたでしょう。しかしそうはできなかった。毛沢東にしてもそうですが、歴史は繰り返されるのです

浅田:西太后があのとき何を考えたかというのは、実はぼくにはよくわからないんです。おそらく新しい変法が許せなかったんでしょうけれども。

張:西太后は変法に対してそんなに拒否感を抱いてはいなかったんじゃないでしょうか。というのも、戊戌変法を潰してわずか2年後に、彼女自身が主導した変法をはじめていますから。

浅田:そうですね。

張:彼女にとっては清王朝さえ続いていければ、変法自体は大したことではなかっただろうと思います。アヘン戦争以降に列強と結んだ屈辱的な条約、あの老婦人のプライドからすればとても飲み込めるものではないものを、全部認めたことに比べれば。しかも自分が信頼していた光緒帝がやろうというんだから、任せておけばよかったんです。それがおそらく周りからのいろいろな進言を聞いているうちに、許せないということに変わってしまったんでしょう。

浅田:このときのキーパーソンは康有為だとぼくは思うんです。彼の思想はちょっと極端過ぎて、SFっぽいんです。将来の共産主義を予見しているような先見の明はあるんですが。

張:大同世界ですね。

浅田:康有為の考え方は突き詰めていけば王制否定です。だから、西太后が気に入らなかったのはそこではないかと思うんです。

張:康有為の一派は、みずから行動を起こさなければという思い込みが強すぎたのではないでしょうか。もうちょっと待っていれば情勢は変わったかもしれません。

浅田:そうですね。革命というのは古い体制を壊す人と新しい世の中を作る人が別なんです。明治維新のときも壊した人たちはほとんど死んでしまって、そのあとに二番手の伊藤博文や山県有朋の世代が新しい明治を作りました。フランス革命でもそうなんです。戊戌変法は康有為の世代ですべてをやろうとしたところに無理があったということですね。

張:しかもその壊し方がへたなんです。そのあたりが文人の弱いところでしょう。

浅田:康有為たちが古いものを壊して袁世凱が新しい時代を作っていたら、まったく違う国ができたでしょうね。袁世凱がもうちょっといい人だったら(笑)。

張:どう見ても袁世凱は人柄が悪すぎるんですね(笑)。

浅田:権力欲があからさまなんですよ。だからのちの皇帝即位のときも物笑いの種になってただちに取り消す羽目になりました。ただ、ぼくは袁世凱という人は嫌いじゃないんです。清王朝を滅ぼした立役者の一人であることは間違いないし、面白いキャラクターですから。

張:曽国藩や李鴻章より、袁世凱の方が大きな器を持っているとはいえますね。曽国藩も李鴻章も清王朝を倒そうと思えばできたのに、おれにはそんな野心はないといっていさぎよく去ってしまいます。袁世凱がもう少し前の時代に登場していたら、大人物になれたかもしれません。権力欲があるのはいいとしても、彼の場合は時代遅れだから茶番になってしまったんですね。

浅田:アヘン戦争のあと、太平天国の乱のときの将軍が袁世凱であったなら、その時点で清王朝を滅ぼしているかもしれませんね。

張:そうですね。曽国藩の下で李鴻章の立場だったとしても、いずれはそうなったかもしれません。そういう意味ではやはり彼には天命がなかったんですね。1916年の皇帝即位のとき、袁世凱は王座に座ったもののめまいがして、すぐに下りたという伝説があるんです。『蒼穹の昴』では「龍玉」として描かれていますが、中国でも天命があるのかどうかということは語られるんです。


毛沢東の文革が語られています。
p89〜90
<龍玉=天命はどこに?>
張:『蒼穹の昴』を読んでいて、毛沢東が出てきたのには驚きました。

浅田:あれは大サービスです。中国語に翻訳されるのを期待して(笑)。

張:たしかに時代的には合うんですよね。おそらく毛沢東にとって西太后というのは同時代の人間だったろうと思うんです。そして彼には明らかに帝王思想がある。晩年は完璧に自分が帝王だという意識でいたでしょう。

浅田:ええ。そういう意識がなければ文革は起きないですよね。文革は先生が何歳のときですか。

張:はじまったのが13歳です。

浅田:それならはっきり記憶がありますよね。

張:もうはっきりと。はじめはむしろ共鳴したところもあるんdす。古いものを新しくするのはいいんじゃないかと。だんだんと悪い面が見えてきて、紅衛兵は最後にはみんな反毛沢東になったんです。のちに民主化運動を起こしたのはその人たちなんです。

浅田:当時の学者はみんな大変だったらしいですね。

張:大変ですよ。全部持っていかれるか、焼かれてしまうんです。文革がはじまった当初の1966年7月から9月くらいまでは、市内の至るところで本を焼いたり、服を焼いたり、とにかく何かしら燃やしている光景を目にしました。集合住宅の庭に、各家から古いものを持ち出して燃やしたんです。

浅田:取り返しのつかないことですね。そういうふうに文化を破壊してしまうのは。

張:私たちの世代はみんなそうだと思いますが、毛沢東だけは許せないですね。彼は女性秘書たちを周りに侍らせていましたが、そういうところも皇帝的でしょう。江青との間に子供もいましたし。

浅田:江青にもいろいろな伝説がありますね。

張:悪女としての西太后にたとえられた現代政治家ですからね。彼女は毛沢東と同じぐらいの気概をもって、天下は私のものだと思っていたでしょう。毛沢東が生前に「おれが死んだら真っ先にお前が殺される」といったという伝説があります。本当かどうかはわかりませんが、ありそうなことですね。それぐらい周りのみんなから憎まれ、恐れられていたんです。


『浅田次郎とめぐる中国の旅』1

『日本の「運命」について語ろう』5byドングリ

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