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zoom RSS 『日本の起源』5

<<   作成日時 : 2016/11/26 15:37   >>

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<『日本の起源』5>
図書館で『日本の起源』という本を、手にしたのです。
與那覇先生の場合、夢のない結論におちつくことが多いのだが・・・
その論理が気になるので借りた次第でおます。


【日本の起源】
起源

東島誠×與那覇潤著、太田出版、2013年刊

<商品の説明>より
古代の天皇誕生から現代の日本社会までを貫く法則とは? 歴史学がたどりついた日本論の最高地点。
いつから私たちは「こんな国、こんな社会」に生きているのだろう。どうしてそれは変わらないのだろう。

<読む前の大使寸評>
與那覇先生の場合、夢のない結論におちつくことが多いのだが・・・
その論理が気になるので借りた次第でおます。

amazon日本の起源


司馬さんなんかが嫌う儒教であるが、この本のお二人が儒教について語っています。
p251〜254
<儒教を使いこなせなかった日本人>
與那覇:総力戦体制論や植民地帝国論といった、一見きわめて今日的で近現代史限定に見えるテーマも、じつは前近代以来の東アジアの文脈に位置づけないと答えが出せない。端的には日本史上で儒教が果たした役割についても、江戸時代や幕末維新期に限定せず、もっとあとの時代までくだって考えてみる必要が出てくると思うのです。私の考えではおそらく、近代の日本人は二つのポイントで、儒教思想の運用を大きく間違えた。

 ひとつは、儒教体制におけるタテマエ(可能態)と実際(現実態)のギャップです。朝鮮史の宮嶋博史先生に論文でご批判いただいたことがあるのですが、儒教思想はテキストとしてはすごく農本主義的なんですね。周代の井田法(公田として共同耕作させるしくみ)が理想だという話だから、「自給自足できる取り分は保証するからそれ以上は欲しがらずに、安定したコミュニティでつつましく暮らそう」という感じがある。

 ところが、拙著で中国化した社会と呼んだ、科挙制度が全面化したうえに朱キが朱子学を体系化して、儒教王権の体制が本格始動した宋朝以降の中国とは、むしろ逆に徹底した市場競争ベースで商業中心の世界です。こうなると道徳の意味も変わってきて、競争を勝ち抜いた人間は道徳的にも優位者なんだから、どんだけ稼ごうが文句あるか、悔しかったらおまえも努力しろ、という雰囲気になってゆく。

 明治以降の日本の儒教化は、最初は後者の路線で入ってきたのに、途中から前者に転回したのですね。日本人は儒教慣れしていなかった分、素朴にタテマエのほうを信じてしまったのかもしれない。福沢諭吉が「一身独立して一国独立す」と唱えた明治初期は、野放図な功利主義が珍しく日本でも成立した時代で、「人間なんて欲で動いてるんだし、それでいいんじゃないか」という空気があった。個人単位でガンガン競争して、稼ぐが勝ちでいい。それが結果的に国力も富ませていけば、おのずと秩序も生まれていくと。

 坂本多加雄さんが描いたリバタリアン(自由至上主義者)としての福沢イメージそのままの、最近だと小泉政権のころに喧伝されたネオリベラルな雰囲気の社会ができた。

東島:近世篇でも触れましたが、1881年には「貧民を救うことは社会の義務か」をめぐる大論争があって、肥塚龍は「貧困は自己責任だ」というネオリベ的論陣を張ったわけです。肥塚はのちに東京府知事になりますから、まさしく石原前都政の起源でもありますね。

與那覇:ところが同じ明治でも後半期、1900年前後から雰囲気が反転しますよね。日清戦争にも勝って、最初の武士道ブームが起きて、「封建社会の美風があったから、日本はここまでこれた。私利私欲まみれの個人の群れしかいない中国・朝鮮は没落した」みたいなムードになる。さらに日露戦争が終わると戊辰詔書や青年団運動が強化されて、「私利追求の時代は終わり。ここからは地域の伝統たる醇風美俗の復興です」という方向が基調になります。

 今でも一般には儒教と言うと、年長オヤジが「心の乱れが世の乱れ、戦後日本は自由を謳歌しすぎた。やはり家庭の道徳、地域の伝統を重んじる精神を教育し直してだなぁ」とか説教するイメージですけど、そういう保守的レジームの基軸としての儒教、農本主義的なタテマエが前面に出てくる。最初の(第一次)安倍内閣が「美しい国づくり」と言って、小泉改革の新自由主義を微修正したことが、もっと大規模に起った感じですね。そのなかで大逆事件や南北朝正ジュン問題が起きて、石川啄木が「時代閉塞の現状」と呼んだ息苦しい雰囲気が煮詰まってゆく。

 ここで、「近代日本版儒教」のもうひとつの過ちが出てきます。儒教的な徳治主義とは本来、天子をはじめとする治者の側に道徳を求めるもので、だから宋朝以降の科挙制度も、「官吏になりたいなら道徳を身につけろ、そうでないやつは知らんけど」というしくみだった。宮崎市定が科挙の特徴を「教育抜きのメリトクラシー」である点に求めたように、一般庶民は被治者のままでいるなら、道徳的な修養なんてしなくても放っておいてくれたのです。

 ところが明治日本の場合は、西洋から輸入した国民皆教育とセットで儒教化しているから、「上から下まで、国民みんなが徳を備えて美しい国を作りましょう」という話になっていく。この全員に有徳者であることが要請(強要)される空気が、明治末から広がる閉塞感の源泉だった。

ウーム 「近代日本版儒教」というメカニズムが今でも働いているのか・・・よく注意しておこう。
この本は読みどころが多いのでもっと紹介したいのだが、きりがないのでこれにて終りといたします。

『日本の起源』1
『日本の起源』2
『日本の起源』3
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