『ソーメンと世界遺産』1
<『ソーメンと世界遺産』1>
図書館で『ソーメンと世界遺産』という本を手にしたのです。
この本の目次を見てみると、もろもろのグチとか、やつあたりとか、悲喜こもごもの内容となっていて興味ふかいのでおます。
シーナの趣味は出版ではないのか?
もと雑誌の編集に携わっていたシーナだから、出版のノウハウはお手の物やんけ♪
シーナが ハウツー小説とか、創作道具などを語っているので、見てみましょう。
図書館で『ソーメンと世界遺産』という本を手にしたのです。
この本の目次を見てみると、もろもろのグチとか、やつあたりとか、悲喜こもごもの内容となっていて興味ふかいのでおます。
シーナの趣味は出版ではないのか?
もと雑誌の編集に携わっていたシーナだから、出版のノウハウはお手の物やんけ♪
【ソーメンと世界遺産】 ![]() 椎名誠著、毎日新聞社、2013年刊 <「BOOK」データベース>より データなし <読む前の大使寸評> シーナの趣味は出版ではないのか? もと雑誌の編集に携わっていたシーナだから、出版のノウハウはお手の物やんけ♪ rakutenソーメンと世界遺産 |
シーナが ハウツー小説とか、創作道具などを語っているので、見てみましょう。
p91~94 <やがて個人小説時代> 若い頃、欧米映画を見ていて「カッコいいなあ」と憧れていたのはタイプライターだった。どこかオープンデッキみたいなカフェの向こうに日差しがある。樹木の葉が風に揺れ、その木陰で丸テーブルに座った主人公がタイプライターでかろやかにカシャカシャカシャと何か打ち込んでいる。 ときどき横に動くキィをギーッなどと引いて、紙に印字された横文字が見えたりする。モノカキ業になった頃、ああいうコトがしたいなあ、と思ったけれど、日本語にはああいうコンパクトな文字打ちだし機械はない。 当時日本語の活字を一人で印刷までできる機械は名刺屋さんなどで見たが、なにしろ大きかった。当用漢字の活字が全てセッティングされ、オプションで漢和辞典一冊分ぐらい用意された活字入れがあって、その上を縦横左右自在に動くアームのようなものをオペレーターが目的の文字を探して、ガチャンとその活字一本を引っ張りだし、文章作りのシステムにはめ込む。大きさはいかにコンパクトにしても事務机二つ分ぐらいはあった。鉛の活字満載だから重さは軽く五百キロは超えただろう。 あれを使えば、オープンカフェでのカシャカシャ(実際にはガシャンガシャン)は可能だが、全体に印刷工場の引っ越しみたいなコトになってしまいそうだ。 アルファベットの国はいいなあ、と思ったものだ。日本語で小説を書いているかぎりあの華麗なるタイプライターシステムは無理であり、見果てぬ夢なのだ、とわかってその願望はあっけなく消えた。 実際にモノカキになったときは、原稿用紙に万年筆でサラサラサラのサラ、とまではいかなくてぼくの場合はサラ・・・えーとうんと(長時間思考)サラ、という程度で、それが長く続いた。 ただその方式だと、必用なものは原稿用紙とペンだけであるから、その気になったら、けだるい昼さがり、ちょいと気取ったオープンカフェの木陰の下の丸テーブルで小説を書く、なんてことは可能だった。 でも旅先で一度か二度それらしきシチュエーションでやったことがあるけれど、小説なんかの場合、神経の集中度が違うから自宅で深夜書いているのとくらべると、まるっきり効率が悪い。 やっぱり欧米映画のようにタイプライターぐらいの機械をつかって書いたほうが集中できそうな気がする。 パソコンが普及するようになってきて、タイプライターと同じように気軽にソトでそういうコトができるようになった。いかにも仕事ができそうな現代ビジネスマンの理想的なかたちではないか。 しかし、それでもぼくはダメだった。ぼくが最初にとびついたのはワープロの親指シフトという今のガキどもが「何んすかそれ?」と全員バカにして聞くようなワードプロセッサーだから、理屈としてはこれこそ日本語タイプライターの実現である。 実際これを使うと文章の生産は早かった。プロのモノカキはスピードが勝負だ。しかも活字がガッチャンガッチャン機械式と比べたらこれだと簡単に丸テーブルに乗る。そのむこうに風に揺れる葉がさわさわ。やっと欧米映画にいくらか近づいてきたのだ。 けれどパソコンと違ってぼくが使っていたのは重さが8キロもある。しかも蓄電がきかないから、丸テーブルの近くに家庭用電気のコンセントがないと動かない。 (中略) このあいだ、知り合いが「すまほ」を使っていて、見ていたらこれは鉛筆みたいなのや指先で書いたものが字になる。どんどん書けば文章になる。しかも手のひらサイズだ。ためしにやらせてもらったら四百字ぐらいわりあい簡単に書けてしまう。これだ。と思って買ってしまった。こういうのを後先考えずにすぐ買ってしまうのがむかしからのぼくのアホな癖だ。 まあ、言われたとおりやってみるとたしかに超小型簡易文章製造機だ。 (中略) それでぼくが前から提唱しているのが「夢想式自動書記」である。頭のいかるべきところに電極などはりつけて、風のとおる午後のオープンカフェにまどろむ。こっくりこっくりしているうちに頭に浮んだ情景やドラマを傍らの探知増幅機が受診し、文字化する。 これならたいした機械はいらないし、延長コードもいらない。目が覚めるとちょっとした短編小説が完成しているんだから有り難い。こういう装置をソニーとかパナソニックあたりが早いとこ作りだしてくれないだろうか。小説家はみんな買いますぜ。 |
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